2006年 07月 30日

時という概念

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海での休暇も残すところ今日、明日。明日おそくか明後日には帰宅予定である。
長い休暇と思っていたが、一ヶ月などすぐに経ってしまう。楽しいことは早く過ぎるというのは本当。時間とは相対的なものだ。そして楽しい日々の経過ー日本帰国の際もそうーは、最初の1〜2週間はゆっくりしていて3週間目あたりから時間の進行が加速していくと常に思う。まるで人生の縮図のようだ。子供時代に比べて最近の時間の経過の早いことよ。
なぜだろう。たぶん毎日味わう新鮮みというのが薄れていくごとに時間の経過も早くなってくるのでは、と思う。感性が研ぎすまされている時、新しい風景や事物や行動に新鮮な心持ちでいる時、そういう時には時間はゆっくりと過ぎて行く。ところがじょじょに感性が慣れてきて、常に感じることが同様になり、同じ行為を繰り返すうちに時間の経過が早くなってくる。だから子供時代は時がゆっくりと流れるように感じるのだろう。休暇もしかり。初めの新鮮みがだんだんと習慣性をもつようになるとあっというま、という感じになるのだろう。

人生をいかにゆっくりと、楽しんで生きるには、故に、常に新鮮な驚きや体験、豊かな感性を常に持ち続けることが秘訣であろう。なかなか難しいことだ。人間はどうしても習慣性を持った動物なので、毎日違った驚きを発見できる生活ばかり追求できない。それではどうしたら良いのか。思うにどんな些細なことにも喜びや幸せを見つけるようにして生きるのがひとつの方法だろう。ではわたしにとって至福感を得られるのはどんなものからか、家族のことはあまりにも明白なので改めてここでは触れないでおく。それ以外、自然との関わりから出てくるすべての実体験(あまりにも多くの感激があるのでひとつひとつ書いていられない)、良い本を読んだり良い映画を観たり良い音楽を聞いたり、そして良い芸術に触れるとき、自分の能力が十分に発揮できたとき、食事をしているとき、お酒を飲むとき、暑い日の後シャワーを浴びるとき、ベッドに転がり込むとき、などなど。
要するに五感に訴える本能的な何かが一番である。

一方、思考という行為は案外と幸せを生むものでない。未来に不安を感じたり、過去にくよくよしたり、他人の思惑などに心配したり、ああだこうだと想いを巡らすときというのはほとんどの場合、憂鬱、不安、恐怖、怒り、悲しみなどなどろくな感情が湧かないものだ。
人間は考える葦である、まさに人間の特性をついており、考えることが大きなメリットとされているが、最近考えないことのほうが良いような気がして来ている。毎日五感への喜びのみに生きる。なるべく考えない。雑念が生まれないようにするためにさまざまな精神修行もあるのだろう。
なんだかどんどん話題が逸れてしまったが、要するに雑念に惑わされず毎日の瞬時をいかに幸せに生きるか、そのための新鮮なる喜び、感激を常に持てる感性を育てていきたい。

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by jamartetrusco | 2006-07-30 18:28 | Vita (人生)


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