トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

jamarte.exblog.jp
ブログトップ
2006年 07月 24日

波に想う

昨日日曜日、友人かつ、自転車娘フィレンツェを行くのブログのyossyさんがフィレンツェから電車にて2時間かけてわざわざ海まで遊びにきてくれた。とても嬉しかった。海辺での再会はどこか特別だ。町中での出会いと違ってなんだか心がゆったりと会話できる。海という広い懐のなかで凝縮されたひと時を過ごすことができるのである。

f0097102_1532851.jpg


海での休暇中に今までも色々な友達が訪れてくれた。日帰りできてくれた友人や何泊かしていく友人カップル、家族ー日本から、スイスからミラノからフィレンツェから。海で過ごしたこの友人達とのひと時は素敵な想いでとなって心に残っている。日常から離れて心身とも波に洗われるような体験。どこか違ったコミュニケーションとなるような気がする。これも宇宙に直結する海、波の威力だろうか。
子供の頃の思い出も海で過ごした時間が何よりも鮮明である。胎児がやはり母親の胎内で水に包まれて育つことからも、水への憧憬は生まれいづる記憶の糸につながっているのだろうか。
海という自然、考えるほど不思議なメカニズムである。あれだけ広大な海水がこの丸い地球を被っているのであるから、このよせる波はどこから来て、どこに行くのか。そして津波のような脅威として一瞬にして生命を奪ってしまうこともある。雨、川、海。水という構造自体の神秘。
そして海は異物を好まない。海岸の岩場などに行くとかならずありとあらゆる廃棄物がころがっている。プラスティックボトル、ゴムサンダル、発砲スチロールの箱、心ない海水浴者が置き去りにするゴミもあるが、どこかで捨てられたゴミが海に流れ、海はそれを飲み込むことができず当然ながら陸に吐き出するのである。すして次の大波のときにはまたそれを取り込んでそしてまた違う岸辺へ吐き出すのだろう。このような完璧にアンチ自然の異物を見ていると「ああ、人間だけがなぜこんなに自然の調和をこわすのだろう」とつくづく腹立たしくなる。
それにしてもプラスティックの発明は確かに現代文明の証であろうが、どれほど自然になじまない異物を造り出してしまったのだろう。日本のTV番組にて自然に解ける野菜からできたプラスチックの発明改良について紹介していた。これは是非促進してもらいたい。

波をながめ、波を触り、波に乗り、海を感じることによって、太古から未来への途切れることのない宇宙の流れを実感している毎日である。

f0097102_15304011.jpg




人気blogランキングへ
にほんブログ村 美術ブログ
[PR]

by jamartetrusco | 2006-07-24 15:37 | Vita (人生)


<< イタリア流夏の夜遊び(子供連れ編)      秘湯ならぬ秘海 >>