トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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2007年 02月 03日

ライプツィッヒ派の台頭

ライプツィッヒというとまず想い起こすのは、18世紀半ばにはバッハが活躍し、メンデルゾーンやシューマンもその足跡を残し、またリヒャルト・ワーグナーの生地でもある音楽都市である。またライプツィッヒ大学と言えば15世紀はじめに創立したヨーロッパの中でも最も古い内の一つにあたる由緒ある大学である。このように音楽、学問など歴史深い町であると同時に、中世来、ヨーロッパのメッセの中心とも言える商業都市でもあった。第2次大戦中には爆撃によって町はひどく破壊され、戦後は旧東ドイツの産業都市となりかわった。そして1989年のベルリンの壁の倒壊の引き金となる「月曜日のデモ」はこの町から始まったのである。

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Neo Rauch


何故ライプツィッヒの話しをしているかというと今この地の現代アーティストの動きが世界の注目を浴びている。1960年ライプツィッヒ生まれのNeo Rauchが中心となってできたライプツィッヒ派の芸術家の動きが活発だ。他にはMatthias Weischer, David Schnell, Christoph RuckHäberle,Tim Eitelなど。
この芸術活動の舞台となっているのがもともと紡績工場であった19世紀にたてられた工場跡である。ベルリンの壁が崩壊して後、1990年代半ばには閉鎖され廃墟となっていた。
今ではこの広大な建物の半分に100人ほどのアーティストが入りスタジオを作った。その信憑性は確かでないが、ヨーロッパで物価が一番安い町ということも聞いた。無名の芸術家が活動する条件がそろっていたのであろう。
そしてこれらの中からより選った作家を見せる画廊も今ではできているという。その他、画材を売る店やワイン店、レストランも開店。ひとつのアート集合空間となりかわった。週末のアート・イベントなども企画していて、いわゆるドイツ国内外の注目のアートスポットであり、アメリカを筆頭に世界のコレクターが乗りつける未来のピカソ、ポロック探しの宝庫、50年代のニューヨーク、90年代のロンドンに取って代わる場所であると言われている。

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David Schnell


彼らの表現のどこが新鮮なのか。ひとつには旧東ドイツ政府下の抑圧から解放へーその中から生まれでるエネルギーの純粋さとその力強さの故であろう。そしてドイツ融合後もあまり芳しくなく失業率が高い旧東ドイツの都市の荒廃から来る反撥のエネルギー。素晴らしい芸術が生まれるのは満たされない状況からであることは歴史が証明している。



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Neo Rauch


作風からみると全体的にいかにもドイツ的なリアリズムに溢れたものである。あたかもドイツ表現主義のマックス・ベックマンやオットー・ディックスに通じるような。そこにルネ・マグリットのシュールリアリズムが混じり合ったような。Rauchの作風には特に15、16世紀の宗教画の画面構成の香りも感じられる。泥臭いほど土っぽく、同時に技術の上手さに裏打ちされた筆の絵の具の臭いがしてくるような生々しい表現という気がする。概念の勝った周到に計画されたようなスリックな表現とは正反対である。
アートの傾向なんてどうでも良いとは言うもののやはり今のアートの動向には自然と敏感になる。

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Christoph RuckHäberle


作家というのは一人一人は独立独歩で他人との協力など考えられない部分もあるが、このようなスタジオの供給、自分たちの制作を外に見せる公共の場というのを与えられるのが理想である。ギャラリーでの発表というのはすでに「選択される」必要があるという制約があるが、己のスタジオを解放して人に見てもらうというのは作家主体である。

このような閉鎖された工場跡などをアーティストに開放するというのはドイツが初めではなくヨーロッパのあちこちの町で起こっている現象である。芸術家を率先して助ける政策をとるオランダでは、早くからこういったシステムを導入している。ロンドンに住んでいた80年代前半、友人の画家がオランダだと政府からの助成でスタジオをただ同然で借りられるから、と行って引っ越して行った。またアムステルダムの友人の陶芸家はもう随分前から市の経営する団地のようなところにスタジオを持っている。そこはさまざまなメディアの作家達が多く住み、そして年にオープンスタジオなども企画しお互いに刺激し合いながらひとつのエネルギーを作りだしている。多分家賃も安いのだろうと思う。売れない芸術家にまず必要なのが安いスタジオであるのはどの町も同じだろう。

それにしてもイタリアにはこういうシステムがあるのだろうか。少なくともフィレンツェ付近に関しては聞いたこともない。自分たちも含めていったい作家達はどうやって生きているのだろう。スタジオだってそう簡単には借りられるはずもない。古い工場跡など結構あるのだが、ずっと閉まったままである。フィレンツェでは現代美術館を作ろうと長年もめていた敷地にはなんと数年前にCOOPというスーパーマーケットができていた。もうひとつの広大な敷地もしかりである。occupazioneといって古い非使用の建物を占拠する若者たちのたまり場だったのが、そこにできたのはやはり大COOP。せっかくの場所をもっと有意義に使うことはできなかったものか。

イタリアという土壌の保守性、あまりにも古い遺産に満ちていることーこのことが現代性への門戸を閉ざしているのだろうか。
過去の遺産を保持するのも大事だが、今生きる芸術家を育てなくてどうして未来の遺産を作りだせるのだろう。

このライプツィッヒ派の台頭の後は、フィレンツェ・ルネッサンスの新たなる再生、などということで、アレとともに芸術家集団、運動、空間を作れないものか。未だにフィレンツェの町の主導権を握っている15世紀の巨匠たちの影に埋もれている芸術家たちと協力して。過去を未来につなげるべく。思えば叶う、かな。

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Matthias Weischer
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by jamartetrusco | 2007-02-03 20:41 | Arte (芸術)


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