トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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2006年 05月 30日

Crepuscolo - 黄昏時 

だんだんと日が長くなっていくこの時期の黄昏時の美しさ。夕食をテラスで食べる時、まだ日の光の残る大気の中で夕焼けにそまる空。Rondone (アマツバメ)が空から急降下でとびかう瞬間。

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イタリア語で黄昏のことをCrepuscoloと言う。大好きな言葉である。この言葉から浮かんでくるのはミケランジェロの傑作「黄昏」。
メディチ礼拝堂のsagrestia nuova(新聖具室)内、メディチ家の墓碑の中の老人を象った「黄昏」ーcrepuscolo−の彫像である。夜明け、昼、黄昏、夜の4つの時を表すアレゴリーの中のひとつだ。 1527年にローマの劫略が起こり、フィレンツェも、メディチ家復活をはかる皇帝派、教皇派軍との戦いに巻き込まれ、ついに最後の共和国が倒れることになる。共和派として戦ったミケランジェロは最後には敵前逃亡をした。そして最後には敵であった当時の教皇クレメンス7世にも命乞いもすることとなる。この屈辱、自己嫌悪に苛まれた晩年のミケランジェロ。この墓標の彫刻群にせよ、未完成とされる奴隷や、ピエタの像にせよ、そのような彼の憂鬱な心の葛藤が現れているようだ。


想いは飛んで、ルネサンス人文主義の学者たちのメランコリー憧憬へ。彼らの説いたのは、人間には粘液質、多血質、胆汁質、黒胆汁質(憂鬱質)の4つの気質があり、そのいずれかが優位になってある人の気質が決まってくるのだというヒポクラテスの説に基づいおり、従来は否定的な気質とされてきた憂鬱質ーメランコリアを、理想とする「瞑想的」人間像であると再認識したのである。内省的で知的、芸術志向の気質、すなわち芸術家、哲学者、学者などはこの憂鬱質の優位のもとに生まれると考えた。 デューラーの残した羽をつけたメランコリア像の銅板画も象徴的なもの。まさに考える人の系図。黄昏はまぎれもなく憂鬱質と言えるだろう。

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私もその昔、メランコリアに憧れた。内省的な性格だったので、それを肯定的に認識するこの思想に惹かれたのだと思う。自分は芸術家気質なのだろう、と。今から思えば青春期の単なる憂鬱思考だったにすぎないかもしれない。
黄昏、というひとつの言葉から、釣り糸にひかれるように奥底にあった心の一部が表出してくるものだ。

イタリア人というと、明るい、陽気というイメージがどうしてもついてくるが、フィレンツェに関してはそんなことはないと断言できる。まさにルネサンスの精神を受け継いだ黄昏、メランコリーがその奥底に秘められている。

黄昏からの独り言。



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by jamartetrusco | 2006-05-30 18:17 | Vita (人生)


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