2008年 09月 10日

水不足

イタリアに帰ってから水不足に苦労している。
8月30日に帰宅してからお湯を使ったことがない。
お湯というもの自体が出ないのである。
水不足であるので圧力が足りないため湯沸かし器の点火ができない。
水が足りないのは毎年のことであるが、この2〜3年の
状況はかなり悪化している。
以前は8月になってやや水が出ない日があったりしたが
毎日ではなかった。ところがこの2年、8月になると必ずと
言って良い程水がでなくなる。そしてお湯は望めなくなる。
困るのは水洗のお手洗いと洗濯機、そしてとりわけシャワー。
水風呂を浴びるしかない。
帰宅してからまだ一度もお湯のシャワーをあびたことが
ない。故に疲れがとれないのである。
一体これは何故か。と考えるに、地球温暖化、とか水が
石油のように貴重なものになるとか、いろいろと批判が
出てくるのであるが、ひとつはっきりと言えるのは
このキャンティ地方はもともと水がふんだんにあった地域では
なかったという歴史的事実が浮かび上がる。
この土地には浴槽のバスルームを持つ家の方が少ないくらいに
日本流に言ういわゆる「お風呂」の文化がない。
故にこの土地の地元人など1週間一度シャワーを浴びるのがせいぜいである。
日曜日に皆さっぱりして教会に行く、というのが伝統であった。
そういう土地柄であるから、この10年間のこの近辺の生活状況の
様代わりがこの水不足を生んだひとつの理由であろう。
今までずっと廃墟であった建物がすべてハイレベルのホテル風滞在場所となって
またそれぞれがプール施設つき。そして今まで個人がほそぼそと育てる
葡萄畑だった場所が大きな投資をともなった最新型葡萄畑と成り代わった。
そこには灌漑の水が必要となる。
10年前に比べれば10倍の水消費となっているに違いないのである。
もともと枯れた土地にこのような極端な観光施設を増設してその弊害が
出ないはずがない。

というわけで今年の極端なる水不足の苦労を背負いながら一体どうしたら良いものか、
人間の「水」に対するあまりにも当たり前に思う態度にも反省するとともに
日本より高い物価に苦しむこの今のイタリアの市民を無視した状況に憤りを感じるのである。贅沢など何も望んでいないのであるが、温かいお湯が出るぐらいの日常が
あって普通ではないだろうか。
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by jamartetrusco | 2008-09-10 05:29 | Vita (人生)


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