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2006年 09月 01日

レオナルド・ダ・ヴィンチー英国王室コレクション

今年9月14日から来年1月7日まで、ロンドンのV &A美術館にてLeonardo Da VInci: Experience, Experiment and Designとの展覧会タイトルにて英国王室所蔵のレオナルド・ヴィンチの手記を中心とした展覧会が開催される。イタリア、ミラノのアンブロージアーナ図書館所蔵のCodici Atlantico、そして比較的最近ビル・ゲイツが落札したことで話題を呼んだCodici Leicesterを含みレオナルドの残した素描入りの手記は世界に10個存在する。その中のひとつがこの英国王室所蔵の、600枚以上のページからなる膨大な手記コレクションである。他の手記にくらべて、レオナルドの画家としての才能を発揮したデッサンが多く含まれており、大変価値のあるもの。また驚くべきことに18世紀になるまでその存在も知られておらず、王室の櫃の底にしまわれていて、偶然にもダルトンという人物が発見したというのであるからますます探偵心をくすぐられる話である。

ではこの手記が何故に英国王室の手に入ったのか? その謎を探る興味深い記事がイギリスの新聞Guardianガーディアンの8月30日付けのネット紙面に載っていた。展覧会開催間近に控えての特集記事である。
記事は、いったいいつ、誰によってこの貴重な手記が持ち込まれたのか、血に被われたイギリスの17世紀の歴史を担ったチャールズ1世がスペインから持ち逃げしたのか、という疑問の答えを探り出す。

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レオナルドの手記は彼がフランスのフランソワ1世の下にて亡くなった後、すべて一番弟子であったミラノの高貴な生まれのフランチェスコ・メルツィに残された。しかし彼の死後その子孫はまったく価値がわからずレオナルドの手記もてんでんばらばらにイタリア、ヨーロッパ各地に散ることとなる。しかし16世紀後半、彫刻家ポンペオ・レオーニがこの手記を手に入れ、大事に修復、皮張りの本にまとめる。彼は後スペイン王室の宮廷彫刻家となる。

ではこの手記がいつイギリス入りしていたのか。ここで重要な役割を果たしてくるのがアントワープ出身の宮廷画家ピーター・ポール・ルーベンス。そのころのヨーロッパ、バロック様式を初めてイギリスに持ち込んできたチャールズ1世の依頼でホワイト・ホールの宴会広間の天井画も手がけている。チャールズ1世はルーベンスの他にも王の肖像画で有名なヴァン・ダイクやイタリアからジェンティレスキ親娘を招いている。
さてこのルーベンスはベネチア、マントバにて宮廷画家として仕え、イタリア絵画を学んだ後、フランス王妃マリア・ディ・メディチの生涯を寓話的に表した大作もなす他、ヨーロッパをまたにかけて勢力的に制作。また外交術に優れた才能を発揮し、ハプスブルグ家スペインの外交官としても活躍した。イギリスに渡った1629年もスペイン王と英国王チャールズ1世の和平交渉成立のためであったという。この功績をかわれて王より騎士の称号も授与されている。

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そしてレオナルドの今はなきアンギアリの戦いの模写を残しているのもこのルーベンスである。レオナルドの真の価値を知り、そしてスペインの王室のもとにあったレオナルドの手記を外交のために英国王のもとへ届けた。
ということでレオナルドの手記を持ち込んだのはこの画家ルーベンスであるに違いないという推測で記事は終わっている。

それにしてもレオナルドの手記は世界10カ所にも別れ別れに保存されており、また手記を残すことに一役買ったとは言え、このポンペオ・レオーニは自分の思うようにきりはりしてしまったこともあるらしく、レオナルドが考えていたような形ではまったく残っていないという事実。しかしこんような壊れやすく失いやすい紙の上の手記がこれだけ残っているのだけでも凄いことだ。
ひとりの天才の残した手記をめぐって、政治外交までに渡るなかなか面白い話である。
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by jamartetrusco | 2006-09-01 01:08 | Arte (芸術)


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