トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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カテゴリ:Vita (人生)( 146 )


2014年 02月 03日

初午を控えて

今年も1月が既に過ぎて、はや2月、初午を明日に控える。
午年の2014年の初午はやはりどこか特別な感じがする。
そしていよいよ立春でもある。少しづつ春の気配が感じられる頃か。

イタリアにいるとこういった日本の季節の機微を感じさせるこのような季節行事が
妙に懐かしくなる。
クリスマス、大晦日の祝いを過ぎれば2月末にかけてのカーニバル謝肉祭が
あるのだが、どうも日本人のDNAには訴えてこないのである。
その昔のエトルリアやギリシャ、ローマの多神の宴が姿を変えてカトリックという精神文化の
オブラートに包まれた現在のヨーロッパの祭りは細かな自然の変化を日常に入れ籠んだ
日本の行事とは一寸異なる気がする。
カーニバルの後はイースター復活祭、そして夏へと向っていくイタリア。
京都にいれば初午と時期を同じくして節分、梅も見頃、3月雛祭りの後はお花見、
そして5月の新緑美しい葵祭とその月ごとに自然の色の移ろいをそのまま映したかのような祭りがあるものだ。

雨ばかりのこのごろ、お日様は何処に? 幸い気温はあまり低くないものの枯れた自然の
色と低い灰色の空を見ていると、冬ながらもどこかに自然の神様の存在を脈々と感じる
日本が良い。
やはり私の中には日本の神々がいる。

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by jamartetrusco | 2014-02-03 18:17 | Vita (人生)
2013年 12月 30日

2013年の締めくくり

10月以来投稿しないまま月日がどんどんと経ってしまった。
仕事や雑用や出張など重なったことも理由のひとつだが、言葉での自己
表現にやや疲れを感じ始めたこともある。ブログという形式に目新しさを
感じ、そしてアレの作品の紹介のつもりもあって始めたのははや2006年の
初め、なんともう8年近く続けてきたと思うと時の経過の早さに驚くとともに
自身の心境の変化というのもつくづくと自覚する次第である。

自分の感じること、観た展覧会、好きな画家や好きな映画、自分の家族を
巡る体験や出来事、アレの作品についての感想や紹介など気ままに綴ってきた
今までとこの数ヶ月の心境の変化は言葉にするのはなかなか難しい。
一言で言えば年齢的とも言える自身の存在への危機感、一体今までの人生は
なんだったんだろう、そして今ある世界への幻滅感などが相まって、それらの
感情を言葉で表現することへの限界と拒絶。
さらに今でもこのデジタル、ネット革命の恩恵は被りながらもどこかそこから
自分の心を脱離したいという願望がもやもやと出始めているのである。

芸術に関してもこのごろ何をみてもなかなか感動しない。今のアート界と市場の
仕組みにも賛同できないし、心動く展覧会も稀である。
これは感じる心が鈍くなってきているのか。。今までの情報の蓄積から解放されて
心を無に戻したい。白紙に戻してそこにまた新たな感動を誘導したい。

人生の道程のひとつの分岐点に来ていることだけはわかる。
次のステップに移るために何かの変化を渇望する自分がいることがわかる。

2014年は自身の中のRinascita、再生の年になりますように。

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by jamartetrusco | 2013-12-30 01:12 | Vita (人生)
2013年 09月 11日

2ヶ月の滞在を終えて

6月末から8月末までの日本滞在。長いようで短い2ヶ月の滞在を終えてイタリアに
戻りすでに2週間が経った。
帰ってから雑用と片付けと気ぜわしい毎日。幸い真夏の日差しと暑さが残る晩夏の
トスカーナ。日本から帰宅した後に太陽の日差しは有り難い。太陽のエネルギーで
時差ぼけも飛んでしまうし、また暑いとホームシックにかかっている暇もない。
これがもし薄ら寒く雨などで迎えられたら、本当に気が滅入ってしまうというものだ。
蒸し暑い京都の夏に比べれば日中35度近い暑さのこの地もそのからっとした気候で
過ごしやすく感じる。
9月に入ってもずっとテラスで夕食を取ることができて、半分休暇気分を味わえた。
なにしろ今年の春から6月出発までのイタリアは雨が多くてほとんどテラスで食べる
日などなかったので、最後の最後で挽回である。
今日から娘の新学期が開始。いよいよ仕事、日常の再開という気分で、これから
一挙に涼しさが増して、夏よさらば。

日本滞在中は大阪と有馬での2回の展覧会で忙しい滞在で、ゆっくりした気分になれた
のは最後の10日間ぐらい。夏の帰郷と展覧会が重なるのは善し悪しである。
言葉が不自由なアレなので私が2倍の活躍をしなければならなくなるので。
甘えもあるだろうが、しかし言語能力のない人間というのもいるものである。
何回も日本往復を繰り返しているのに片言の日本語も話せない。
今更とあきらめてはいるが。
本人曰く、言葉への重みをあまり感じていないそうな。
確かに言葉を超えた意思疎通というのもあるので、アレに対して話はできなくても
心を通じてとても親しみを持ってくれている友達が数人いる。
なまじ余計な話しを繰り広げるよりだまっている方を好むという。
物つくりの者が持つひとつの論理かもしれない。

風景の表現にて一つの境地に入り、そして次の道に展開するすべを模索中のアレ。
次回の展覧会はたぶん風景をひとつ超えた何かを見いだした表現となってほしい。

2015年は京都とフィレンツェとの姉妹都市提携50周年。
それを記念してたぶん京都のいずれかの場所で作品展を企画するつもりである。
最初に京都での個展をもった2001年の法然院での展覧会。
そして2005年のまだ京都在だったイタリア文化会館での2人展。

はや娘も15歳となるこの10月。
歳月は矢のごとし。


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by jamartetrusco | 2013-09-11 18:43 | Vita (人生)
2013年 06月 18日

プラハにてVDGG

VDGGのコンサートを見についにプラハまで行ってきたこの週末。

プラハも素晴らしかったし、VDGGも素晴らしかったし、言うことなしの
3日間。

至福の気分。
プラハの天候は快晴、暑すぎるぐらい、でもエネルギーをもらった。

そして戻ればイタリアも35度。待ちに待った夏、夏、夏!!!!

帰郷までのあと1週間、忙しいけれど集中して、体調アップのこのごろ。

あーーーーーーと感動を叫びたい、70年代以降初めて演奏したA Plague of
Lighthouse Keepers, 最高だったピーターハミル、感謝。

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by jamartetrusco | 2013-06-18 21:39 | Vita (人生)
2013年 05月 28日

心を新たに

今年の5月はいったいなんだろう。友人が訪れていた最初の2週間ぐらいは時々初夏のような
良い日和があったが、このところの悪天候には辟易である。
5月は年によってはすでに30度なんて言う日が続いてテラスで夕食をとるのが普通であるのに
今年はもう5月末だと言うのに気温はまるで3月。良い天気は一日ほどしか続かず、やっと
晴れたと思うと雲がもやもや、雨、そして風が強く肌寒い日々がずっと続く。
春も良くなかったのでこのまま夏なんてくるのかな、という感じである。
天気が気になるのは歳をとった証拠と言うけれど。

2013年はイタリアの政治がやや変わるかな、という期待のもとに始まり、それも全くの
夢の夢という今の政権。左派の党やインテリの御仁などが今まで悪の権化のように非難してきた
ベルルスコーニ元首相の率いるPDL党と共産主義の慣れの果てであるPD党との連立政権である今の
イタリア。自分達の護身からかなんだかわからないけれど、結経現状を覆されるのを恐れて
既存の政党をなにがなんでも維持しようとするマフィアの集団と思える。全くなにも変わらない
イタリア。
この数ヶ月すっかり振り回されてきたがもうどうでも良い。結局「政治家」とも呼びたくない「政治や」の集団はそういうものなのだろう。
グリッロの率いる純粋に改革を志す新参者達には太刀打ちできない強靭な「政治や」の壁を感じる。

アレも私もイタリアが少しでも良い方向に変わるかな、と期待しながら過ごしてきたこの数ヶ月
だったので、すっかり幻滅して、でももう心をそちらに向けずに行こうという気分になり、数ヶ月の
空白な時間を取り戻そうという気になっている。

大阪での今年の夏の個展に向けて、2012年の作品群を見返してみるとなんと多くの作品を
制作したのだろう。
いよいよ展覧会のための作品選び、タイトル、画像、実践的な諸々を決めていかなかればならない。

雨上がりに太陽が少しだけさしてダブルの虹となった、いつも虹が発生する位置が決まっている。
そこには何か宝があるというイタリアの言い伝え。彼方の丘の麓には何があるのだろう。
エトルリアの神殿の跡かもしれない。


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by jamartetrusco | 2013-05-28 16:44 | Vita (人生)
2013年 05月 11日

セルジョの工房

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2005年アレが京都フィレンツェの姉妹都市提携40周年記念のため京都にて
京都の作家の友人と2人展を開催したときに知り合ったN氏。広義のデザイナー。
ひとつの感性を拠点として様々に自身の生活、生き方などのデザインを展開していく
方である。
旅とデザインというテーマで世界のあちこちに旅をしながらその都度の体験と
見たもの、感じたものを集約して制作した作品を展覧会としてまとめておられる。

突然にトスカーナの焼き物の町で絵付けの制作をしたいのだけれど、と連絡が
あったのは4月頭ぐらいだっただろうか。
同じ大きさのお皿に滞在中の10日ぐらいの間に絵付けをしたい、どこか良い
工房を探してもらえないか、という連絡。
私は焼き物に関わりがないわけではないが、イタリアの、またトスカーナの焼き物
工房にはあまり通じておらず、さてどうしたものか。まずは焼き物の町である
モンテルーポ、またはテラコッタの赤煉瓦で有名なインプルネータ、その辺りの
工房をあたるしかない、と思いながら、知っているところをあたってもそういった
受け入れはあまりしていない、というところばかり。
さて困った、と思っていたら、アレが以前仕事場をともにしたマヨルカ焼きの
制作工場を経営するリッチェリ氏を思い出した。さっそく連絡してもらったが
彼のところは無理、しかし従兄弟は個人工房なのでもしかするとできるかもしれない、
と連絡先を教えてもらった。ちょうど良いことに我が家からも遠くないインプルネータ。
インプルネータはほとんど外に置く釉薬なしのテラコッタの壷や花壇用の鉢植えなどで
釉薬の色づけをするお皿などを制作しているところはなかなかない中でこの従兄弟さんの
セルジョは唯一のそういった食器も制作する工房ということ。
なんと幸運なことか。そして訪れてみたら、いかにも職人気質、作家の心意気のある
感性豊かなご主人とわかった。
快く日本からの友人を受け入れてくれると言う。

そして今週の水曜日から制作開始。その前に下準備で素焼きの皿を20枚すでに轆轤で
ひいて作っておいてくれた。
初夏の日差しの強いこの2日間。N氏はセルジョとの気もあったのだろう、そして工房の
静かで集中できる環境のおかげか、予定していたよりずっと短期間でお皿の絵付けを
終えられた。

作る者同士の暗黙の了解、感性の類似、言葉を超えた心の通い合いというものをつくづく
感じた。

大阪で夏に展示される予定のお皿達。
来週セルジョが再度窯に入れ、新たなる色に変貌して生まれあがる。

セルジョとN氏との協力のもとに生まれた作品が日本へと旅発つのは間近である。
10,000キロの距離を超えたふたつの文化から生まれた作品。
久々に心躍る嬉しい体験である。

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by jamartetrusco | 2013-05-11 03:54 | Vita (人生)
2013年 02月 15日

夢ーsogno

このところ忙しい日々が続いている。頭脳を使う仕事が多く頭がへんに冴えているので
夜の睡眠がままならない。常日頃からやや不眠症気味であるので、ますます寝起きのすっきりしない
日々が続く中、今朝の夢はいつもになく現実的でそしてシュールリアルなものだった。
夢を生まましく寝覚めに覚えていることなど少ないのだが、今回の夢は異様なほど
肌に感じるものだった、なのに起きて数時間したらすでにその色が褪せていっている。
汽車に乗ってどこかの重要な会合に行くところまでは覚えているが、詳細はもう
朦朧として霧の中。いかにも残念。草がぼうぼうとした自然の中に「何か」の存在を
理解することによって得られる力を感じていたように思う。
悶々とベッドの中で一晩中寝た気がしなかったのに早朝の一時間、いや数分かもしれない
がぐっすりと夢の中に突入した。
ややうとうととして目が覚めるとぐっしょりと汗をかいて、その汗がひく頃にまた
うとうととする。その繰り返しの一夜。
このジレンマを克服するには面白い夢を見るように心がけるしかないように思える。

ぼんやりと目が覚めてもっとこの夢に浸っていたいと思ったも矢先目覚ましがなった。
この歳になって娘の通学の時間に振り回される幸せと不幸。

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by jamartetrusco | 2013-02-15 22:56 | Vita (人生)
2013年 01月 28日

インスピレーションとは?

「書く」ということもインスピレーションが必要であることをつくづく感じるこの頃。
2年間、知人に依頼を受けイタリアを話題にしたブログを月に8回も書かなければ
ならないという状況に置かれて、頭脳がいささか消耗したようである。
きりきりとネジが回っていたのが逆周りしているような感じ。
どうもこのごろ「書く」こと自体へのインスピレーションが湧いてこない。
何か「はっ!」と思える思考や精神への刺激がおこるときに筆が動くようである。
マンネリの繰り返しが毎日が続くと自然と想像力も衰える。

「書く」ということはインターネット氾濫の今の時代にはある意味では大変な
努力が必要な気もする。あまりにも多くの情報が毎日目の前に飛び込んできて
考える余地もないようだから。
鉛筆と紙で書いていた時代はつい最近のこと。辞書をひきながら翻訳していた
あの時。今ではインターネットの検索が辞書の代替である。
すべてが楽なようで頭脳の低下を促すような感じがしてならない。
以前はクリスマスには限られた友人に懸命にクリスマスカードを書いて郵便にて
送っていたのに、今ではemailにて簡易な挨拶。
一瞬にして消してしまえばおしまいのカード。郵便にて受け取ったカードはいつまでも
手元に残る。物質として残るのが良いとは限られないけれど、現像された写真は後に
は怖いほど生々しくその時の情感を蘇らせてくれる。
私の世代はちょうどひとつの時代と次の時代との狭間でどちらの世界の良さも
身近に会得した世代であると思う。
テクノロジーの恩恵を有り難く思う反面、鴨長明のように解体自由自在な方丈に
身を置いてアナログの精神構造を享受したいと思う今。

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by jamartetrusco | 2013-01-28 05:05 | Vita (人生)
2012年 12月 25日

Buon Natale

Buon Natale

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by jamartetrusco | 2012-12-25 15:52 | Vita (人生)
2012年 12月 22日

紅葉

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11月半ばよりつい数日前まで日本に行っていた。
秋の京都を味わったのはいったいいつ頃前だっただろう。
娘の学校が始まってからついぞ帰郷する機会を失っていた。
だんだんと成長する過程で、母親がいつも傍らにいなくても
なんとか自分の毎日を過ごすことができるようになった今
故にできたことである。

紅葉の京都の美しさは比べようもない。京都のお寺の美しさは
まさに紅葉により増加するとも思える。
問題は多数の観光客が満ちあふれること。観光業に生きる方達に
とってはかきいれどきの秋。
長蛇の行列のできるようなお寺はなるべく避けて、と思っても
なかなかままならない。

京都御所はお寺の小さな空間を吟味したような庭の美しさは
ないものの、その広さにより訪れる人々を拡散させる良さがある。
そして美しい紅葉や銀杏があちこちに点在する。
のでじっくりその大木の下で光を浴びた赤、黄色の美を堪能できる。

散歩がてら寄る御所、自転車で通る御所、幾度となくその美しい
自然の絢爛豪華な色の前に心洗われる思いで立ち尽くした。

そして自分へのクリスマスプレゼント。
ついに新しいMacを購入した。
仕事は早くなり、良い機能はたくさんであるけれど、前のMacの
簡素さ、工芸性はやや薄れたようである。
そして今のイケイケのMacの新製品の出し方が嫌いだ。
マイナーな存在として少数のファンに忠実などっしりと構えた
昔のApple社が好ましかった。
でもやはりMacが好き。
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by jamartetrusco | 2012-12-22 16:01 | Vita (人生)