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トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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2011年 08月 15日

送り火

明日は送り火。五山の焚き火は例年晩夏を象徴する行事であるが。今年は8月に
入ってからの猛暑が連日続き、まだまだ夏真っ盛りである。
京都はこの2週間に渡り七夕の祭りが町の川沿いを灯している。
ついこの数年始まった夏の催しで歴史の重みはない。祇園祭と送り火の
合間の観光推進事業だろうか。
とはいえ夏の祭りはどんなものであれ楽しい。夕暮れ時から灯される明かりは
水に映えて美しいものである。と思って足をのばした。
しかし三条大橋から四条にかけての鴨川沿いに置かれた笹の木に七夕の星の
銀河にちなんでつけられた白っぽい点灯はいかにも風情がない。
床を彩るぼっーとした暖色の丸点灯と不調和である。
まるで品のないクリスマスツリーみたい。
なんでこんな風情のない光を考えつくのだろう。
がっかりして早々に三条にむけて戻るものの、今度は三条から御池通りに向けての川岸にある
丸い竹籠の中を灯す明かり、風とともにちりんちりんと微かな音色を出す風鈴がつけられて
ころころと転がるのを見た。
こちらはやっと京都らしい美しい風景を作り出していた。

脈々と繋がる時の流れと人の魂の根源に根ざしていない祭りはどこか薄っぺらである。
そこに美しさがなければおいておや。

明日の送り火も今年は陸前高田の被災した松の薪を燃やす燃やさないで議論を
醸していた。放射能汚染された可能性のある薪を燃やすことへの批判、そして
燃やすのを中止した送り火の保存会への批判。最後には結局松の代わりに
燃やそうと別の薪が届いたのだがそれらからセシウムが検出されてやはり断念という
こと。
汚染された木を供養のためとはいえ別の土地で焼くというのは現実的でない。
松に願いを混めた方々の心からの願いは本物である。
しかし汚染された薪というのはまた別問題であると思う。
心情の要因だけでこういった現実の問題を直視せず、議論を醸し出す場を作ること自体
どこか感情的であると思う。

震災でなくなった方々への心よりのお祈りを込めて今年の送り火はずっしりと重い。

送り火_f0097102_1193333.jpg


by jamartetrusco | 2011-08-15 11:12 | Paese (土地柄)


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