カテゴリ:Vita (人生)( 146 )


2006年 04月 26日

我が家の小さなイコンたち

日本人の血のせいか、なんとなく仏さまやご先祖様を祭る風習が残っているようで、我が家の本棚の一角にも4つのイコンが祭られています。
木製のものは祖母の木彫仲間が彫ったもの、蓮の形の中に彫られていて、蓋ができるようになっています。祖母が亡くなったときに大事にもらい受けました。

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テラコッタのものはずっと以前にタイに旅に行ったとき、地元のお兄さんがプレゼントしてくれたもの、プラスチックの入れ物に入ってぶらさげられるようになっている。残念ながら中の仏さまは3つに割れてしまっているけれど。今でもこのタイでの経験は頭にじーんと残る素晴らしい旅。この仏さまをくれた彼はちょうどB&Bを始めたばかりの日で、私と連れは初めての泊まり客。なので、なんとなくお祝い気分でお客というより友達のように食事をし踊りに行ったのを覚えています。その地で見た大仏の素晴らしさも含めて。

そして象神は京都の比叡山近くにあるタイ料理を出すレストラン兼、タイやインドなどの家具や小物など多く扱う雰囲気のある店にて、娘が「これがほしい」と主張して、一緒に夕べをともにした友人が買ってくれたもの、これはインドのガネーシァ(Ganesha)象神でしょうか。彼は私にとって人生が何かをおしえくれたような人で、今ここイタリアにいるのも彼のおかげかもしれません。

f0097102_22365926.jpgそして最後の石の顔はアレがアラバスター素材を彫ったものです。これは父が急逝して大慌てで娘とふたりだけで帰国したとき、ひとり空虚感を味わいながら家に残ったアレが即興的に彫ったもので、私にとってはとても想いの深い小さな石頭です。
なぜならこの顔、どこか父の面影があるのです。アレの手を通して現れたみたいな。考えすぎでしょうか。
別に毎日拝んだりするわけではないのですが、この4つの仏さまはわたしにとってなんとなく大事なお守りのようなものです。それぞれ素材も、木、土、鋳物、石と違うのも今気がつきました。自然の4要素を代表するみたいで、不思議です。同時に私の人生の節々を表す4つの姿です。

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by jamartetrusco | 2006-04-26 18:27 | Vita (人生)
2006年 04月 18日

Vita Fondamentale - 本質のある生活

人間の本来の姿を守りながら過酷ながら感動的な生活をしている友人家族がいる。昨日は彼らを訪ねた。ご主人はイタリア人か、スイス人か、しかし国籍など問う必要のない「彼」である。彼とともに人生を生きることを決めたのは日本人女性。彫刻家であり、版画家であり、陶芸家であり、そして見事な働き手であり、母である人。

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娘とほとんど同年代の息子さんがおられる。ワイルドで繊細で毎日泥だらけになり自然を駆け回る。記憶にある「子供」の姿そのもの。
かれらは有機栽培の農園を二人で支える。また目をみはるのは住む家、工房、納屋などすべてご主人がほんのわずかの友人の力をかりながらほとんど自らの手で築きあげたのだ。もともと古い民家など修復して住める家として世に送り出す仕事をしてきた。だからかれらの住む周りには彼の仕事が多数残っている。60年代のヒッピー世代を体現し、あらゆる経験と苦労とそこから得られる知恵をすべて体に刻印したような、巌のごとき人。


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そんな彼を心から支える彼女は真の意味の制作者である。生活自体がひとつの芸術制作のような。子供に手がかからなくなってきた最近では本来の制作者としての血がむらむらとわいてきて、太い木の幹を彫り上げてすばらしい彫刻にしたり、また銅板画や土の仕事も始めた。
根本的な技術を備えてはいるものの、それ以上の何か素朴で土っぽくて力強い作品を作っている。

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葡萄酒、オリープオイルを始め、やぎのチーズなど自家製である。鶏や七面鳥も飼われていて卵はもちろん、ときどき食肉ともなる。ほとんど自給自足のような生活。四六時中農園をささえる仕事があるので、週末も週日もない。でも思うに休暇、休みという概念は近代の通勤というシステムの中から生まれたものであり、このような本来的な生活に休みなど必要ないのだと思う。毎日を真に「生きる」家族である。

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by jamartetrusco | 2006-04-18 17:08 | Vita (人生)
2006年 04月 11日

京都との深い縁

わたしとアレの人生において大事な位置を占めている街、京都、この街を語らずして私たちふたりの今までの人生を語ることはできません。今日は少し京都への想いを。
フィレンツェと京都は姉妹都市であり、両都市とも国の心臓部となる古都であること、周囲を山に囲まれた盆地であること、そして街の中心として存在する川、などなど共通する点の多いこのふたつの街。

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もともと東京生まれの私ですが、7年前娘が1歳になる直前の夏、両親共々東京を引き払い京都に移り住むこととなりました。
京都との因縁があるのは父方の大叔父で、今では喫茶店兼ホテルになっている長楽館はその昔、この大叔父であり明治時代の実業家で「煙草王」と称された村井吉兵衛が円山公園の一角に建てた別邸でした。長楽館を訪れる度に、元は遠い親戚の持ち物であったのか、と感慨無量な気持ちにならざるを得ません。そんなわけで父もいずれは京都へ、と常に思っていたに違いありません。今では父は亡く、母ひとり住んでいますが、孤独を感じぬほど京都の水が合ったようです。

私も仕事の関係で京都とは以前より縁があり、引っ越す前1996年には結婚したばかりのアレと3ヶ月ほど住んだことがあります。この経験がアレの表現言語に多大な影響を及ぼしたのは確かです。それ以前はイタリア、フィレンツェのルーツのみに根ざしていた彼が日本の文化の神髄である京都の奥深い文化土壌の洗礼を受けることとなったのです。お寺、庭、仏像、京都の独特の自然感、風物、情緒は作家としての感性を根底から揺さぶるものでした。

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2001年には京都の法然院にて展覧会を行う機会に恵まれ、このために制作した作品がその後の彼の表現方法としてのシリーズ制作を本格化しました。“Frammenti d'Infinito"と呼ばれるこの作品群は、無限なる欠片(断章)のような意味で、イメージのひとつひとつが単独でも組み合わせても成り立つような、縦横、天地自由自在に見ることのできる無限の可能性を秘めたものです。


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1998年制作の初めてのシリーズ作品Tazze(茶碗)からの展開は、このFrammenti d'Infinitoを経て、ある時期の軸となる主題をシリーズ化した作品群ーSassi 小石、Muri 石壁、そして現在制作中のContenitori 内包する器ーへとつながっていきます。

法然院にて毎夕決まった時間にならす厳かな鐘の音や、ときどきお寺の奥から聞こえるお坊さんのお経の響きをききながら、お寺の一室である静かな展覧会場にて過ごした超越的なひとときは忘れることはできません。

帰国し、加茂川を北へ、比叡山を右手に拝みながら帰途の道につくとき、心が自然とうずきます。比叡山は高野山と並んで日本の精神文化の礎、魂のよりどころなのでしょう。お腹の奥底から湧く感動をはどこか本能的なものです。この感覚は近年増すばかりです。
いずれは京都に住むのかしら、、。

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by jamartetrusco | 2006-04-11 00:06 | Vita (人生)
2006年 04月 08日

Piccoli Indiani del Nonno Lapo ラポ特製おもちゃ

昨日久々に娘に見せるために古いおもちゃを箱から出してきました。

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このプラスティックでできた小さなインディアンや鳥たちはアレのお父さんラポの特製です。残念ながら孫の顔を見ずに亡くなってしまいました。アレと弟のレオナルドが小さい時に一生懸命心をこめて作った人形たちです。

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アレのお父さんはボタンなどを作る職人でした。ですからこの人形の素材も当時のボタン作りに使われていた硬質のプラスティックです。仕事の合間に子供たちのために作ったのでしょう。とてもユーモアあふれて洒落たおもちゃ。

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アレにとっても大事な宝物として取ってあります。ときどきMinaが見たいといって出てくるのです。義父のことは残念ながらあまりよく知ることなく逝ってしまいましたが、このおもちゃを見ていると彼の人柄がわかるようです。

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by jamartetrusco | 2006-04-08 20:51 | Vita (人生)
2006年 04月 07日

私とイタリア

今日は少し私のことを書こうと思う。イタリアへの情熱の始まり、何故イタリアへ、そして主人との出会いなど。あまり感傷的にならずに。

話せば長くなるが、最初にイタリアに惹かれるきっかけはイタリア・ルネッサンス美術である。
小さい頃から絵画を見るのが大好きで、家にあった西洋美術図鑑と日本美術図鑑を毎日のように眺めていた記憶は鮮明である。その内15歳頃か、高階秀爾著
ルネッサンスの光と闇―芸術と精神風土という本を図書館で借りた。この本がある意味ではフィレンツェ・ルネッサンスへの開眼となった本である。とてもわかりやすく書かれており、ルネッサンスの人文主義について、ボッティチェリについて、またイコノロジー(図像学)について書かれていたと思う。私はロレンツォ・イル・マニフィコ、ボッティチェリの虜となった。
そしてその頃テレビにてレオナルド・ダ・ビンチの生涯を表したイタリア、フランス合作のTVドラマシリーズを毎日30分ずつ放映していた。



Life of Leonardo Da Vinci (2pc)

そのためルネッサンスの象徴的存在であるダビンチにものめり込んでいった。それからはとにかくルネッサンスに関係する、イタリアに関係する著書はかたっぱし読んでいった。




辻邦生のボッティチェリの生涯を小説風に書いた「春の戴冠」
春の戴冠
そして「背教者ユリアヌス」(これはローマ時代の皇帝であるが)。



背教者ユリアヌス




たぶん辻邦生が着想を得たのであろうロシアの作家、批評家メレジコフスキー、Dmitrii Sergeevich Merezhkovskii (1866-1941) の歴史小説三部作「キリストと反キリスト」の中の一部でダビンチを語った「先駆者」(これは見つからず代わりにもう一部の「背教者ユリアヌスー神々の死を掲載する)
背教者ユリアヌス―神々の死

今ではベストセラー作家であるが当時は限られた読者ファンをつかんでいた塩野七生著
チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷

同著者による
塩野七生ルネサンス著作集〈6〉― 神の代理人








ブルクハルトのイタリア・ルネサンスの文化〈1〉

イタリア・ルネサンスの文化〈2〉








ヴァザーリ著
ルネサンス画人伝
などなど。



他にも挙げ出したらきりがない。上記の著書はルネッサンスの知識を得る上で第1歩の書としてお勧め。余談だが、私のイタリアの美術の好みも変化し、ジョット、マサッチョ、ピエロ・デラ・フランチェスカなど初期ルネサンスの画家にひかれ、その後はブロンズィーノ、ポントルモなどマニエリズムの作家に興味をもつようになった。今でもダビンチはまだまだ知るべき奥義がある。
このイタリアルネッサンス美術への思いはイタリア語を学ぼうという熱意にも走り、大学では第3外国語としてイタリア語を上級クラスまで取得。その当時中級はたったの4人、上級クラスはなんと私一人の授業。今のイタリアブームを考えると信じられないこと。当時の夢はこのようなルネッサンス絵画と対面できる絵画修復家になること。しかしこの思いとはうらはらに大学卒業後はロンドンに留学。美術史や美術業により興味が出て来て、それなら国際的なオークション会社のあるロンドンへ、ということになった。その後美術の勉強、画廊での仕事などなど紆余曲折を経て、結局一度は日本に戻り、某美術商と仕事をすることとなった。しかしその仕事をきっかけにまたイタリアとのつながりが出て来た。仕事を通して何回もイタリアに足を運ぶことになり、また私のイタリア熱がぶり返した。
常に頭の中に「絵画修復」を試してみたい、という願望があったので93年の夏おもいきってフィレンツェへ「修復」1ヶ月コースを取るため2ヶ月ほど渡った。そしてその夏今の主人であるアレッサンドロと運命の出会いがあったというわけ。
彼との出会いもまた本当に運命的で修復のコースの始まる前に海辺の街オルベテッロOrbetelloにイタリア語学習に行ったのだが、その時に滞在したアパートの大家さんの友達の友達だったのである。それもこのアパートに滞在するはずだったのは実は私ではなくオーストリア人の男の子だったのだが、学校が間違えて私にも同住所をあてがったのだ。ところがせっかちな私は約束の時間より早めに現地に到着。早々にそのアパートに身を落ちつけていたので、おそくやってきたそのオーストリア人がアパートを変えることになったのだ。もしそこに滞在することがなければ今の主人とは会っていない。人生って本当に不思議な縁というのがあるのですね。
美術を愛する私と画家としての道を歩み出したアレとの人生の行程はそこでクロスしその後足並みをそろえ今となっている。
今でも不思議に思うのは小さい頃からの夢だったフィレンツェの街の画家と結婚し、そしてこの地に住むことになったこと。今では花の都ならぬ暗黒の部分もたくさん見え始め、イタリアはすべて薔薇色の国ではないけれど、それでも自分の想いが貫かれたということだけは事実だ。

「夢」は絶対に捨てないこと、これは人生の鉄則のような気がする。


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by jamartetrusco | 2006-04-07 17:51 | Vita (人生)
2006年 04月 04日

Pensatrice ー 作家人生20年

私がアレと知り合った93年の夏、彼はフィレンツェに小さいスタジオを持っていました。このスタジオをただで貸してくださっていたのは、不幸にも自殺した画家の息子の代わりにアレを大事に思ってくれていたヴィッキョに住む今は亡きモーロ夫人でした。今でも彼女のご主人や娘さん一家との交流は続いてます。
この夫人のおかげでアレの作家としての生活が始まったとも言えます。それ以前の彼は今では想像もつきませんが、フィレンツェのファッションブランドの老舗グッチに経理担当として働いていました。彼の伯父さんがベルトやバッグの金具などに使われたGCマークの考案者で、グッチの下請けとして鞄など作っていたこともあって入社したそうです。10年ほど勤めたものの自分に全く合わない仕事をすることに耐えられなくなり、80年代半ばに幼少からの情熱であった絵の道を歩むことに決め、退社します。
その頃はとにかく周りにある素材、捨ててある箪笥の扉板やら厚紙やら、手当たり次第に絵を描いていた時代で、そんな全く先の見えない時期に無償でスペースを貸してくださったこのモーロ夫人は今でも彼の心の大恩人です。 

86年にフィレンツェのDolce Vitaというカフェバーで、初めての展覧会を開きましたが、そのとき出品したのがこの"Pensatrice"「考える人」です。 20年前のアレの作家としての第1歩を象徴する作品です。当時から一番惹かれる芸術家はレオナルド・ダ・ビンチでしたから、どこかその影響もほのかに感じられる絵です。彼にとってこの"Pensatrice"は魂のよりどころとなる作品のようです。

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その頃の絵はすべてイタリアの伝統的な絵画の手法を使い、自然の動物脂の膠などを媒体とした下地の上に油やテンペラで色彩を施していました(そのためかびなどがはえやすくて、現在住む田舎の家にて保存するのは骨の入ることです)。20年前絵画の修復工房などに短期間出入りしながら技法を学び、その後は試行錯誤、自身の経験から生み出した絵画技法を続けています。

人生とにかく自分の信念一筋に制作し続けていくこと、また途中であきらめないこと、そうすれば必ず残るものはある、というモットーにてとにかくひたすら頑固に、身勝手に、でも純粋に作家人生を歩んでいる人。ものつくりというのは職業ではない、という真実。アレと私(そして今は娘の未奈も)の人生は互いの生き方が完全に一つの輪となって絡み合っているのでどちらの存在もひとつの輪を構成するのに不可欠なのです。最近つくづくそれが見えてきました。
今年は主人が作家として歩み始めて20年(作家人生では未だ宵の口)、私との結婚記念
10周年とひとつの区切りの年、新たな地平線が見えてくれば良いな。




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by jamartetrusco | 2006-04-04 00:38 | Vita (人生)