2006年 10月 20日
アントニー・ゴームリーAntony Gormleyは1950年イギリス生まれの彫刻家である。現テイトモダンの館長であるニコラス・セロータがWhitechapel Art Galleryの館長をしていた時代にゴームリーの才能を早くも認め、同ギャラリーにて1981年に個展を企画している。その後1994年には英国の作家の登竜門とも言えるターナー・プライズを受賞して世界的にも名を知られるようになった。常に人体を使って、それも自身の体の鋳型を取って彫刻にしている。日本の美術館にもその作品は多く所蔵されている。 彼の最近のインスタレーション"Another Place"は1997年以来ドイツ、ノルウェー、ベルギーでのインスタレーションを終えて、現在イギリス、リバプールの海岸Crosby Beachにて展示中である。今年11月まで展示されその後はニューヨークに移動の予定としている。しかし2008年にリバプールがヨーロッパ文化首都として主催地となることもあり、そのままこの地に永久展示しようではないかという文化人、地元の人々の希望が持ち上がっていた。なにしろこの彫刻のおかげでこの地への訪問者が1年半の間に60万人もあったというのである。 このインスタレーションは実に壮大である。100体の鉄鋳型の人体彫刻を3キロに渡りアイルランド方面を向いて点々と海岸線に設置。設置場所も様々で、海の引き潮満ち潮によって見え隠れする像もあり、海岸、海、空を舞台に人体と自然との調和と対比という人間の根源的テーマを写し出すものであった。今回の人物像も彼自身を型どったものである。 海を向いて静かに佇むこれらの人体彫刻。それぞれが深い想いに包まれて何かを凝視して、遠い彼方を見つめるかのようだ。そして傍らに見る者もいやおうなしに彼とともに彼方に視線を向ける。まるでイースター島の巨大頭像のように。古代から人は宇宙に対しての自らの軌跡をなんらかの形で主張するためにこれらの記念碑を作ったのではないか。 作家の言葉を借りれば、このインスタレーションは「忘れられつつある歴史の積層の間のつぶやくような対話」であり、「風景に、また人々の夢の世界に鍼灸をするようなもの」であるそうだ。 抽象的な表現ながらなんとなく理解できる。鈍感になりつつある感性や思考体系にほのかに刺激を与え、宇宙(海)という広大な器に根ざしながら、引きまたは満ちる人の生き様(じねん)に眼を向けるというような意図かと思う。 ゴームリーの言葉より。 彫刻とは: かたみ、記憶。 証人となるオブジェ。 空間と時間にしおりをつけるもの。 タブロー、物語における役者。 手段。 自己参照的な器。 人体として:美的、代理的、理想的。 素材においてその本質と構造を露にする。 発見されたオブジェ。 正式な命題。 ゴームリーの制作哲学は「ひとがた」の原始的な有り様、儀式的、祭儀的なシンボリズムの強いオブジェとしての人体彫刻という概念に根ざしているように思う。 ところでこのインスタレーションを永久的にこの海岸に置こうという案は座礁しそうである。というのも漁師やサーファーなど一部の人々が生活への妨害であると主張して予定通りの撤去を願い出ていて、どうも市がその主張を受認する方向らしい。先見のない利己的な人々の勝利とかなりの批判もでているらしい。 リバプールの観光名所ともなりつつあるこのインスタレーション。このまま設置したままにおくのも意義深いかとも思うがこのインスタレーションの本来の意図すべきところは「移動すること」にあろう。利害関係の問題は別にして、このような広大なインスタレーションは儚いからこそ意義があるように思う。蜃気楼のように消えてその残像だけが表現の重みとして心に残るほうが美しい。クリストの包みのプロジェクトのように。 次の開催場所ニューヨークはどのような場所を考えているのか。大変興味がそそられる。
by jamartetrusco
| 2006-10-20 21:55
| Arte (芸術)
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