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2006年 11月 23日

Devil in the Detailー細密画の巨匠

ロンドンの南部にダリッジという緑豊かな瀟酒な住宅街があるが、そこにあるDulwich Picture Gallery (ダリッジ絵画館)はレンブランドやプーサンなどの名画を含む小さいながらも優れた所蔵品のある絵画館である。1811年に設立されたイギリス最初の公共ギャラリーであり、建築もギャラリー展示を考えて設計された建物という歴史を持つ。最近ではイギリスの好景気の恩恵もあり、カフェができたり、優れた企画展がしばしば開催されている。
イギリス18世紀の画家ジョシュア・レーノルズ卿所蔵の「モナリザ」の最良の模写の展示も興味深い。レーノルズ自身この絵が本物であると信じていたらしい。確かにモナリザの表情などルーブル美術館蔵のものと変わらない出来である。しかし使っている木版の素材がレオナルドが使ったはずがないものである、ということで模倣と解明された、との説明があった。

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さて今回この絵画館にてアダム・エルスハイマーというドイツのバロック時期の画家の特別展"Devil in the Detail"(文字通りの訳は「悪魔的緻密さ」である)を開催しており、初めてその作品の芸術性の崇高さと神秘性に触れる幸運を得た。久々に驚きと深い感動を覚える作家との遭遇であった。

Adam Elsheimer (1578~1610)はドイツ、フランクフルト生まれである。32歳という若さでローマにて没。その短い生涯の中で、銅版に描かれた小さな細密な絵画作品ー通称キャビネットペインティングとも呼ばれる箪笥の部分を飾るために制作された絵画の伝統ーを残した。完璧主義とややメランコリックな性格の故、制作ペースは遅く残された作品で確実に彼のものとわかっているのは40枚ほどという寡作の作家である。経済的にも恵まれず多難な人生であったが、後世の作家に残した影響は多大であった。ルーベンス、レンブラント、クロード・ロランなどの有名な画家達の作品にその足跡はくっきりと刻まれた。特に同時期にローマに滞在したルーベンスは生前からエルスハイマーと交流があり、早逝の折に、ルーベンスは以下のような畏敬の言葉を残している。
「この偉大なる画家の喪失によって絵画そのものが喪に服さねばならない。彼の芸術の後継者を探すことは容易ではあるまい。細密な人物像、風景、そしてその他の題材において、彼の右に出るものはいないだろう。」 
フラマン派の大画家をしてこのような言葉を述べさせるエルスハイマーはただ者ではない。

彼の名声をヨーロッパに広めたことについては、その弟子として晩年に住まいをともにしたHendrick Goudt(ヘンドリック・グート)が少なからず貢献している。裕福な家からくるこの画家は師匠の絵の多くを買い取ったことでも知られ、また負債に苦しむ師匠を牢獄に送り込んだ張本人でもある。買い取った作品の模写である銅版画を制作し、それを後に自身のサインのみで世に送り出すという恩義を仇で返すような人物ではあったというが、銅版画家としての手腕には長けていたのである。これを見たレンブラントを含めた後世の画家達がエルスハイマーの芸術に触れることとなったというのはなんとも皮肉なことである。

家業が芸術とは関係がなかったためエルスハイマーは14歳にてすでに親方に弟子入り。その後ミュンヘンを経由してヴェネチアに向かい、そして22歳の時にローマ入り、死ぬまでこの地に住み制作する。ちなみにイタリア美術勉強のためにベネチアやローマを訪問するのは17世紀の画家達のお決まりコースである。ベラスケスもルーベンスもこの道を辿っている。
アルトドルファーに通じるドイツの北方絵画の伝統の上に立って、カラヴァッジョの明暗法の明らかなる影響を受けながらも、自然主義的な風景描写は彼独特のものである。
しかし彼独自の個性が十分に発揮されるのはローマに渡ってから描いた作品群だろう。

ローマにて落ち着いたエルスハイマーはそこでフェデリコ.チェイ侯爵(1586〜1630)らが創設者、主導者であったAccademia dei Lincei (アカデミア・デイ・リンチェイ)に賛同する。このアカデミーの紋章を描いたのも彼である。このリンチェイ学院は1603年に創設され、かのガリレオ・ガリレイも1611年来主要メンバーとなった数学、自然科学、哲学の研究アカデミーである。1871年以来イタリアの公式な自然科学アカデミーとして存続している。Linceiとは「明敏な人々」の意で、Lince(オオヤマネコ)の目が鋭いことに由来するLinceo, 炯眼な、という形容詞に基づく。アカデミーのモットーとしてチェイが選んだ言葉は「大きな結果を得るためには些細な事象に注意を払わねばらない」である。
このような世界を科学的に分析する方法論と哲学は当時の法王に導かれるカトリック教会とはまっこうから対立することとなるのだが。
エルスハイマーとこのアカデミーとの関わりは晩年の彼の制作にも如実な軌跡を残すことになる。

そこでエルスハイマーの作品中、特に印象的だった作品3点。
すべて1607−9年の死の直前に描かれた晩年の作品ばかりである。個人的な意見ではあるが、ローマに着いてからの彼がアカデミーとの接触によってその芸術性を深めたことは間違いない。

「ミネルバの王国」
8.7 x 14.6cm 銅版に油彩

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この作品は「ビーナスの王国」、「ミネルバの王国」、 「ユノの王国」の3作シリーズの中の一つ。愛と美の女神ビーナス、知と芸術の女神ミネルバ、そして家庭の守り神と言われる女神ユノはそれぞれ官能と瞑想と活動の象徴である。3番目の「ユノの王国」の原画は失われ、1646年にプラハ生まれのEnzel Hollarが残した同シリーズを模写した銅版画にてのみその図を知ることができる。この頃までにエルスマイヤーの絵画のいくつかはイギリスのアルンデル卿の所蔵にあり、その模写をしたのが卿に仕えるこのHollarであった。
兜をかぶり槍を片手にしたミネルバはデューラーの銅版画「メランコリア」にあるように片手を頬に当てて瞑想している。薄暗い室内の光景もメランコリーな様相を持ち、裸体をデッサンする画家2人と地球儀や書庫を前に研究する4人の学者がいる。
闇の中からぼーっと浮かび上がる室内の細部と人物像。目を凝らしてみると次々と新たな発見がある作品である。人物一人一人にもなにがしかの意味があるような気がする。


「フィレモネとバウシスの家にて休むジュピターとマーキュリー」
1608年頃制作
16.9 x 22.4 cm 銅版に油彩

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ギリシャ神のジュピターとマーキュリーが旅人を装って貧しい老夫婦フィレモネとバシウスの家の戸を叩く。そこで受けた歓待からこのあばら屋を神殿に変え、老夫婦を神殿の守り人とする、というローマの詩人オヴィディウス作の「メタモルフォシス(変身物語)」にあるギリシャ神話の1エピソードを描いている。絵画のギリシャ神話の主題としては他に例の見られない珍しい題材であるらしい。
ここでも闇から浮かび上がる煌々としたふたりの神々が普通の室内画の一部として描かれている。フラマン派などの北方ヨーロッパの絵画独特の手法であろう。細微にわたっての室内描写にその技巧の素晴らしさが伺われる。


「エジプトへの逃避」
1610年制作
31 x 41 cm 銅版に油彩


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他の2点に比べればサイズはやや大きい。 この作品を前にまず目に入るのは詩情豊かな月夜の自然である。水に反射する満月おぼしき月明かりのもと、中央にヘロデ王の赤子虐殺の命を逃れるためにエジプトヘと避難する聖家族。光源は右側の月明かりと対称的に左側に位置する羊飼いのたき火の灯。キリスト誕生を見舞う羊飼いの暗喩であろう。
この絵画がとりわけ興味深いのは空の様子である。絵画史上初めて銀河が正確に描写された
作品であるという。さらに天文学者の調査によるとこの星空と月の位置の様子からこの夜空は
1609年の6月16日に当たるらしい。年月日の詳細まで銀河の風景によって割り出すことができるというのはなんとも驚きである。そしてこの事実はエルスハイマ−の夜空の描写の正確さをそのまま物語っている。作家と天文学などの研究にも従事したアカデミーとのつながりは明確であり、実際に作家が望遠鏡にて空を眺めて記録したか、またはその記録を見て描いたことは疑いの余地なしである。

こうしてみるとエルスハイマーという画家の神秘性が増してくる。ローマでの10年間、このアカデミーとともにどのような交流があったのか、ルネッサンス以降の学者の間で必ず研究の対象となった天文学、錬金術、哲学などの奥義をどれほど深く理解していたのか。単に想像するしかないが、晩年に描いたいくつかの主題やその描き方を見るとこれらの細密画の裏に隠されている作家の意図とアカデミーの哲学がぼんやりとでも見えてくる。もしかするとアカデミーの思想を映し出すために描いた寓話的な作品であったのかもしれない。
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by jamartetrusco | 2006-11-23 01:54 | Arte (芸術)


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