トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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2008年 05月 09日

失われた名画

イギリスのリバプールにあるTate Liverpoolにて5月30日より英国ではかつてない規模のグスタフ・クリムト展が開催されると聞いた。展覧会に先駆けての紹介として英国の新聞ガーディアンにて興味深い記事を読んだ。

クリムトは3月のウィーン滞在中にその作品の多くを見たのである。その作品はあまりにも世紀末装飾性に満ちすぎていて近頃食傷気味だったのであるが、実際に画面に満ちあふれる金襴なる色彩、優美な人体と絢爛豪華なモザイクのような装飾の不調和の中の調和のある画面はやはり見るものを圧倒する迫力がある。

「哲学」
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「医学」
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「法学」
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このクリムトが1894年にウィーン大学大講堂の天井画制作の依頼を受ける。数年後に完成したのが、「哲学」、「医学」そして「法学」の学部を代表する3部作である。
ニーチェの「悲劇の誕生」に多大なる影響を受けたクリムト。楽観的な理性主義にのっとって事実への表面的な信仰と世界を制覇しようとする荒削りな欲望によって西洋文明は駆り立てられてきた。しかしそれらは間違いで、人間の情感や認知の不確かさを抱擁する悲劇的感受性こそが勝利であり、この世を主観にて感知理解することが必要である、というニーチェの論議をそのまま受けてこの3部作は描かれたと言う。

もちろんこのような概念は大学の理性こそ、また科学にのっとった絶対的真理こそ一番と見なす教授達には受け入れられず、作品も天井を飾ることはなかった。3部作は最終的に当時のクリムトの偉大なるパトロンであり、収集家でもあったユダヤ系の富豪アウグスト・レデラーが買い取る。

ここからがこの作品の悲劇なのである。
第二次大戦にナチスドイツの占領下にあったウィーン、ユダヤであることからこのパトロンからもすべての美術品は没収され、彼の手元にあったクリムト3点を含め13点はナチスSS将校の最後の拠点であったイメンドルフ城にて保管された。しかし1945年終戦間近の断末魔にクリムトの芸術をロシアに見せてはならぬとの信念からか、中にある芸術品を含めて城ごと爆破するのである。もちろんクリムトの13点もこの宿命をともにする。運良くレデラーの息子が別に保管していたベートヴェン・フリーズだけは悲劇を真逃れ、今でもウィーンのセセッションの建物の地下に配置されて目にすることができるのはまさに不幸中の幸いと言えようか。

このクリムトの名画の悲劇は初耳であった。
そして芸術とそれにまつわる狂気について改めて思いを巡らせた。
かつて15世紀のメディチ家支配が一瞬衰えてフランス、スペインの攻撃のみならず疫病にも苦しんでいたフィレンツェにて民衆の不安と不満の風にあおられ宗教力をふるったドメニコ派のサヴォナローラも欲や富の象徴と見なした芸術品や本を焼き払った。
その時に失われたとされる絵画は多々であり、特にサヴォナローラに心底傾倒したボッティチェリはどれほど自分の作品を火の中に投入したことか。
また三島由紀夫の「金閣寺」もこの狂気のひとつの表出を小説にしたと言えるだろう。

芸術と狂気は紙一重。ひとつの芸術表現が選ばれた芸術家を通して表出するとき、それは天上の響きでもあり、またはどん底から発する叫びでもあり、人間が隠し持つ原始にさかのぼる感情やタブーなど、すべての心象風景、情感、表現の抽出が超現実的な力を持って暴露されるのであろう。
少なくとも世紀末のウィーンの作家達には当てはまる縮図であるように思う。

この永久に失われ、今では白黒写真でしか見ることのできない3部作を見ていると情感とエロスが粘着質となって絡まった憂鬱と超越の狭間を行き来するどろどろとした人間の肉感的エネルギーを感じると同時にまるで心霊現象の亡霊にも見えてくる。
怖いほどである。
クリムトが単に装飾性の美の提唱者でないことは如実である。
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by jamartetrusco | 2008-05-09 17:53 | Arte (芸術)


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