2006年 06月 07日
昨日紹介した修道院に入る前に中世のお城のような建物があってそこにはお食事処とカフェがあります。そしてそこにある小さな庭の池にはこんな亀が3匹生息しているのです。 最初に訪れたときも2回目に訪れたときもしっかり3匹、なかよく池の岩場に乗って甲羅干ししていました。結構大きなな亀さんで、それがおんぶ状態で構えているのを見て、思わず微笑んでしまうコミカルなその姿を画像に残しました。 今日は心に残った亀3匹によせての想い。 私たちも3人家族で、3人3脚の生活体系ができてもう7年目。今のわたしには主人のいない、娘のいない人生なんて考えられません。もちろん、あーあ独りのときはあんなこともした、こんな自由な生き方をしていた、なんて考えることもあります。若き日(今でも若いつもりだけれど)の様々なハプニング、女友達と遊んだ突拍子もない時間は時々懐かしく思い起こされます。それになにをするにもお金のかかり方も違う。日本に帰るにしても航空券の価格は3分の1で済む。馬鹿になりませんよ、なんでも3倍というのは。 そして独りなら適当に自分ペースの節約もできるし、浪費もできる。でも家族3人となるとそうはいかない。今の私達の生活、正直言って、とても自由で時間を自分で管理するという素晴らしい利点もあるながら、芸術家の妻、そしてわたしも美術の仕事という情熱だけが支えで収入は雀の涙、財政的には先が見えない、いつすっからかんになるかしら、などと不安な生活体制でもあるのです。持ち家などほど遠い世界です。でも、まーなんとかなるでしょう、といういつもの楽観主義と宇宙の見えない力を信じてこうして毎日生きている訳です。そして何も持っていないからこそ、精神的に自由である、どこにでも住める、というボヘミアン精神もまだ持っていられる。 アレとは思えばともに生活し始めて、年数回の出張や日本へ娘とだけ帰った2回の夏以外は、毎日朝から晩まで顔を合わせて生活している。よく考えてみれば驚異です。ときどき会うという新鮮みも消える代わりに、互いに互いをとことん知り尽くしている、と言えるでしょう。良きも悪きも。そこにもうひとりの二人の血がはいった小さな新しい存在が加わりました。今のところ3つの円が重なり合いながら一つの円を作っているようですが、そのうちそれが少しづつ離れ、共通の空間とそれぞれの空間を保ちながら大きくなっていくのでしょう。まるでアメーバが延びたり縮んだりするように。無限の可能性を孕みながら。 母がいみじくも4月の私の誕生日に送ってくれたカード、これも偶然にも亀3匹の図。京都の細見美術館で見つけたカードで3人の無病息災を祈ってとのこと。なんだか修道院の亀さんを思い出しました。 ペースは鈍いが着実に前進する亀さんになろう。3人3脚をモットーに。
by jamartetrusco
| 2006-06-07 21:53
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