2006年 11月 01日
ここのところフィレンツェの大洪水40周年が間近であるのでテレビでも特集番組が組まれたりと話題になっている。 1966年11月4日。フィレンツェの真ん中を流れるアルノ川が氾濫した。24時間で降雨量199mmという大雨のせいで3日の晩から4日にかけてフィレンツェ近郊のダムも倒壊したせいもあり、大量の水がフィレンツェへ流れ込んだ。 アルノ川が溢れる寸前、そしてヴェッキョ橋に容赦なく流れ込む水、そして水に浸かったドゥオーモ、洪水後のサンタ・クローチェの様子などの写真から、この洪水の威力がいかなるものだったか想像できる。 そして美術品や貴重な古書への被害は膨大であった。国立図書館は浸水し多大な数の古書が泥まみれとなる。そしてサンタ・クローチェ教会の有名なチマブーエのキリスト磔刑木像は修復不可能にみえるほどの状態で発見された。 私がこの洪水の事実を知ったのは大分後になってのことである。66年はまだ幼く、この世界遺産への大惨事を記憶するすべもない。 ロンドン留学当初、81年か82年だったか、ロイヤル・アカデミーにてこの作品の修復を記念した展覧会を開催していた。そのときいかにこのフィレンツェの洪水の被害が多大で、またその中からからくも助かったこのキリスト像の存在が大であるかを理解した。 記録写真からもわかるように洪水の泥水に浸かった後の状態は悲惨である。なにしろガソリンやらなにやらあらゆる要素のまざった汚水に浸かってしまったのであるから、顔料は剥脱するし、木は朽ちるし、大変なことであったろう。修復はまずはこの汚染をスプレイにて洗い落とすことから始まる。そして絵の顔料の部分とベースとなる木の部分を別々に剥離して修復を施したのである。 オリベッティ(最近ではついぞ聞かなくなったタイプライターの製造で有名な企業で、この修復のスポンサーとして活躍した)の支援にて可能となったその後の修復活動。 わたしも実は93年フィレンツェにて絵画修復の勉強を1ヶ月試みたので、このフィレンツェ式の修復法が多少ともわかる。要するに隣接する色に近づくために平面として彩色するのでなく、線描にていくつかの色をあわせて原画の色に似通わせていくのである。近くでみると線描であることがわかるのだが、遠目にみると区別がつかない。 要するに点描画と同じ手法である。この技術は簡単そうでなんとも難しい。考えられないような原色を並列させることによって隣接する色彩を作りだすのである。ミケランジェロの描いた肌の色を線描にて似せるのになんと苦労したことか。結局この1ヶ月のコースでつくづく修復家に必要な緻密さと根気がないことに気づき、わたしの夢も崩れさるのであるが。 こうして修復の終わったこのキリスト像。色の剥脱したところはやはり痛々しく残ってはいるものの治療を受けて安全な状態となった。 その後再びサンタ・クローチェ教会美術館内にて実物と再会したときはやはり感激ひとしおであった。 洪水の後の被害救出の援助に世界あらゆる国からボランティアの応援があった。ヒッピー文化、精神革命が盛んであった60年代後半。洪水の泥沼を必死に掃除する長髪の若者達の映像をテレビで目の当たりにして、60年代というのが、肯定的意欲と平和志向が若者に溢れていた古き良き時代であるといまさらながら感じた。心からLoveとPeaceを夢見た時代であった。戦争が再び当たり前のように、そして殺し合いが日常茶飯事となってしまった今現在。60年代に起こったかにみえた精神革命はいったいどこへ行ってしまったのだろう。 しかしこのところ真剣に騒がれ始めている地球環境問題。この10年ほどで革命的改善をしない限り世界が大変になる、と言う記事をいくつか読んだ。 次の精神革命が目指すべきはここにあるかもしれない。
by jamartetrusco
| 2006-11-01 00:42
| Storia (歴史)
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