トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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2006年 04月 07日

私とイタリア

今日は少し私のことを書こうと思う。イタリアへの情熱の始まり、何故イタリアへ、そして主人との出会いなど。あまり感傷的にならずに。

話せば長くなるが、最初にイタリアに惹かれるきっかけはイタリア・ルネッサンス美術である。
小さい頃から絵画を見るのが大好きで、家にあった西洋美術図鑑と日本美術図鑑を毎日のように眺めていた記憶は鮮明である。その内15歳頃か、高階秀爾著
ルネッサンスの光と闇―芸術と精神風土という本を図書館で借りた。この本がある意味ではフィレンツェ・ルネッサンスへの開眼となった本である。とてもわかりやすく書かれており、ルネッサンスの人文主義について、ボッティチェリについて、またイコノロジー(図像学)について書かれていたと思う。私はロレンツォ・イル・マニフィコ、ボッティチェリの虜となった。
そしてその頃テレビにてレオナルド・ダ・ビンチの生涯を表したイタリア、フランス合作のTVドラマシリーズを毎日30分ずつ放映していた。



Life of Leonardo Da Vinci (2pc)

そのためルネッサンスの象徴的存在であるダビンチにものめり込んでいった。それからはとにかくルネッサンスに関係する、イタリアに関係する著書はかたっぱし読んでいった。




辻邦生のボッティチェリの生涯を小説風に書いた「春の戴冠」
春の戴冠
そして「背教者ユリアヌス」(これはローマ時代の皇帝であるが)。



背教者ユリアヌス




たぶん辻邦生が着想を得たのであろうロシアの作家、批評家メレジコフスキー、Dmitrii Sergeevich Merezhkovskii (1866-1941) の歴史小説三部作「キリストと反キリスト」の中の一部でダビンチを語った「先駆者」(これは見つからず代わりにもう一部の「背教者ユリアヌスー神々の死を掲載する)
背教者ユリアヌス―神々の死

今ではベストセラー作家であるが当時は限られた読者ファンをつかんでいた塩野七生著
チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷

同著者による
塩野七生ルネサンス著作集〈6〉― 神の代理人








ブルクハルトのイタリア・ルネサンスの文化〈1〉

イタリア・ルネサンスの文化〈2〉








ヴァザーリ著
ルネサンス画人伝
などなど。



他にも挙げ出したらきりがない。上記の著書はルネッサンスの知識を得る上で第1歩の書としてお勧め。余談だが、私のイタリアの美術の好みも変化し、ジョット、マサッチョ、ピエロ・デラ・フランチェスカなど初期ルネサンスの画家にひかれ、その後はブロンズィーノ、ポントルモなどマニエリズムの作家に興味をもつようになった。今でもダビンチはまだまだ知るべき奥義がある。
このイタリアルネッサンス美術への思いはイタリア語を学ぼうという熱意にも走り、大学では第3外国語としてイタリア語を上級クラスまで取得。その当時中級はたったの4人、上級クラスはなんと私一人の授業。今のイタリアブームを考えると信じられないこと。当時の夢はこのようなルネッサンス絵画と対面できる絵画修復家になること。しかしこの思いとはうらはらに大学卒業後はロンドンに留学。美術史や美術業により興味が出て来て、それなら国際的なオークション会社のあるロンドンへ、ということになった。その後美術の勉強、画廊での仕事などなど紆余曲折を経て、結局一度は日本に戻り、某美術商と仕事をすることとなった。しかしその仕事をきっかけにまたイタリアとのつながりが出て来た。仕事を通して何回もイタリアに足を運ぶことになり、また私のイタリア熱がぶり返した。
常に頭の中に「絵画修復」を試してみたい、という願望があったので93年の夏おもいきってフィレンツェへ「修復」1ヶ月コースを取るため2ヶ月ほど渡った。そしてその夏今の主人であるアレッサンドロと運命の出会いがあったというわけ。
彼との出会いもまた本当に運命的で修復のコースの始まる前に海辺の街オルベテッロOrbetelloにイタリア語学習に行ったのだが、その時に滞在したアパートの大家さんの友達の友達だったのである。それもこのアパートに滞在するはずだったのは実は私ではなくオーストリア人の男の子だったのだが、学校が間違えて私にも同住所をあてがったのだ。ところがせっかちな私は約束の時間より早めに現地に到着。早々にそのアパートに身を落ちつけていたので、おそくやってきたそのオーストリア人がアパートを変えることになったのだ。もしそこに滞在することがなければ今の主人とは会っていない。人生って本当に不思議な縁というのがあるのですね。
美術を愛する私と画家としての道を歩み出したアレとの人生の行程はそこでクロスしその後足並みをそろえ今となっている。
今でも不思議に思うのは小さい頃からの夢だったフィレンツェの街の画家と結婚し、そしてこの地に住むことになったこと。今では花の都ならぬ暗黒の部分もたくさん見え始め、イタリアはすべて薔薇色の国ではないけれど、それでも自分の想いが貫かれたということだけは事実だ。

「夢」は絶対に捨てないこと、これは人生の鉄則のような気がする。


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by jamartetrusco | 2006-04-07 17:51 | Vita (人生)


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