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2012年 04月 15日

フィレンツェを訪れた日本ー美意識の違い

今週末から1週間イタリア各地で開催されているSettimana della Cultura—文化週間の期間は国立の美術館がすべて無料となる。毎年大体4月の半ば前後に始まる週間で、いつも観光客の列ではいりにくいフィレンツェの美術館などに入場できる良い機会だ。住民はわざわざ並んで入場料を払って行くには面倒なのでこの時とばかり私たちも家族でウフィツィ美術館に行ったりした。今年は特にピッティ宮殿内で始まったばかりの日本美術展を見るのが目的であいにくの冷たい雨降る土曜日足を延ばした。

ウフィツィ美術館の銀博物館内に設けられた一階会場にてまず見られるのは日本の古い美術品の数々。桃山から江戸にかけての屏風、絵巻、掛け軸、焼き物、鎧兜、刀、装束などなどフィレンツェではなかなか見ることのできない質と種類の日本美術の展観である。京都の細見美術館からの出展の屏風はその意匠の斬新さで目をみはる。そして国宝の刀や重文の茶釜など、一般のイタリア人がみても「何故これが国宝?」とたぶん理解できないだろう日本文化の粋と極めを見ることができる。問題は展示。この展示をイタリア文化とのコントラストとしての面白さと見ればまあ諦めもつくが、豪華絢爛なバロック的天井壁面装飾と厳かで繊細な日本の工芸美術はあまりにも違いすぎて戸惑いを感じざるを得ない。もちろん背景である建築の内装がそうであるのでそれは仕方がないことだ、しかしその後の展示ケースのデザインが問題。なにしろ展示ケースの外も内もすべて薄紫色、いわゆるライラック色の布地で張られているのだから。黒漆とか、彩色豊な装束やまたは寂びの美の象徴のような本阿弥光悦のお茶碗が薄紫色の背景では映えないのは当然のこと。日本側の学芸員の専門家の方々も展示の背景は白かグレーにしてくれと再三頼んだらしいのだが、展示担当のデザイナーの意見が大で全く聞き入れてもらえなかったそうだ。

そして二階の第2展示会場では日本の近現代の工芸が一同に紹介されている。
まさに日本の伝統とモダン工芸を代表する作家達の作品群であるが、これも展示が残念の一言。日本の色と思ったのか強い藍色のような展示ケースと背景。焼き物も金工も木工も漆もすべてこの強いブルーでかき消されてしまっている。白っぽい作品はまだ救われるが、微妙な色合いを出す金工や自然素材の木工作品に至っては悲劇。素晴らしい作品が集まっているだけにあまりにももったいない。作品の良さが半減する展示である。

この今回の展示をみてつくづくとイタリア人の日本美術に対する、いや日本文化に対する理解がないのだな、と実感した。すこしでも日本の美意識を理解しようという態度があればこんな色彩の選択をするわけはないのである。他の文化を理解しようとせず、自分の趣味を押し付ける、それを良しとせよ、という強引な態度にイタリアの国際性のなさ、地方主義的な意識の低さにがっかりした。こんなに素晴らしい内容の展覧会がフィレンツェ止まりというのも実に残念なことだ。
フィレンツェという土地柄もあるだろう。なにしろ15世紀メディチ家の恩恵に未だに頼りながら生き抜いているのがこの街である。他の国の文化の理解どころか自身の現代にも目を向けていない過去に生きる街の限界を
見る思いがした。様々な文化、美意識を理解することが実は自分の文化を理解することでもあるのだから。

あーあそれにしても光悦の「村雲」の茶碗が可哀想。

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by jamartetrusco | 2012-04-15 00:01 | Arte (芸術)


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