2007年 11月 22日

アートの行く末?

先日ドロップペインティングというアクションペインティングにて1950年代前半一躍美術界の寵児と化したジャクソン・ポロックの映画"Pollock"をテレビで深夜放映していた。彼はロスコーとともにある意味では現代美術の最後の巨匠と言えると思う。
ヨーロッパから発信されてくるシュールリアリズムという美術運動に惹かれながら、影響を受けながら、しかしそれに対して反抗して何か自身の表現を生み出そうとするエネルギーを絵画で実践した。
ヨーロッパとニューヨークの間を行き来しながらこの当時のアート界の若手作家を、時には恋人として(マックス・エルンンストの妻であった)ときには経済的、精神的理解者としてサポートすることにより、芸術界全体に多大な影響力を及ぼしていたペギー・グッゲンハイムの存在も否めない。彼女の周りに登場した作家は錚々たるものである。
50年代までの美術界は二つの大陸で最も画期的であり、刺激的であったに違いない。

アメリカがヨーロッパ美術界を取り込みながらふつふつと湧くような創造力溢れる時代として台頭し、数々の作家達を放出したのはこの1950年代前半で終結したように思う。
50年代後半よりイギリス、アメリカを中心としてポップアートが力を持ち出したときアートはいくべき道を失った、と私は感じている。
アンディー・ウォーホールはアートをだめにした、と言っても過言でない。

神話を消去し、人の歴史の流れから逸脱し、現代メディアの一手段としてのエネルギーのみを強調する表現となったときいわゆるアートは力を失ったと思う。
ポップアート以降様々な形で表出しているアートーコンセプチュアル、ミニマリズム、インスタレーション、ビデオなどなどーはすべてポップアートを起点として表れている
表現のように思えて仕方がない。ローマで見た「ポップ・アート」展をみて痛感したのはそこにある表現はすべて今現在にも見て取れる表現に他ならない。
というより今でもコンテポラリー・アートの一表現として注目を浴びている作家たちの表現はポップ・アートから少しも変わっていないような気がするのである。
そしてそれらはどこか空虚である。頭のみで表現を解釈したメディア・アート。
コンピューター・グラフィックとあまり変わりない。
そこにはへその緒で根本的芸術の深淵とつながった腸的表現はないのである。
このような中途半端なアートであるならば、映画や漫画を通じて表れる表現のほうが数倍も優れて力ある。

アレという作家を横にして生きる者として、今一体何を表現すべきか、
一体アーティストたるものなんであるか、という疑問は常に頭を行き交う。
そんなとき、現在のアートの辿る道の行く末が見えないのである。
なんとなく胡散臭い世界になりつつある今のアート界。
自分の信じる処のみを表現するしかない作家としてのアレ。
我々の生きる道はどこにあるのだろう。

目の前に広がる。。。とてつもない未知数の。。。暗黒。

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by jamartetrusco | 2007-11-22 23:27 | Vita (人生)


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