トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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2007年 12月 04日

通称AR宣言

AR-Active Resistance to Propaganda.
パンクファッションなど過激なストリートファッションの創始者であるイギリスのデザイナー、ヴィヴィアン・ウェストウッドが今年5月に発表したマニフェストー宣言を読んだ。かつて住んだロンドンのアパートからさほど遠くないキングス・ロードに彼女の店、Worlds End (世界の果て)はある。
彼女のデザインする服には惹かれたことはなかったのだが、この宣言を読んでその人となりに興味をもった。ファッションという実に現代的商業主義に則った世界に住む本人が述べること自体の矛盾はあるに違いないのだが、その主張は人間の生きる道筋の真実を直感的に語っていると思う。
不思議の国のアリスやピノッキョ、アリストテレスやホイッスラーまで登場させて質問、応答、論議などをややユーモアを交えながらアートのなんであるか、そして人間の生きる道の選択についての彼女の考えを解明していく。
全文は彼女のサイトにて読まれたし。

この宣言は「アートを探そうではないか。アートは文化を生み出し、文化はプロパガンダーこの場合、人間を含めるこの世界の真実を迷わす毒素のある行為を意味するのだろうーに対抗する解毒剤である」という提言から始まる。
その神髄の思想は単純に言えば「アートは人類を救う」ということにあるのだが、単純な救世主としてのアートというそれこそプロパガンダ的ものではない。
芸術という日本語訳に内包される歴史をあえて避けるためにここでは抽象性の高いアートという言葉で語ろう。
アートはその存在を認知した者の前に現れる。アートが在るときに世界は変化する。
アートは人間の持つ真実なる性、Representative Human Natureを具現したものであり、それは時代の変遷において変化するものではない自然(人間)の普遍である。
自然の普遍を体現したアートは必ず宇宙の道にかなった想像力あふれる客観性をもっている。いかなる人間にも変わらず存在する普遍性を把握する。人間の存在の最終的な目的は幸福である。幸福はひとつの小宇宙(whole)である。whole(完結性)を形作る部分はその部分なくしては全体が未完に終わるということである。アートの存在の真実はそこにある。
そして真のアートはアーティストの自我の主張ではなく自然(じねん)あるがままの存在(wholeを形作る部分の要素)を伝達する者である。花が美しさを主張しないのと同じく。自己宣伝、自己満足、自身の自我を押し通すーあまりにも現在多い表現であるがーというのは真なるアーティストではない。想像力こそ人間の持つ生きる上の最高の力性であるのに、それは限りなき欲望と到達しない追求と疎外感への逃避へと流れてしまう。(このような逸脱に留意させるのがアートである)
しかしアーティストはまわりの文化や存在になんの責任もない、彼が仕えるのはアートにのみである。アートはそれを認知する者の中に宿り(アーティスト)、その者が消えるとまた飛び立ち別に宿る処を探す。
アートは太古からの人間の性にある「既存」の事実であり、それ以上の世界のさらなる追求は進歩ではなく阻害、破壊を促す。

賛同する部分をかいつまんで自分の言葉にして書き記してみた。

今更新たに声を揚げるようなことではないかもしれないが、近頃のアート界の状況をみて私が感じているようなことを具体的に文章にしてくれていたのが痛快である。
そしてアートのもつ力ということについて、今のような目的の見えない混沌とした世界に再度問いかける必要があると強く感じている。
一体人間なんのために存在しているのか。
社会主義、共産主義の限界を知り、資本主義の欺瞞が暴露され、そして自然、宇宙に対する人間の奢りが自己破壊へと向かいつつある今、自然、宇宙を内包する人がその本当の性を発見するとき、真の「アート」を発見するときこそ、行くべき道しるべが見えてくると思う。アートなる性を内包する真のアーティストは真実を見極める力があるに違いないのである。

このマニフェストひとつの運動としてあちこちで朗読するらしい。
ついこの1日にもロンドンの小さな美術館Wallace Collectionで行われた。
いつかその席に参加してみたい。


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by jamartetrusco | 2007-12-04 22:56 | Arte (芸術)


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