2010年 03月 02日

革命の起こるとき

1910年代は前衛美術が最も活気づいた時代である。
現在でもなお新鮮なエネルギーを持って訴えてくる
様々な美術運動が生まれたのがこの時代である。
キュビズムのパリ、シュプリマティズム、構成主義のロシア、
デ・シュティールのオランダ、未来派のイタリア、青騎士のドイツ。
建築からデザインまでの総合芸術の構築を目指したバウハウスが
生まれたのもこの時期である。
産業革命による良きにせよ悪しきにせよ機械文明という
画期的文明革命から派生してきた表現様式のユニークな発露だった
のだろう。ルネサンス時代もしかり。中世のカトリック教に支配された
宗教的表現からカトリック以前のローマ遺跡に残る美術様式に開眼され起こってきた
芸術様式がいわゆるルネサンス様式である。そこにはメディチ家のような新興経済の
介在があった。従来のパトロンに対抗してトスカーナを制覇することになる
この家の力は他に類を見ない。そこにはプラトン・アカデミアの哲学的支えも
あった。芸術と思想が統合するときに生まれるエネルギーである。
前衛が台頭するには物理的、精神的大革命が必要なのだろう。

1910年からちょうど100年経った今は、次世代へつなぐ精神大革命もなければ毒素を
含んだ社会と文化の物理的混沌ーカオスもない。あるのは画一化され、奇麗ごとに飾られ、
そしてとりわけ細部に渡って多様化したネット、消費文化のみである。
それを見えないビッグブラザーのようにすっぽり被っているのは国の領域を越えた
個人の力ではどうにもならない弱肉強食の経済法則である。
前世紀にまだ可能であった骨のある作家が貧乏をものともせず制作する余地など残って
いないかのようである。

何もなくてもなんとか暮らせるような孤島はどこかに残っているの
だろうか。そのような孤島も自分で購入しない限りすべて観光産業の渦の中に巻き込まれ
一種のディズニーランドとなってしまっている。
以前は暮らし安かったイタリアもすでにユーロ圏の画一的物価高の国である。昔は良質と安価が特色だった田舎の生活(とりわけトスカーナ)もマルチ経済の投資の対象となり、名もなき農家の人々が住んでいた家々は今やツーリスト相手のホテルアパートトと化してしまい、出元の怪しいお金が入り込む格好の地となりかわってしまった。

すべてを捨てて畑でも耕して自給自足の原始的生活を送りたい気分である。
次に来る大革命を見る機会はあるだろうか。
それとも心の革命を求める自分があるだけなのだろうか。


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by jamartetrusco | 2010-03-02 19:37 | Vita (人生)


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