トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

jamarte.exblog.jp
ブログトップ
2009年 03月 23日

人と人ー最初が肝心である事実


15年間過ごして来たトスカーナのフィレンツェという歴史的に重要な街の郊外にある葡萄とオリーブ木とお城のあるキャンティという地方のある集落での生活。
住み出した当初は思っても見なかったが、踏み入れる足の順番を間違えたようである。
私は日本人。外から見るとどうみてもじっぱひとくくりの東洋人。
そして主人であるアレはフィレンツェ人。彼もこの地では歴史的に見て征服者の「よそ者」である。この事実は15年経た今でも変わらない。
二人仲良く毎日が夢心地の数年は周りの人間など目に入らないものである。
ふと気がつくと家の周囲に住む人たちはどこかとげとげとしている。我々よそ者の存在が
気にくわない、という暗黙の目線があるのである。そしてややしてわかったのは我々の
大家さんの借家には今まで勝手放題、我関せず縁のよそ者ばかりが住んできた、という事実。
あーだからあんなに疑心案儀の視線を感じたのだな。
しかし数年、害なく静かに暮らす我々はすんなりとbrava persona 「感じの良い人たち」として
受け入れられた。というより空気のような存在として。会えば丁寧に挨拶する存在として。

そして娘が生まれてからこの小さな集落の一員として認められたのは彼女のみである。物理的に
この地で生まれ育つ未来に生きるcastellana(城の住人)として。
しかしこんなに長く住んでいて最近思うのである。
最初の第一歩を間違えたのである。
最初からもっと親しく、一個の人間同士の付き合いをしていたら今の我々の状況も変わっていた
に違いない。
無名のよそ者として入ってきた無機質の付き合いの数年はその後の10年間の生き方に制限を
与えているのである。いつまでたってもpittore (画家)であるアレ、orientale(東洋人)である
私がいる。名前で呼ばれることのない15年間の付き合い。お互いに踏み入ることのない一線を
ふまえた全く問題ない関係ではある。しかしそこから何も生まれないのである。

これはもしかするとこの街の問題かもしれないが。すべての「よそ者」ー外国人に限らず、フィレンツェ人にせよシチリア人にせよ皆が感じるこの土地の閉鎖性。
今度家を引っ越す場合は最初に踏み入れる足の第一歩を十分考えようと思う。最初から地元の
人との関係を重んじようと思う。一歩間違えるとその修正はほぼ不可能であるだから。

都会の人間、田舎の人間、人種の違い、それがたった20キロ離れた街から来たにせよ、何処にもある人々の偏見、閉鎖、noi e loro (我々対彼ら)の敵対関係、などなど人間関係の難しさ、なかなか一筋縄ではいかないものである。
自然の美しさのおかげで無視できるこのどろどろした人間関係の難しさ。そういうのも生きている証か。

f0097102_5305212.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2009-03-23 05:32 | Vita (人生)


<< 偶像的tabernacolo      Gianni のbook >>