2009年 01月 17日

Mucca squartataー肉塊あるいは生と死の象徴

f0097102_2001995.jpg


常日頃興味深く拝読しているaipitturaさんのブログに実に同感するひとつの
洞察が書かれてあった。

<普段の生活の中で肉を食べていても、死や血を目にすることはほぼない(中略)売られている肉は、動物の匂いも生死も連想させない別物の「肉」になっているように思えた。>

生命ということの何か、死ということの何かを蓋をして見ず、または気づかずに美味しいところだけ頂く、というのは利己的で容易な生き方である。日常の食卓のために考えることなくスーパーにて購入する肉パック。そこには確かに血の臭いはない。
近年の人間世界、生活姿勢自体、人間のみ小奇麗に生きるためにすべての自然をそれに従えてきた、そんな感じがする。
人間というのも自然の一部であり、血と肉の塊にすぎず、しかも他の生き物の生命を頂戴しながら生きているという実感。狩りをしてやっと仕留めた獲物をすべて大事に頂戴するという生活をしているのは遊牧民族やエスキモー達だろうか。
人間対動物の暗黙の上の了解と神聖なる掟。
それはスペインの闘牛文化に未だ残る生死への直視である。
このような根源的な定義は当たり前のようでありながら気づかず通りすぎる事実である。しかしこれは実は生きる、己を見つめる、真実を模索する、という作業をする芸術家の心の琴線が敏感に反応する生死の問題であるような気がする。
近頃アレが追求しているmucca squartata (ばらした牛肉)のイメージ。
今までの抽象形と肌合いある色彩的イメージとは裏腹に忽然と血肉の臭いのするイメージを描き出したのは夏が終わった頃からであろうか。
アレの中にあるイタリアのルーツが再び浮上しているのがわかる。
昔からばらした牛や豚ソーセージや血のしたたるビステッカのイメージを描きたいと
いう思い、念願かなって今没頭している。
作家の真に描きたいイメージが必ずしも展覧会のために制作する作品と一致しないことはままある。現在の制作状況はまさにそんなところ。
このイメージが消化ー昇華ーされてどのような作品へと向かっていくのか今のところ
未知である。

f0097102_19595252.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2009-01-17 20:38 | Arte di Ale(アレのアート)


<< 今日の感慨      ボルジア家発祥の地ー華麗なる町... >>