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2006年 06月 02日

Modernism ーモダニズム展によせて

ロンドン紀行の続き。

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今回紹介するのは、世界でも工芸美術館として名高いヴィクトリア・アンド・アルバート美術館で7月23日まで開催の「モダニズム」展。原題は”Modernism: Designing a New World 1914~1939". モダニズムという言葉はポスト・モダンという言葉とともに現代のデザイン傾向をあらわすのに頻繁に使われているが、実際の意味の理解は案外と曖昧である。この展覧会では社会生活の芸術的創造という意図において、モダニズムがどのような展開を見せたかを主にヨーロッパを中心に展開するものである。


21世紀を迎える今でも、我々の住む環境は建物から、生活する上での椅子、器まですべてモダニズムの影響下にあるといっても過言ではない。産業や機械の活用、一般民衆のための住宅造りなど、より良いユートピア世界構築のために、ある種の信念のもとに世界をデザインした時期であり、1914〜39年という歴史的にもロシア革命の勃発、また大戦を挟んだ世界の大変革の時代である。この時期のデザイン、建築、映画、絵画、ファッション、工芸などに焦点を合わせ、モダニズムの理想を追求する。この中にはバウハウス、コルビジェの建築を始め、ロシアの構成主義やプロパガンダ・アート、イタリアの未来派など建築、デザイン、アートの分野での後世多大な影響を与えた重要な動きが含まれている。

反伝統、反アカデミズム、反装飾性ー世紀末、世紀初頭の耽美的、装飾的美学をすべて一掃して、簡素、効率性、アバンギャルドを求めたモダニズム。今みてみると、現代の画一的な集合住宅やなんでもプラスティックでかたずける安価、大量生産、産業重視の日常品など、私的な見解では、悪の権化のような社会の創世はこの時期に生まれたのだと、つくづく思った。フリッツ・ラングの不朽の名作「メトロポリス」の映画がいみじくも描いた人間が機械の一部となり、支配される、無味乾燥とした巨大な機械社会の独裁が、日本も含めて戦後の何十年か先進諸国を被うことになる。モダニズムの誕生当初が目指した理想的ユートピア社会の跡形もない。

モダニズムの本来の姿とそれとはうらはらのその後の展開を考え、理想というのはいかに現実化しにくものか、というのを痛切に感じた。ロシア革命時の純粋な理想社会も結局はその後の独裁政権にもみ消された。

現代の社会は今後どのような方向性を持ったら良いのか。世界の富の不均衡、根の深いイスラム社会とキリスト社会との軋轢、環境汚染の問題、地球の温暖化などなど、二つの断層に分かれてしまい、解決不可能に見える大きな重荷に押しつぶされそうな今の世界。思うに、そろそろ大革命が必要な時期にきているような気がする。モダニズムが世界を変えたように、今必要なのはモダニズムが作り上げたものを壊すことではないか、と。石油に頼る社会構造を根本からくつがえす必要がある、太陽熱であたためる家、水で動く車、環境を汚染する素材から自然に還元される素材への移行。60年代に信じたいっとき可能かに見えた理想境はナイーブなものとして力を落とし、富と権力の勝つ物質的な80年代を経て、混沌とした21世紀を迎えている。インターネットが支配する今の世界。本当の意味の革命は個人レベルで起こしていくしかないのかもしれない。

イタリアの痛烈な風刺や言葉で知られるベッペ・グリッロ(Beppe Grillo)が自分のブログで問いかけていた。「明日からShellやEssoのガソリン・スタンドをポイコットをしよう、ひとりづつの小さな行為により、この巨大オイル企業へと対抗することが可能だ」、と。現代の革命とはそういうことかもしれない。

モダニズム・デザインへの理解を深めてくれると同時に、この展覧会は社会について一考する機会を与えてくれた。

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by jamartetrusco | 2006-06-02 18:34 | Arte (芸術)


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