トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

jamarte.exblog.jp
ブログトップ
2006年 04月 20日

芸術家考

今の芸術家には大まかにふたつの分類があると思う。ひとつはいわゆるコンテンポラリー・アートという動向に敏感で、その世界に突出するために動きと信念を傾け、そのため必然的に賞をとり、有名画廊や批評家に発見され、世に出て行く。そして他の作家に対しても影響力が大であるアート界のエリートと言えようか。表現には土っぽさはなく、客観的、中性的、またコンセプチュアルになり、国際化していく。へたをすると一律化する危険性もそなえている。しかし現代のアートの流行を確実に担っていく作家たちである。
一方もうひとつのタイプの芸術家がいる。かれらは反対に生まれ育った土地に深く根ざし、そこからのみ生まれ得る土着的表現を追求する。故にひたすら主観的、アボリジニ的性格をもつ。現代美術で何が起こっているかにほとんど無頓着で、世に出ることなくひたすら自身の心のおもむくまま個的な真実を極めて行く。表現もそのときそのときの心の向くままに変化するので、アートのトレンドの中で把握するのは困難だ。己の小宇宙を形成しようとする作家たちである。
ところでアレは確実に後者の部類に属しているようだ。エトルリアに情熱を傾けていた時期、ダビンチの奥義に心頭していた時期、エルンストやダリに熱中していた時期、なにを表現していいか見えなくなっていた時期、そして最近のひとつの主題をきわめるシリーズ制作。すべてが彼の表したい自身の中の神秘につながっている。彼の仕事は技にこだわる職人のそれに似て、こつこつとしていて地道である。そして作ることをひたすら続ける姿は座禅を極める僧に近い感性がある。歩幅はゆうゆう、のろのろとした亀のようであるが、確実に自分の一歩を歩んで行く。現在のアートの表現はひとつの流行を追うあまり、斬新ではあるが表面的な、実体のない表現に陥る場合も多々ある。しかしそういった表現が受け入れやすいのも事実だ。客観性を重んじているので、批評しやすい表現だからだ。他方、己の生活、制作自体が軌跡となり、作品となっていき、点と線ではなく面で網羅していくような不器用でしかしどろどろとした実体のある表現。 これは作家そのものに触れて初めてわかるような仕事である。善し悪しではなく、私はこういう作家であるアレを毎日応援していきたいと思っている。

追想
芸術家とともに生きるというのは素晴らしい喜びと同時にむずかしさも共存しています。どこに辿り着くかわからない道を毎日歩み続けることのみ。でもとにかく「生きている」のだと、今日の春の太陽の日差しの美しさに感動すること、大好きなasfodeliが庭に咲き出したのを見て小さな喜びを感じること、庭を夢中にはいている行為、そんなところに生きている意味があるような気がします。人間の原罪は実は余分に「考える」ことにあるのかもしれません。


f0097102_40281.jpg




f0097102_45251.gif

にほんブログ村 美術ブログへ
☆One click ありがとうございます☆
[PR]

by jamartetrusco | 2006-04-20 04:02 | Arte di Ale(アレのアート)


<< Tazze ー 茶碗      かつて湖があったところ ー C... >>