2012年 03月 06日

ミニマルになっていく過程

風景画ばかり描いていても、というジレンマは存在する。
今年は特に展覧会開催の目前の目標がないため制作の刺激は
去年ほど強くないかもしれない。
しかし制作者はどんな時でも制作しなければいけないのである。
それを滞ったら一体なんのために制作者、ものつくりとして
提言できるのだろう。
制作者として歩む者がもし「作ること」をやめたら生きることをやめたことになる。

今年はアメリゴ・ヴェスプッチの没後500年周年の年であるので、彼の航海士の
子孫が住んだとされる我が大家さんの家が興味の対称になるのでは、という
こともあり、空きスペースで展覧会を開催できないかと提案中。
でも大家さんの家の屋根やら外壁やらの大工事でなかなか前に進まない。
春先からopen studioの形で作品展示を試みたいのであるが。

風景画を続けることの意義を考えた。何故まだ風景画か。
それは限られたテーマを掘り下げて行くことの価値を考えるのである。
制作するものは無限の可能性を与えられればかえって何を描いて良いのか、
案外戸惑いを感じるのではないか。
ルネサンスの画家が教会や法王、または豪商などのアートパトロンの
注文で描いていた時代、制限の中で傑作が生まれたということもある。
風景画というひとつのフォーマットに敢えて自身を制限することによって
深まる可能性というのもあると思う。
日本の茶の湯のお茶碗の小宇宙の追求のように。

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by jamartetrusco | 2012-03-06 04:35 | Arte di Ale(アレのアート)


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