トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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2006年 06月 20日

Firenze Poesia - 遥かからの詩声

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昨晩フィレンツェの近郊の丘の上にあるVilla Reale di Castelloにてフィレンツェ詩の会が開催された。この会は毎年この時期に行われており国内外からの招待詩人を集め3〜4日に渡って詩の朗読会を提供する。開催場所は旧メディチ家のお屋敷。16世紀来存続するイタリア言語の研究アカデミア、アカデミア・デラ・クルスカの本拠地でもある。このVillaは普段は庭園のみ訪問可能で建物内部に入ることはできないので、詩の朗読を聞きながら屋敷内部も垣間みることができるというなかなか貴重な体験である。
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今回はイタリア、アメリカ、スロヴァキア、日本、パレスチナ、フランス、ジョージア、ナイジェリアの詩人達が参加。昨晩はジョージアの男性詩人と女性歌手、ナイジェリア(在アメリカ)の男性詩人、そして日本からの白石かずこさんの詩の夕べ。
詩というものは紙面で読むより、詩人が自らで語る方がはるかに力強い。それぞれの言葉の響き、どのように抑揚をつけるか、撥音の強弱、などなどによってひとつの言葉が音楽のようになって踊りだす。


f0097102_1936241.jpg特に白石さの場合は、能楽の謡のように、深く響く発声法であるので、話すときの声と朗読の際の声は一変する。帰る国のない人々の悲哀を歌った「今日のユリシーズ」ややコミカルで言葉使いの洒落た「きつつき」、そして「私と私」、「かもしか」。彼女の詩には独特のジャズ的なリズム、そして直裁でからっとしたエロス、そして悲哀と情緒のハーモニーがあるような気がする。

ナイジェリア出身でつい最近の災害,カテリーナの驚異が街を襲うまでアメリカのニューオーリンズに家を持っていた詩人のOsundare。洪水のおかげで自身と家族の命は助かったものの、すべてを失った。書籍の棚もコンピューターも、なになから何まで。その体験を語った「嘆く本」は切実としていて心に残る。

ジョージアの詩人はその言語の持つ力に圧倒された。あまりききなれない言語であるので意味は皆目わからないにせよ、韻をふむひとつづつの言葉の力強さ。アレの言うにはエトルリア民族は現在のジョージアのあるあたりから来たという説もあるので、この言葉の響きはエトルリア原語を読んだときのそれに似ているとのこと。

それぞれの詩人の詩の朗読の前後にイタリア語でその訳を語る役目の朗読家がついているのであるが、訳はわかるからそれは意味はあるとは言え、言葉の持つ効果は全く異なってくる。やはり詩というのは原語で読み、聞かなければ、と痛感した。それは詩に限らず、文学でもオペラでも映画でも同じことだ。ある言葉にまつわる国の文化、歴史、空気、情感はその原語をもってして伝わってくるものであろうから。

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言葉ということに想いをよせる心地よい夕べであった。

(サン・マルコ教会にての白石さん)
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追記:
明日から28日まで再びロンドンに行ってきますので、ブログは少しお休みです。
目と耳と心と知への感動を期待しつつ。
Ci vediamo presto!
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by jamartetrusco | 2006-06-20 19:47 | Arte (芸術)


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