トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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2010年 11月 24日

象徴としてのひまわりの種

ロンドンのテート・モダンのターバン・ホールでのアート・プロジェクト。今回観たのは中国の作家アイ・ウェイ・ウェイのひまわりの種プロジェクトである。彼は一昨年の北京オリンピックの競技場の鳥の巣ような建築をデザインしたことで有名だが、元々はインスタレーション的彫刻作品を作る現代の作家として世界的に認められている。中国大陸のアーティストが時とするとグローバル化した現代アートの傾向を単に模倣的追従するだけのものに終わる中で、異色なエネルギーを見せている作家である。父親が毛沢東に意義を申し立て度重なる弾劾と迫害を受けた知識人であることもこの作家の制作哲学を見る上で見逃せない事実である。
今でこそ資本主義を自国の発展のために利用した経済政策を打ち出し、世界の経済大国にのし上がった中国であるが、国の根底は未だに独裁政権と貧富の著しい落差、人権侵害、言動の自由の制限の上に成り立っている。アイ・ウェイ・ウェイは自国の長い歴史と文化を再評価し、その中にある矛盾と困難を直視する。その表現はアートに興味のないものでも大変理解しやすいものであると言える。

ひまわりの種プロジェクトは過去5〜6年に渡って実現されたもので、要を言えばたひまわりの種をホール一面に埋め尽くしたインスタレーションである。何が特別かと言うとこの原寸大のひまわりの種は本物のように見えて実は磁器製であることである。いったい何個の種かできているのだろうか? 少なくとも一億個はあるだろう。
これらの種は古くから陶磁器生産で有名な景徳鎮にてこの2年半をかけて2000人足らずの職人の手を借りてすべて手作り、手描きにて制作されたものである。制作過程の簡単なドキュメンタリー映画を上映していたが、今では往年の繁栄の見る影もない景徳鎮の寂れた感じの窯業場で、ほとんど家内工業に近い職工達が毎日毎日無数のひまわりの種を作っていく様子はユーモラスでもある。手先の器用さは抜群であるから摘むのも技がいるような種の型をした白地の磁器に筆で上手にひまわり独特の筋を描いていく。内職として家事の傍らに家に持ち帰って作業する女性達もいる。これらの人びとは一律にいったい何のためにこんなにたくさんの数のひまわりの種を作るよう頼まれたのかわかっていないのだが、仕事とお金をもたらすということでこの作家を「ひまわりの種」の人と呼んで歓迎したらしい。あるひとつのダイナミックな芸術形体の制作とそれに協力する無名の人びとの日常作業の超現実的な交わりが面白い。
毛沢東が自身を太陽とし、中国人民はその太陽のある方向に向くひまわりである、と喩えたプロパガンダヘのひとつの異議申し立てとしても取れるこのインスタレーション。当初は種の絨毯の上を人びとが歩き、触ることによって体験できたのだが、踏まれた磁器製の種から細かい粉塵がたちのぼり、それを吸い込む観衆の健康への危惧から衛生法によってその場を歩くことは禁止されてしまった。今はただ外から観賞するのみであるのが残念である。10数億の人民を象徴するひまわりの種、国の力の影に踏みつけられる多数の人民の存在、という意味も含まれていたに違いないから。

ほとんど色のない灰色の世界。灰色の無数の粒からなるこのインスタレーションは寂とした白黒の大海原を視るような美しさがある。。簡素な形体が集まった中から生まれる不思議な光景とそれが象徴する風景。概念的ではなく本能的理解を促す。

大きなスケールのプロジェクトであるが何と言っても中国製であるという事実は過去の多くのプロジェクトよりも費用がかからなかったのでは、と思うのは下世話な想像である。

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by jamartetrusco | 2010-11-24 00:27 | Arte (芸術)


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