2007年 05月 17日
5月12日から20日まで、Ministero per i Beni Culturali、イタリアのいわゆる文化庁によって毎年企画されているSettimana della Cultura 「文化週間」となっている。その期間の国立美術館の入館料は無料。また様々な文化イベントが催されている。 というわけで住民も日頃は悲しいかな観光客の列にて入館不可能なウフィツィ美術館などにも入る機会が得られるのである。無料であれば家族で行くことも容易であり、以前もこの週間を利用して美術館を梯子した。 5月の観光シーズン、長蛇の列であったが、フィレンツェ人のアレの機転でうまく入館した。 ウフィツィにはフィレンツェ・ルネサンスの名画がこれでもか、これでもか、と展示してあり感動は常なることであるが、最近私の目は回廊の天井画によく向けられる。1579年から1581年にかけてアントニオ・テンペスタ(1555~1630)によって手がけられ、その後アレッサンドロ・アローリとその仲間達が継続して完成させたグロテスコ文様のフレスコ画である。 グロテスキーGrotteschi(grottescoの複数形)。イタリア語のgrotta (洞窟)が語源であるが、この言葉の由来はローマ時代まで遡らなければならない。 時代はローマ皇帝ネロの統治。紀元後64年のチルコ・マッシモの付近の市場から発生したローマの大火災によりローマの14地区のうちの4区が完全に破壊され、7地区が手ひどい被害を受けた。これを機会に、とネロ皇帝が火災跡をまっさらにして築き上げたのが、かの有名なドムス・アウレア(黄金宮)である。黄金宮というとまるでひとつの宮殿のみに思われるが実はこの宮を囲む広大な敷地に的に人工的に作り上げられたネロ皇帝の楽園であった。人口湖や葡萄畑、丘や野原も有する100エーカー(300エーカーという説も)ほどの敷地で、都市の中の田園を作りだしていたという。 黄金宮という名の通り、細部には金箔や準宝石などが施され、天井や壁面はフレスコ装飾に被われていたらしい。そしてアッピア街道の端の宮殿の入り口前に置かれた35メートルほどのネロ皇帝のブロンズ像ーColossus Neronisーがおかれていたという。その当時の豪華さを想像するだけでもわくわくする。後のウェスパシアヌス皇帝期に建設されたフラウィウス朝円形劇場を今ではコロッセオーColosseoーと呼ぶのもここに起源があるのである。 そして驚くべきことはこのような巨大なモニュメントをたったの4年間で仕上げてしまったという事実である。建設着工が64年終了が68年、そしてその年におごれるもの久しからずの常なることで、ネロは失脚、自らの命を断つ。せっかく作り上げた自分の楽園を十分に謳歌できずに終わるのはなんとも皮肉なことである。 ネロ皇帝の時代を生きた博物学者であり軍人であったガイウス・プリニウス・セコンドゥス(紀元後23〜79年)通称大プリニウスは、この黄金宮建設真っただ中を生き、またポンペイ噴火の大悲劇にも居合わせた人物でもある。そしてとりわけ「博物誌」の作者として有名である。この「博物誌」中に、この黄金宮の花のような装飾の画家であるアムリウスが一日の内、光が最適な数時間しか制作しなかった、と書き残している。フレスコ画の特徴上、漆喰が乾かないうちに絵筆をさばかなければならず、またその色彩の繊細さと構図の精巧さからもこの画家の器量の大きさがわかる。 ネロの死後、次期皇帝達はそれぞれネロのモニュメントを破壊し、敷地を土で埋め立てた。皇帝ティトゥスの築いた公共浴場もこの上に建てられた。 そしてネロの偉業を再発見するにはルネサンスたけなわの15世紀末になるまで待たなければならなかった。たまたま入り口のある洞窟に入った者が内部に開ける素晴らしいフレスコ装飾に遭遇する。そこから一気にローマに集まる当時の芸術家達の驚異と研究の対象となるのである。かくして、グロテスコ、洞窟で発見されたのでそのまま文字通りの名称となったわけである。 その芸術家の中にはラファエロやピントリッキョ、フィリッピーノ・リッピなどがいた。そしてこの新たに発見されたローマ時代のグロテスク装飾はそのまま模写され、これらの流行作家達によって取り入れられたのである。 ピントリッキョ作、シエナ大聖堂内、ピッコロミニ図書室、天井画 ペルジーノ作、ペルージアのコレッジョ・デ・カンビオ、天井画 ラファエロによるバティカン宮内の通称、ラファエロの間 Loggia、そしてビビエナ枢機卿のLoggetta(回廊)の装飾もその代表である。 17世紀のペルージア生まれの銅版画家、ピエトロ・サンティ・バルトリ(1615〜1700)もローマに移り住み、自ら黄金宮の発掘をしながらそのグロテスク装飾模写の銅版画本を残している。 この遺跡、空気や雨水に当たって状態が悪く、修復のためにずっと閉まっていて、今年の2月に一部のみ公開していると聞く。埋め立てられて密閉された状態のおかげで見事に保存されていたのだろうフレスコ画。何が幸いするかわからない歴史の面白さを感じる。フェリーニのサテリコンだったか。映画の冒頭に地下鉄の工事中、壁面を壊した途端にローマ時代の鮮やかなフレスコ画が突然目の前に現れる。皆が驚きと感動で立ちすくんでいるのだが、外部の空気が当たった途端、皆の驚愕の悲鳴をよそにその壁面がみるみる内に色あせ、消えていく。 人目に触れた瞬間うたたかの夢となる儚さの美。 今でもローマはそんな宝物がどこかに隠れている気配がある。 グロテスキはアラベスク模様と動物や人物、顔の組み合わせの左右対称、均整の取れた色彩豊かな美しい装飾文様である。中には奇想天外な動物や様式化された不可思議な顔などを組み合わせた表現があるために別意である「グロテスク(おどろおどろしい)」の意味も暗喩する所以となったのだろう。永遠と展開していくように見えるこの軽快で幻想的な文様はめくるめく眩惑感、どこか恍惚的官能をも喚起するかのようだ。 以前にも紹介したジュゼッペ・アルチンボルドのさまざまなエレメントを組み合わせた肖像画もここに発想の源があるに違いない。その表象はどこか同質の官能的幻想を内包する。
by jamartetrusco
| 2007-05-17 00:13
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