2007年 01月 27日
宇治の平等院。鳳凰堂の建築の美しさはやはり一見の価値がある。そして何よりもここの雲中供養菩薩が素晴らしい。 阿弥陀堂内の長押上げの壁画に本尊を囲むように置かれていた52体の飛天。 今ではその半数は平等院の美術館鳳翔館内に展示されている。この美術館の内装は木版を思わせるコンクリート素材で、落ち着いた配色である。 本来の場所から移されての展示というのは像の意義を半減するとは言え、この世にも美しい雲中供養菩薩の像の数々を間近に見ることができるというのは多いに満足の行くところである。 平安時代の最高の仏師と言われる定朝とその弟子達の作である。阿弥陀堂内の阿弥陀如来座像は彼の代表作であるが、個人的にこの雲中供養菩薩の群像が好きである。 まず驚くのはその姿の様々なこと。雲のなびきも左右に半分ずつ。合掌したり、楽器をもったり、または持ち物をもったり、舞ったり、とそれぞれが雲の上に乗った美しい天上の姿となっている。悟りを開く超越した存在である菩薩そのものである。 この飛天の表現の多彩はなんだろう。 定朝のもとに20人の大仏師がおり、そしてその下にまたそれぞれ5人の小仏師が働いていたらしい。あたかもルネッサンスの工房さながらである。平安時代以来仏像作りの規模も量も増えていったに違いない。定朝は従来の仏像の一木彫りから初めて寄せ木造や割矧ぎ技法を完成したと言われている。寄せ木造によって一木彫りの大きさの制限も越えることができ、そして量産も可能になった。それには仏像の需要の拡大という背景があろう。 作風や顔の表情の違いはそれぞれを担当した仏師の個性を反映しているに違いない。一体一体それぞれの趣きがあり、比べながら見るのも楽しい。 木彫に対しての興味をアレが持ち出したのは日本に初めて足を降ろした95年来。 その折、奈良、京都を旅した。その地にて出会った仏像の数々に心から感動し木彫への興味が生まれたらしい。 それ故日本から帰って彫った最初の木彫は仏像に刺激されたものが多い。まだまだ稚拙で木の質も考慮にいれていなかったので今では顔の中心に無惨に割れ目ができてしまっているが。現在彼がたゆまず木彫作りに励むのもそんな日本との接点上という背景があるのである。 私が好きな日本の木彫像の好きなもの3点を挙げろと言われれば以下である。 京都広隆寺の弥勒菩薩半跏像。文句なしに美しい。前に佇むだけで心が透明になる。 京都、三十三間堂は何回訪れても良い。千体千手観音の圧巻もさることながら二十八部衆立像の中の婆藪仙人の迫力。鎌倉時代の力強い表現力の代表であろう。 フィレンツェのドゥオーモ美術館所蔵のドナテルロのマリアマグダレーナの像と共通点があると思うのはわたしだけだろうか。 そしてこの雲中供養菩薩、中でも北7(下2番目)北25(上2番目)そして南2(下一番目)、南24(上一番目)。阿弥陀如来は東をむいて座しており、その北側と南側の壁面にあったので便宜上このように番号付けされているが、なんとも趣きを欠く呼び名である。 この4像はいずれも顔の表情、雲のなびきの表現、動きの美しさが突出しており特に好きである。
by jamartetrusco
| 2007-01-27 00:03
| Arte (芸術)
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