2008年 01月 15日
ニューヨーク近代美術館にて彫刻家、マーティン・プイヤー Martin Puryearの過去30年にわたる制作過程を展観する 回顧展を観る機会を得た。1941年生まれであるから、リチャード・セラやエヴァ・ヘッセ、ブルース・ナウマンなどと同年代である。 この作家の名前を聞くのは実は初めてである。MOMAにて回顧展を企画するぐらいだから有名な作家であろうに、美術界に常日頃興味を持ち、限られたものであるにせよそれなりに知識を深める努力をしているにも関わらず、今まで名前すら聞いたことがなかったというのは我ながら驚異であった。上に挙げた同年代の3人の作家に比べると知名度は高くない。カタログを買ってよく読んでみると黒人系アメリカ人であることがわかって、なるほど、と思った。60年代、70年代を経てアフロ・アメリカンへの人種差別が軽減しているとは言え、やはりWASP(White Anglo-Saxon Protestant)やユダヤ系の力の強いアメリカである。アフリカ系アメリカ人の作家への言及が他に比べて劣るというのは当然あり得る状況である。黒人初のアメリカ大統領がもしかすると生まれるかもしれない2008年になって初めてこの作家の回顧展が開かれる土壌が生まれたのかもしれない。 プイヤーはポスト・ミニマリズムのスタンスを取りながら、主に木という素材を駆使して大きなフォルムの彫刻を作る。ミニマルでありながら工芸的なpoetic、詩情あふれる形体、と言えるだろうか。 もともと木工を趣味としていた父親の影響で素材としての「木」に興味を持ったらしい。自然歴史学、鳥類学、建築、技巧史など幅広い分野に興味を持ち、それらの要素は作品に明確に反映されているようだ。アメリカにて修学した後、アフリカのシエラ・レオーネに行きそこで地元の仮面や人物像作りの木工職人に出会い新たなインスピレーションを得ることとなる。 作品を前にすると、形は有機的なものから、船型のようなもの、仮面のようなもの、鳥のようなもの、木という素材でありながらまるで黒陶のような艶があるもの、などなど多種で、彼の創造の源の豊かさが如実である。その精巧な木の交錯はレオナルド・ダヴィンチのさまざまな発明の模型や竹篭を想起させる工芸性の高いものでもある。あくまで人間の「手」の感触を残したもので、多分に無機質感を追求するミニマリズムの彫刻とは対照的である。形体と素材との不可思議な相反性と調和が印象的である。 カタログにフランスの美術史家のアンリ・フォションの著書「形の生命」の中の一章、Eloge de la Main ー「手工讃歌」とでも訳せようかーの一文を引用しているが、この作家の仕事を描写するのに適切な言葉である。 「アーティストは木を彫ったり、金を打ったり、土を練ったり、石を削ったりしながら 人類にとってそれなしでは存在不可でありながら灯火のごとく消えつつある過去を現在に生かす。この「機械時代」にある我々人類の中に「手工時代」の生き残りを発見するのはなんとも賞賛すべきことではないか」 ちなみにプイヤーは原型のみ作って完成は工房に任せるのではなく、作品を最初から最後まですべて自身の手で作る稀な現代彫刻家である。 MOMAの地階の空間を占める、どんどん細くなりながら天まで届きそうな橋子。 人間の天に近づきたいという本能的願望をそのまま形にしたような象徴性の高い作品であり、特に印象に残った。
by jamartetrusco
| 2008-01-15 20:21
| Arte (芸術)
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