トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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2009年 10月 15日

カラヴァッジョとベーコン、今日の感慨

イタリア、バロック画家の代表とも言えるカラヴァッジョとアイルランド生まれの画家フランシス・ベーコンを組み合わせた展覧会がローマのボルゲーゼ美術館にて開催されている。二人の時代も文化背景も全く異なるこの画家を並列して見せるというアイデアはある意味で現在の美術の見せ方を示しているようである。美術に東西、古今を問わずにその価値をひとつの焦点のもとに見せるという学芸の一志向である。従来行われて来た学派による展示、同時代の傾向を見せる展示、ある画家一人の作品紹介、などなど過去に様々な展覧会企画が試みられてきたが、時代と文化、国を越えてひとつの接点を見いだすという企画はすべて種も技も出し尽くした展覧会のあり方に飽きてきた現在に残された手段の一つであろう。
ともすると曖昧な選択肢による意味のない展覧会になる危険性もある。こじつけ?としか見えない後からの言い訳的展示主旨にもなりかねない。そしてお互いの作品を殺し合う結果ともなりかねない。

いったい肉体と精神の葛藤に表現のエネルギーをぶつけた400年の隔たりのあるふたりの画家の作品をつなぐ糸は何か?カラヴァッジョとベーコンに通じる日常の常識や平穏無事に身を寄せない生き方やダイナミックな表現方法、カラヴァッジョの明暗、chiaroscuroの表現様式、ベーコンの黒いキャンバスと叫びのある人物、生と死への直視、眼にする絵画は全く別物であるが、表現の背後にあるエネルギー源はどこか共通項があるようである。
このふたりがいずれも生存する画家であったならそれぞれが異議申し立てを唱えたに違いない。
この展覧会、どちらの画家も好きなので是非開催中に訪れてみようと思っている。
実際に並列された作品を見てから善し悪しを決めたいと思う。

美術評論家、批評家や美術館学芸員、ギャラリスト、美術を手段に仕事をするこれらの職種の人々に対してどこか言いようのない不満と諦めの気持ちがある。
自身の美術に関わる仕事をしているのでその分野への感心は多いにあり、また夫も画家であるから
実際に生きる術をいかに見いだすかなど日常の悩みと絶望感の源でもある。
どっぷりと美術につかりながら一体なにをして美術の上下の価値を決めるのか、わからなくなってきたこの頃である。
作家、芸術家などというのは職業に成り得ない。一人の人間の人となり、生き方、哲学である。
批評家にあれこれ言われるような状況に自身を晒して作家としてどれだけの満足感があるのかもわからない。ファクトリーのような他の多くの人々の力を借りた作品ではなく久々に(もしくは初めて自身で)筆を取って自作絵画を発表したダミアン・ハーストへのほとんどの批評家からのブーイング反響を読んで、批評家というピラニアのような軍団に寒々しいものを感じた。もともとあまり好意を持たない作家であるハーストであり、メディアを使ったその戦略は最後には自分の落とし穴となることは明白であるにせよ、作家が新たに作品を作りだすことのエネルギーは並大抵ではないのであるから。

ベーコンもカラヴァッジョもその意味ではまわりの反応や批評など蹴散らして自らの表現の許すままに人生を生き抜いた作家であることは間違いない。

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by jamartetrusco | 2009-10-15 22:38 | Arte (芸術)


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