トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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2006年 07月 29日

Festa de l'Unitàーイタリアの7不思議のひとつ

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Festa de l'Unitàという夏のお祭り。イタリアの町の多くで7月終わりから8月初めにかけて行われる町あげてのお祭りである。といっても発祥は政治的。l'Unitàというのは現存する左翼系の新聞の名前である。PDS(社民党)と共産党支持の新聞である。戦後、l'Unità新聞の財政的後援と普及のために企画されたお祭りで、特に左よりの県、トスカーナとエミリア・ロマーニャにて広範囲に行われている。だからお祭りと言っても旧ソ連のシンボルである斧と星のあるイタリア共産党の旗があちこちに掲げられており、全体的に70年代初期の大学の学園祭のような趣き。お祭りに政党が関わっているというのは当初非常に不思議な気がした。左翼が強いということはイコール反教会という傾向となるので南イタリアのような宗教にかかわる大きなお祭りがあまり残っていないのだろう。トスカーナには守護聖人を讃えるお祭りはあるが、それは一日で終わってしまう。フェスタ・デ・ウニタは県の首都フィレンツェではなんと2週間も続き、レストラン、バー、コンサート、店、そして政党の主席まで登場して政治色とお祭り色と半々の深夜おそくまで続く大イベントである。

今滞在するドノラティコの町でも一週間開催されている。毎日ライブバンドの音楽とともに老若男女を問わず踊る。Ballo Liscio(スウィングダンス)もあればラテン・ダンスもある。そしてレストランは地元の人々が皆総出で経営する。バーベキュー、パスタ、典型的リボルノ料理の魚スープ、カチュッコ、などなど。バーも若者向けのビールバーでは共産党のシンボル曲”Bella Ciao”がかかっている。

お祭り好きなわたしとしては町中がかかわるこういう行事は大賛成だが、正直言ってお祭りに政治が入るのは大反対である。今でこそまさか共産党新聞や党の懐に祭りの売り上げが行くのではないと信じたいが、なぜ楽しむのに政党が入らなくてはだめなのか。宗教的な由来の行事のほうがよっぽど本物のような気がする。そしてもともと安価に飲食ができるのが売り物だったこのフェスタも普通のレストランやバーで食するのと変わらない価格である。多くの人が参加し、活気があると言えばあるのだが、どこか心から楽しめない。つまらない。

私が思うに戦後のイタリアの一番の問題は社会が左と右にまっぷたつに分かれてしまったこと。社会のすべての基準が左か右か、で決められているような気がする。社会ばかりか、芸術、映画、芝居もしかり。関わる作家たち、俳優達までわたしは左、わたしは右を支持する、という話題がでてくるほど。こんな状況では名作が生まれるはずがない。だから最近のイタリア映画、ビジュアル・アートは枯渇しているのだと思う。
なぜこんなに政治主流なのか。もちろんこれは人口の半分強の人に当てはまるのであり、すべてのイタリア人はこうではない。アレのように完璧に今の政治に嫌気がさしている人々も半数はいるに違いない。

それにしても人間の人生、社会の基準は別にあるのでは? 私は基本的にすべての人の自由と権利とを重視し、そして隣人、自然、宇宙になるべく迷惑をかけずに、できる限り知と感性を深め、美しいものを大事に、静かに生きたいと思っている。それには左や右である必要はない。自分の哲学、思想、そして過去の先祖たちの知恵を大事にしたいと思っている。
もっともイタリアは歴史的に二つに分かれて闘争するのが伝統にあるので(ギベリン、グウェルフィ派の戦いのように)これもまたイタリア文化のひとつなのかもしれない。

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by jamartetrusco | 2006-07-29 21:40 | Paese (土地柄)


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