2009年 05月 07日

自然の作為

モンテフィオラーレの城塞を下ったすぐのところにある人知らず存在する荒野原。
その昔は葡萄畑として使われていた我が家の大家さんの手元に残った唯一の土地である。
足を踏み入れることも困難なほどイバラや雑木にあふれた見捨てられた空間であった。
この週末やっと人若い植木屋さんを入れて雑木を払い、その姿を現したPioppoの森林。
Pioppoというのは辞書ではポプラとあるが。

人と自然がまさに共同体であった昔、葡萄の木をはやすのに使われたPioppoの木。
葡萄の蔓をつたわせるために使われた木。
蔦をつたわせ葡萄の収穫を容易にするために人の作為により左右に平行に延びて
いくように育てられたその枝振りは人間と自然の不思議な共同作業。
自然が人の作為をあたかも自分のために受け入れるかのように。
自然の順応性、生命力の力強さ。 何年かかってこんな姿となって存在するのか。
人の手を借りたそのデフォルムされた姿はしかしなんとも美しい。
Pioppoが互いに手をつないでひとつの大きな森林空間を作っている。
まるで風に流れるままの形のように。

自分の勝手に木を植えて自分の勝手に木を伐採する大家さんであるのでこの森林
の行く末に心痛む。
もしかするとすべてをゼロに伐採するのでは。
このような自然の作為の神秘を目の前に心動かない人がいるのだろうか。

どうかどうかこの Pioppoの命が守られるよう心から祈るばかりである。

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by jamartetrusco | 2009-05-07 02:03 | Natura (自然)


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