2008年 05月 23日

思うこと

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今年の夏は娘と私だけの帰京となりそうだ。
アレは夏こちらにてグループ展を開催する見込みである。
去年エコロジー・アース・アート展に参加したフィレンツェ作家4人の
集まりである。美術批評家、教育者、作家である友人エルダの企画である。
彼女の住むMontecerboliが属する市であるPomaranceーポマランチャー市営の
空間とヴォルテッラの近くの文化教育センターであるVilla Palagionee内での
グループ展となりそうである。
来週あたり空間を見にその地まで向かうつもりである。
イタリアは一般的に夏場に国内外の観光客の動きが増え、またこの方面は
海辺滞在の人々も徘徊する地域であるので夏場に展覧会をするのに
最適だ。今年はとにかくイタリアのどこかにて展覧会を行いたいと思って
いたのでほっとしている。
不思議なもので展覧会が決まってくると作家は突然制作意欲が湧いてくる
らしい。それまでは絵画的表現に行き詰まってか、木の彫刻に専念していた
アレであるが、この数日また絵の具を使いだした。
既存の作品だけで十分埋まるだろうグループ展であるが、やはり新作制作
への熱意が生まれるらしい。
どんな作品が生まれてくることか、好奇心に多いに駆られる。
それでもまだスタジオに入って見るのを控えている。
他人が早々に侵入してはせっかくの制作意欲を台無しにするのではと思うのである。

作家にとって時々家族と分かれて一人で制作し、考える時間を持つというのは
大切であると思う。子供との毎日の生活は満足感に満ち、違った意味での
エネルギーの源となるには違いないが、「現実」という実体が否応なしに
襲ってくることは確かである。
制作の上での自我や夢想を殺さずして家族との共同生活など無理であるから。
故に自我の無制限の増殖が必須である制作者の宇宙は縮小されるに違いない。
アレの本意は家族3人での調和の中に生まれる制作をしていきたい、
そこから生まれる新たな真実を見いだしたい、という哲学にある。
しかし丸くなった角はやはり先鋭さが欠けてくるのも事実である。
そのため時々物理的に離れて孤高の中、作家魂を思う存分発揮できる機会も必要
であると思う。

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追記:
画像は先日記したエリカの低木、花がついている。
そして湧き水を汲む近くの泉。
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by jamartetrusco | 2008-05-23 19:38 | Vita (人生)


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