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2012年 01月 30日
![]() 我が家の寝室は天井が比較的高いのでそこに中二階、イタリアで言うsoppalco を造ろうという 案を抱いたのが去年の年末。寝室を上下に分ければ娘と我々の空間が最低限分かれるので それが目的である。 我々夫婦は寝るだけだから中二階に布団でも敷いて使う。下の部屋はすべて娘専用という考え。 最初はいわゆる工事現場に建てる鉄製の足場を枠組みに床板を乗せればなんて安易に 考えていたのだが、自分の家まで建ててしまう大工仕事万能の友人のアンドレアの意見を 聞いたら木材しか解決法はないとことで、そのプランを続行することに。 昨日お宅まで行ってお昼をともしにしながら木材選びをしてきた。 アンドレアの奥さまのマドカさんは日本人で彫刻を専攻したものつくりの人。 そして大地の香りのする妻であり母である人。子供二人の家族で有機農業を営んでいる。 それ以外に凄いのは自分達の家から工房からすべてアンドレアの作であることだ。 木との対話が好きで家具も自作がほとんどというアンドレア。 私達は大工仕事は皆目わからないので彼のアドバイスのまま頑丈なabete (ドイツマツ)木材を 選んだ。こんなに太い木材は必要なのか、という疑問もあったが、このぐらいでないと床となる木板 をのせたときにしなってしまうと言う。 選んだ木材は四角に削るためにアンドレアの作業場へ。 ありとあらゆる木屑から板から置いてある工房は木の香りが満ちていて気持ちが良い。 この木材はまだ白木の状態なのでこれに木喰虫防止の表面加工をしてそれから いよいよ家まで運んで組み立て作業を始めるとのこと。 選んだのは梁となる2本と足となる4本の木材。組み合わせるのは釘など使わずすべて嵌め込み で行うそう。昔ながらの宮大工みたい。 アンドレアとマドカさんは原材料から最後の製品まですべて自分で探し、育て、作ることが 真の人間の生き方であるという信念があり、ふたりで食べる野菜からお肉から、チーズ、 オリーブオイル、ヴィーノまですべて自家製である。 物質的な贅沢でなく精神的、生き方の贅沢を実践されている家族。 つい100年ほど前の人々の生活では当り前だったことが今ではほとんど不可能となり、お金 を払わなければできないような悲惨な現実の中でこういった自然に沿った生活を続けるのは 実に大変なことだ。 マドカさんの作った彫刻が完成まで後もう少しの石造りのご自宅の2階で彼らを静かに 見守っている。 ![]() 2012年 01月 28日
ドイツの映画監督Werner Herzogーヴェルナー・ヘルツォークの映画は終止一貫して あるひとつの数奇な夢にObsession「固執」を抱く人物や人生を描くことが多い。 典型はアマゾンの山奥にオペラ劇場を建てた男の話を描いた「フィッツカラルド」や 伝説の都市エルドラドを探す16世紀のスペインのコンクィスタトーレー征服者ー達の 群団でその首領となる軍人のアギーレの狂気を描く「アギーレー神の怒り」、最近では アラスカでグリズリーとともに生き、最後にはグリズリーに恋人とともに殺されるティモシー トレッドウェルの生涯をドキュメンタリーとして語る「グリズリーマン」など。 すべて狂気と正気の狭間を生きる人間の心理と夢の執拗な追求を描いているようだ。 常にそこには神と人、自然と人との関わりと対立がある。 いかにもドイツ的な精神性と自己認識、ロマンチシズムと幻想性に満ちている。 前から見たいと思っていた「カスパー・ハウザーの謎」をついに見た。 ハーツォック魂が隅々まで行き渡った幻想的な叙情性と人間の心と頭の複雑な関係を 淡々と語る不思議な映画である。 カスパー・ハウザーは19世紀前半の実在の人物である。 17歳頃まで小さな牢獄に監禁され人との接触もなく生きていたと思われる。 生年月日も不詳。ある日突然ニュールンベルグの街に駐屯していた大尉宛の手紙を持って 立っている姿を街で発見されたという。 映画は人との接触なく水とパンのみを食べ、馬の玩具のみで遊ぶ、話すどころか歩くことも ままならないカスパーがある日マントの謎の男によって外に連れ出されるところから始まる。 そしてニュールンベルグの街に手紙を片手に置き去りにされるカスパー。 大尉と街の世話役達は皆この謎の野生男をなんとかしようとするが拉致があかない。 話すこともできないから。そして最後には厄介者ということでサーカスに渡され、見せ物になって いるところを見たダウマーという宗教哲学者が引き取り、いろいろと教授する。 面白いのは少しずつ言葉を口にするようになったカスパーと宗教者達や家政婦さんとの 会話。 子供のもつ純粋な疑問と鋭い認識力があり、既成概念に犯されていない人間の魂とその力を見せる。 19世紀当時の自然科学的な立場からこの不可思議な存在を分析しようとする学者達や また野蛮人を扱うようにこの男のパトロンになろうとする貴族。 カスパーに宗教、神の存在を教えようとするが、論議が空しく響くのが印象的だ。 最後には最初のマントの謎に人物によって殺されてしまうのであるが、遺体解剖で頭脳の一部 が異常に発達していたというのがわかるところで終わる。 話は実在のカスパーの話に比較的忠実に進んでいくが、全体に流れる淡々とした物語構成と すべてがまるで幕に被われた儚い夢のごとくに見え、その美しい画像とともにカスパーの世界に また彼の眼から見た現実の向こう側に取り込まれていくのである。 そして演ずるブルーノ・Sのオーラが凄い。もともと役者ではなく独学で楽器を習得した吟遊詩人のような 音楽の語り人である。 ドストエフスキーの「白痴」のごとく、真実を述べ神に近い存在であリそれ故死ぬしかなかった かのようなカスパー。 狂気と正気、白痴と超人的感性、野生と懐柔、神、自然と人。 寂々とした物悲しさに満ちた美しく枯れた空と海のあるカスパー・ダヴィデ・フリードリッヒの 「海辺の僧侶」やドイツの画家ゲラルド・リヒターの「雲」を彷彿とさせるような映像。 ドイツからのみ生まれる美と色がある。映画が絵画となり音楽となり文学となり歴史となる時。 ![]() 2012年 01月 24日
照明器具などのデザインを手がけ照明製品の工場販売店を兄弟で営んでいた ピエトロはついに仕事をすべて弟に譲り彼の人生の情熱であるデザインや アートワーク制作に専念することに決めた、と聞いたのは去年の夏。 やっぱり、と思いさほど驚きもなかった。 ジュエリー作家である奥さまのYokoさんとともにフィレンツェのアート工芸工房の SAMにスタジオを構えた。 この修道院を改装した市の経営する集団工房空間に入りたい作家、工芸家は結構多いと思うが、 早くもその権利を手にいれたふたり、さすがに行動力がある。 その決心の潔さはやはり長年に渡る彼のアイデアに満ちた人生から自然に発生 したことだろう。 奥様のジュエリー作りも傍らで支えて、ふたりで好きな制作を通して生活を建てている ふたりは本当に素敵だ。 彼らのお家も色々なアイデアあふれるアートワークに満ちている。 あちこちから見つけた引き出しだろうか、それらを無造作に組み合わせた家具。 カラフルなプラスチック、パスタざるをたくさん重ねただけのオブジェ。 そして錆びの寂びのある円形を合わせた平面。 アイデアから生まれた様々な仕事。 ご夫婦で制作する素敵なカップルは日本でも知っている。AiさんとJunさん。 平面作品、焼き物とそれぞれ異なるメデアの作家同士。でもお互いに 刺激し合いながら展覧会のためにどんどんと制作している。 作品はもとより、住まいも食事も、生き方すべてがとっても味があってふたりらしい。 制作する者同士の付き合いは案外難しいと言われる場合もあるが、そんなことは ないと思う。お互いにお互いの空間と自由とを尊重し合えばこんなに素晴らしい 生き方の総合はないと思う。 アイデアに満ちた作家同士がアイデアを出し合ってそれぞれの信じる「何か」を 制作していく。作品ばかりではなく人生までも制作していく。 これ以上の力はない。 アレに対しての私はなんだろう。制作するアイデアのない私はアレを影で支えることは できてもふたりの力で人生を生きるアイデアの源を二乗していくことは可能なのだろうか。 ![]() 2012年 01月 17日
日本でもイタリア西岸、トスカーナのジリオ島沖にて沈没した豪華客船のニュースは伝わっていると思う。船長は業務上過失致死の容疑で逮捕されて取り調べが続いているが、毎日様々な証言や残っている通話情報などから驚くべき実態が見えてきている。 そもそも事故はこの豪華客船が乗客、乗組員合わせて4,000人以上の人々を乗せてローマのチヴィタヴェッキャを出発した13日金曜日の夜起こった。13日の金曜日というのも縁起が悪い出発日。さらには進水式のときのシャンペンボトルがぶつかっても割れなかったというジンクスまでしょった船でもある。 順調であれば夜8時半頃に島のそばを通って北へと進行するはずだった。ところがこの船長、以前も何回か島に滞在する観光客と乗船客を楽しませるために島の沖近くを通って汽笛をならすというサービスをしていたようである。そんなことをすること自体言語道断であるが、島の村長がサービスに対してお礼状までこの船長に出していることが判明しているくらい。ここまではどっちもどっち。 その先が問題だ。今回乗組員である給仕長がこの島の出身で両親に挨拶する意味でまた島に近づいて汽笛をならしてあげよう、という船長の提案。料理長の両親は事故後、当然のことながら、私たちが頼んだのではない、と申し訳なさそうに弁解していたが。このために安全進路を制御する操縦装置も手動に切り替えて勝手に選んだ航路を進んだ結果、誤って島に近づき過ぎてしまい、岩に座礁したというわけである。この島のまわりはごわごわと切り立った岩場で有名で、この辺の漁師などはだれでも知っていること。何回も航海している船長が知らないわけがないのである。事故後、この岩は海洋地図には載っていなかった、なんてしらじらしい嘘まで発言している。 この船長の「するべからず行為」が分かってきて開いた口がふさがらない実態が発覚。 1)まず乗客がすべて避難するまで船に残らずさっさと逃げてしまったこと、船長は最後まで乗客乗組員の安全を守る義務があることは言わずもがな。 2)沿岸警備隊の隊長がその後何回も船に戻るように警告したにも関わらずモ戻らなかったこと、そして島にある唯一のタクシーを呼びつけて近間の街まで逃げたこと。 3)最初に座礁して船のエンジン部に水が溜まりだした8:30過ぎに船長以下の副官達が数回にわたりはやく船を捨てて避難するように促したにも関わらず船長はその後一時間以上もそれを許さなかったこと。最初の警告で避難を始めていたら船もまだ傾きだしておらず、救命ボートも正常に使えてすべての人が難なく避難できたということ。船が傾いてしまったのでボートをおろすことが不可能になり、最後の手段で傾いたすべりやすい船体から死ぬ思いでロープ伝いに降りた乗客達。冷たい海に飛び込み命からがら岸まで泳いだ人もいた。 4)乗客の証言から船長はどうも酔っぱらっていたらしいこと。そして事故後携帯電話で豪華客船の幹部と弁護士らしき相手とずっと話していたということ。自分の進退如何しか頭になかったのだろうか。 すでに以上の考えられない失態が判明してきている。この船長、以前にもマルセイユでの荒れ海の中、皆の反対を押し切って豪華客船を出したという前例も。航海の職務につくのは海洋文化のあるナポリとジェノバ出身が多いと言われている、ナポリ近郊のサレルノ出身のこの船長とジェノバのあるリグーリア圏の船長との対立も常にあったそう。 要するにかっこつけるのが好きで、ぎりぎりの危険のスルリを楽しむナポリ気質旺盛の船長だったとことがだんだんと分かってきている。こういう人物は普通に生活している分には極めて人間的で、人懐っこく、愛らしい人物であることは多いし、海の男ならではの荒っぽさと気質の良さなどあるに違いない。彼も自分のかっこつけで こんな重大な事故を引き起こして大パニックとなり対処不可となったという人間の弱さも十分理解できる。 実際彼を知る住民達は「良い人なのに」と驚きを隠せない。 根本的に問題なのはこんな無責任な多くの人の命を危険に犯すようなことを平気で行ってしまう人が大きな客船の船長になれるということだ。月給12,000(120万円)ユーロという高給でもあると聞く。 イタリアの制度自体の問題、国のイメージ失墜明らか。 なくなった方々へどう謝罪できるというのだろう。 さらに心配なのは座礁した船の燃料が海に流出して多大な海洋汚染を生み出す危険性である。 今週末から海が荒れてくるというからどうなることか。 私もこの島を訪れたことがある。素晴らしい海と自然に満ちたところ。 トスカーナの沿岸のオアシスが破壊されないように祈るばかりである。 ![]() 2012年 01月 10日
満月の夜はいつもそわそわ、どきどきする。今夜は月が見られる快晴の夜空かしら、と気になるから。 満月が来るとその次の日から少し天候が変わることが多い。また生き物にも影響があるようで、 私の場合は眠りが浅くなる気がする。たぶん生き物のどこかの神経やホルモンを刺激するに違いない。 満月には様々な伝説がまつわる。満月の夜に変身する狼男。月に映るお餅をつく兎。 「月桂樹」という文字に暗喩されるように、中国の伝説では月に見えるのは仙人になろうとした呉剛が 永遠に切り倒すことの不可能な桂の樹を切ろうとする姿であると言われている。 または蝦蟇の斑点とも。永遠に樹を切る男の姿はグロテスクな感じのイメージだが。 このように人間の精神史に深く関わってきた月。空を仰ぐ私たちの想像力を強く促す月。 イタリア語(ラテン語)では月はlunaと言う。Lunatico と言うと気が狂った、またはエキセントリックな という意味である。満月の下では人間は狂気に走る、という西欧の長年の伝説から生まれた表現であろう。 そういえばハリーポッターに登場するちょっと不可思議な女の子がルーナと呼ばれていたのもここに由来 するのだろう。 ところでイタリアの往年の人気女性歌手ミーナの1959年の最初の大ヒット曲にTintarella di Luna (月焼け)という歌がある。Tintarellaという言葉は普通太陽の日焼けに使う言葉だが、その言葉を月に 使っているのがみそ。50年代終わりのロックンロール調の軽快な旋律は月が映し出すイメージと やや違うものの、夏に日焼けをするのが命のようなイタリア人なので、その中で月焼け美人を讃える 歌詞が新鮮で面白い。 Tintarella di luna, 月焼け tintarella color latte ミルク色の月焼け che fa bianca la tua pelle 肌を真っ白に染める ti fa bella tra le belle 貴女を美女の中の美女に見せる e se c'é la luna piena 満月の時は tu diventi candida. 貴女は純白になる こんなフレーズが続く。 満月の下では実にすべてがくっきりと銀白色に輝くようだ。 今年初めての満月、1月9日の夕刻の月。神々しい光を放って遠方の山並みを超えて夜空へと昇った。 やや雲がかかり、枯れた木の枝の背後の満月はその美しさと幻想性を増しているように見えた。 1月9日の18:50、モンテフィオラーレのテラスより。 ![]() 2012年 01月 08日
最近のアレの風景画は日にちを追うごとに抽象性を増し、そして奥深くなって きているようだ。 空と陸地の境界線である地平線は徐々に姿を消し、代わって朦朧とした空気感と 空か山か川か湖か、いずれにも見えるひとつの自然のエッセンスが現れている。 暗澹たる色彩でもあるが、それがまた妙に心安まるのである。 仕事場は自然光が全く入らない。朝から晩まで電気のランプという人工光のもとで 制作している。今日友人に指摘されていかにも、と改めて実感した。 画家で自然光皆無で仕事をするというのはかなり致命的にも思えるのだが、この ハンディキャップがかえってアレの制作のひとつの特徴となってきているのかもしれない。 災い転じて福となす、の哲学。 思うにニューヨーク発祥のロフトスタジオのような天上高く、窓が大きく、自然光に 苦労しないようなスタジオで制作できる作家は過去にどれほどいただろう。 ルネサンス期の画家達は大きな空間での工房制作もあったと思うが、レオナルド ダヴィンチは想像するに蝋燭の灯火のもとにひっそりと絵筆を取っていたような 気がする。フェルメールもかの有名なそして稀少な室内画はすべて屋内で描いて いたのであるから。あのオランダの空の低く太陽の少ない土地柄でおそらくさほどの 自然光は得られなかったに違いない。 太陽の光がないからこそ、そこに自分の心の、頭の中にある光を求めることも あるだろう。 この風景にあるのは地表奥深くから流れ出る光輝く泉のような、幻想的な気配である。 ![]() 2012年 01月 02日
元旦の初日の出。 モンテフィオラーレ自宅テラス、朝7;40分、薄明の暗がりに遠方の山空を赤く 染める朝焼けを拝む。 今年も健やかに良い年でありますように。 ![]() 2011年 12月 30日
人間は本質的に暗闇が好きである。 そして暗闇を灯す光に憧憬を抱く。 真っ暗な洞窟や穴蔵とか、太古、人を含めて すべての生き物が住処としていたような囲われた 暗がりに安心感を覚える。そして暗闇の先にある 光を求める。 ジョン・マーティンという英国の19世紀の幻想ロマンティック風景画家が 残した17世紀のジョン・ミルトンが著した叙情詩「失楽園」のメゾティントの 挿絵本がある。 その中のひとつ、Bridge over chaosー混沌にかかる橋。 まさにミルトンの格言の一節そのままのようだ。 「私たちに与えられた光は、ただじっとそれを見つめているためではなく、 それによってまだ私たちから隠されているところの、遠い先のものを開けて 見るために、与えられているのだ。 」 ロンドンにて見たジョン・マーティンの絵画を一同にまとめた展覧会。 Tate Britainにて開催中。 キッチュ寸前のパノラミックな風景歴史画。 「黙示録」の中の天地が上下に転倒するかのような混沌。 多くある展示作品の中でとりわけ惹かれたのがこの小さなメゾティントの 白黒の挿絵である。私の夢の記憶にあるような風景である。 さて来年は暗闇を抜けて差し込む一筋の光が訪れるのだろうか。 ![]() 2011年 12月 24日
Buon Natale 2011 ![]() 2011年 12月 23日
クリスマス前学校が今日でいよいよ終了。とは言えこのところ父兄面接とか来年からの高等教育の学校 見学など頭を悩ますことが続くこのごろ。娘が来年の6月までで中学を卒業、いよいよその先を考えなくてはいけない時期となった。あまりの時の早さに親は戸惑うばかり。下の街グレーベには中学までのみ、その後はフィレンツェへ通うことになる。 イタリアの教育制度は日本とはやや異なる。まず小学校が5年、その後は中高一貫校として中学校が3年、続いて高校に当るのが5年間という2段階に分かれる。義務教育は5年の内、初めの2年まで。 つい最近解散したベルルスコーニ内閣時に、教育大臣ジェルミーニ女史の行った国費削減のための教育改革は反対派や学生によるデモを引き起こし論議を醸したが、法律は可決され、2010年より新たな制度が始まったばかりである。 高校の5年間はかなり専門的な教育体系になってくる。いわゆる専門学校的なものから、一般教育を主体にそれぞれの特色のあるものまでかなり細かく分かれていく。まず大学を目指したい人のためのリチェオという名前の学校はクラシコ(ラテン語の他にギリシャ語も学ぶ)、理数系のためのシエンティフィコ、第3外国語まで学べるリングィスティコ、音楽のミュジカーレ、人間科学を学ぶシエンツァ・ウマーナ、美術実践のアルティスティコの5種類。専門学校のほうはイスティトゥート・テクニコとプロフェッショナーレの2分類があり、その中にさらにかなり細分化された学部が構成される。マーケティング、観光業、電気技師、農業、科学、輸送業、コミュニケーション、ファッション、グラフィック、環境学などゆうに15項目以上あり、良く言えばすでに14、5歳にして将来の設計を建てるかのようなオブションが開かれる、悪く言えば何もわからないうちに選べざるを得ない状況となる。 この12月、1月と適した学校を見極めるための学校公開説明会に当るオープン・デーが続く。娘はすでにイタリア語以外に日本語も話すぐらいであるから語学への興味があり、外国語を多く学べるリチェオ・リングィスティコを選ぶ方向で考えている。先週と今週の週末に対象学校のオープン・デーがあり見学に行った。とは言えどの学校が良いか決めるのは難である。学校が家からそんなに遠くないこ、というのも我が家の場合大切なポイントである。なにしろフィレンツェ市内に行くには定期バスにて1時間かかるという田舎に住んでいるので致し方なし。通学が一時間以上となるとあまり好ましくない。グレーベの街から定期バスが学校まで連れて行ってくれる通学時間も30〜40分ですむフィレンツェ近郊のリチェオ・リングィスティコに娘はほぼ決心しているし、彼女が行きたい学校に行くのが一番とは思うが、しかし本心から言うとフィレンツェ出身の父親、外国人である母親の娘であるので私はフィレンツェの学校に通ってほしいな、と思うところはあるのだが。 いつまで郊外と田舎の往復では、年齢が進むに連れて飽きるのではとも思う。大したことはないにせよフィレンツェはまだ動きがあり人も多い都会であるから。 学校は開始が8:05から4時間の日と5時間の日の週6日。お昼は帰宅後というやや不可思議なシステムであるのはイタリアの労働組合の取り決めで教員が午後働くという契約がないためである。要するに昔からある システムで時代に合う合わないに関わらず存続している制度であろう。市の公務員も以前は14:00でおしまいだったが今では午後も開いている窓口ができた。なのに学校はなぜ?と思うのだが。 イタリアという国の問題はシステムの不機能に対する変革の不可能さが初めも終わりもない蛇のように社会すべてをとぐろで巻き、にっちもさっちもいかない状況であると言える。そのため人々は「仕方がない」と言いながら暮らしているような気がする。そういう状況に対処するに必要なのは誠実、公平というよりは狡猾さ、不正というような社会。 そういうところはイタリアの問題。 教育に関しては幼稚園、小学校が一番質が高く、上がるにつれてお粗末になる、と言っていた父兄がいた。なんとなく納得するところもある。 いずれは娘はイタリアから飛び出してもらいたいと思う親心である。 ただイタリアで大変有り難いのは教科書代を除いて学費がかからないこと。そして私立公立の質の違いという 問題がほぼ皆無であること。ほとんどの生徒は公立学校に行くし、質の違いもあまりない、というのが現状。 あまり経済的な余裕のない我が家のようなケースには有り難いの一言。 教育と医療は経済的事情に関係なく受けることができるというイタリアの制度は文句はたくさんあるけれどまだまだ「腐っても鯛」と言えるだろうか。 ![]() |
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