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2013年 03月 15日

神聖の崩壊

3月13日、コンクラーベが開始されてから異例の早さにて新法王が決まった。
ローマ法王フランチェスコ、アシジの聖人フランチェスコから取った名前であるが
史上初めての法王名なので「何」世という番号もない。次にフランチェスコを
名乗る法王がでて初めて2世となる。
貧しき人々の見方の聖フランチェスコを模範とすると思えるこのアルゼンチン出身の
新法王は贅沢を避けて普段はバスを使って動き、草の根の教会活動をしてきた大司教
と聞く。元々イタリア系であると言え、初めての欧州出以外の法王。
すべてが初めてというある意味でカトリックを総括するシンボルとしての新鮮な始まりと言えよう。
前法王であるベネデット11世が高齢を理由に辞任するという異例の決断をしてから
あっという間に新法王が選出されている状況とは対照的に、2月の総選挙からすでに3週間
経っても未だに先の見えないイタリアの政治はまさに混沌の様を呈している。

さてこの前法王の辞任の決断について一言。別段カトリック信者でもなんでもないが
日本にて幼稚園から大学までカトリック系の学校に通った者として、今回の法王
辞任は今ひとつ納得できない。
法王というのは職業ではなく信仰の究極のシンボルである。カトリックの信義と様々な
儀式とすべて担って全世界のカトリック信者の支えとなる神木、大黒柱である。
その法王がまるで普通の仕事人のように高齢になったら引退して余生を静かに過ごす
(新居にてピアノを弾き、本を読み余生を送っているということ)というのは
まるで自身の教義と存在自体を否認したようなものと思える。
信じること、極めて悟ることは身体の問題とは別のはずである。
高齢で思うように職務がこなせないというのは普通人の言葉であろう。
1世紀ローマ時代に始まり266代目の現法王までの長い歴史がひとつ変わってしまった。
心が物質に屈した、神聖さを崩壊させたとしか思えない。

カリスマなき時代、神聖がどんどんと薄まっていくこの21世紀ならではの結末と
言えようか。
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by jamartetrusco | 2013-03-15 20:19 | Paese (土地柄)


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