トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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カテゴリ:Vita (人生)( 146 )


2011年 12月 18日

猫失踪第2弾

モモの失踪事件があったが先月末に向けて今度はメス猫のマヤが失踪。
こちらは仕事で忙しくて出張で1週間留守にすることもあり、その前に
見つかればと思っていたが毎日外を見てもいない。
出発の前日夕暮れ時のやや人気がおさまったころ集落を回っていたら
マヤに違いない猫が座っている。
見つかった!と喜びで一杯で抱えて家に帰ろうとしたが、途中で車が
通ったり、人が通ったりと、ただでさえやや臆病な猫であるので腕から
もがいて逃げてしまった。なだめて呼ぶものの一向に来る気配がない。
そのうち薮の後ろに消えてしまった。
意気消沈して帰ってきたが、少なくともどこかで元気にしているという
ことでひとまずそれだけでも良かったと娘ともども慰めあう。
1週間仕事で居ない間も雨模様の日が続いたりで探すこともできずに
過ぎた。
帰ってからも時間があれば夕方探しに散歩するものの、全く姿は見当たらない。
誰かの家に行ってしまったのかな、とほぼ諦めて3週間の日々が経った。

ところがおとといの朝、6時ぐらいに目がさめて起きてみると、雄猫のモモと
ともに出入り口の穴からもう一匹似たようの猫が入ってきたではないか。
そうしたらなんとマヤだった。3週間の不在の後突然と出現した。
少し細くなったようであるが、元気な姿で。
モモも嬉しそうである。マヤも通常になくニャーニャーと叫ぶ。
今までどこにいたのか。またどうやって戻ってきたのか。モモが連れ戻したのか。
すべては謎のまま。
ただ母猫であるミヌーが急に戻ってきたさまよえる娘猫を歓迎していないのが
その唸り声でわかる。
2匹だけのテリトリーにまたもう一匹加わったのが気に入らないらしい。自分の
子供であることももう忘れているのかもしれない。違う匂いがついたのか。

今のところ3匹の調和はまだ戻っていないが、ひとまずクリスマス前に失踪事件が
解決して良かった。


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by jamartetrusco | 2011-12-18 01:29 | Vita (人生)
2011年 12月 11日

空の上から

ここのところ猛烈に忙しく、投稿している時間がないのが現実である。
仕事で何回空を飛んだことか。
ちょうど夕暮れ時の美しい時間に飛ぶ機会を得た。
ピサからロンドンに着く瞬間。
まだ午後の4時だというのにすでに日が暮れてくる一瞬である。
ピサーロンドン、ロンドンーアムステルダム、朝から家を出て
目的地のアムステルダムに着くのは夜の8時。
一体この一日はなんなんだろう。
何もしないまま空港にて待つ時間、またさまざまな人々の渦、
嫌な思いもしながらやっと辿り着くアムステルダムのホテル。
この疲労のみの一日にて唯一意味のあったのはこの美しい空の
光景だけであった。
人間の営みとは何だろう。
自然によって癒されるというのが生きているということだろうか。

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by jamartetrusco | 2011-12-11 05:44 | Vita (人生)
2011年 10月 30日

冬時間

冬時間に変わった日曜早朝。一時間だけ増えただけなのに一日が長い。
そしてこの時期にしては嬉しいほどの異例な暖かさ。
日中の太陽の日だまりにいるとまだまだ汗ばむほど。
今年の秋はなんと天気が良いのだろう。

とはいえ先日リグリアとトスカーナ圏の一部で雨による大変な被害もあった。
大雨の後の土砂崩れで古いCinque Terreの中の町が泥に埋まった。
水の恐ろしさをまた目の辺りにした。
断崖絶壁のような傾斜にそそりたつ集落である。
集落自体は古くから存続するのになぜ?と思うがやはりコンクリート固めの
水の流れを阻んだ箇所がどこかにあったのだろうか。
水は流れ得る場所へと流れる。土や草があればそこにしみ込んで大量の
水かさにはならないのである。
自然の法則に確実に忠実な水の流れ。それをどこかで
人間が閉ざしてしまうからこのような大きな被害を生むのだろう。

キャンティ地方は温暖な太陽に包まれて冬時間を迎えた今日。
朝からイノシシ狩りが行われているようで甲高い犬の群れの鳴き声と
狩り人達の野蛮な叫び声が耳障りである。日曜日は神聖な安息日である
はずのこのカトリック国のイタリアでなぜ生き物を殺生する狩りが日曜日に
許されるのか未だに疑問である。 大量な人数と犬の群れで数匹のイノシシを
追い込むイノシシ狩りは大嫌いである。狩りとは人と動物との一対一の対決
であるべきである。大人数で少数のイノシシをどんどんと山の角に追いやる
やり方は卑怯だし、醜い。毎年同じ時期に同じことを感じながら何もできない
自分にも腹立たしい。

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by jamartetrusco | 2011-10-30 21:28 | Vita (人生)
2011年 10月 09日

言葉の重み

私は大のMac派である。たまたま友人がMac派で、コンピューターのコの字も
わからない時に友人に勧められてそんなものかと思って購入した1997年以来
のことであるのでさほど年期は入っていないが、Macを信奉している。
この度惜しくも56歳という若さ(若さ、というざるを得ない、こちらとそんなに年齢差が
ないのだから)にてなくなったスティーブ・ジョブス氏。ニュースで見た彼の姿は
いかにも病いに侵されているようで死はそんなに遠くないと思っていたものの
やはり本当に逝ってしまったとなると感慨無量である。
個人的な関係など何もないのに、Macというコンピュータ−を通してそして次々と
発明してきたデザインのかっこいいi pod , I phone, I padなどなど見るにつけて
なんとアイデアに満ちた人だろうといつも感心していた。
Macの凄いのはすべてがわかりやすいことである。すべてがグラフィックで
見てすぐにわかること。複雑な過程を経ることなく操作が簡単なこと。
コンピュータ−の使う領域はあまりにも限られていて私など一言なす資格もないのは
わかっているのだが、それでもPCと比べてその操作の単刀直入さには有り難い
としか言えない思いであった。とにかく「かっこいい」の一言である。
Macになれた者はWindowsは使いにくい。説明過多、操作過多。
本能的でない。肉感的でない。視覚的でない。要するにセクシーでない。
Macはすべてセクシーだ。

ジョッブス氏の発明の源となっているのは彼がヒッピー時代に得た興味とインドとの
遭遇など、突拍子もない体験から来ているのであると聞いた。
そして彼の言葉が印象深い。Stay hungry, think different, think foolish.
まさに思うこと。
いつまでも次に進むことを考えること。現状に満足するのでなく。
常に変わっていくことのエネルギー。
そして常識にこだわらないこと。それがThink differentの本質であろう。
皆がするから、とか、前例がありませんから、とか最悪の人生判断だろう。
別に回りがすることと逆をいくことを勧めるのではない。
要するに自分の思いをつらぬけということだ。
そしていつまでも初心をわすれるな。
なんと愚かなと思われることも自分の信じるように、ということ。

自分の好きなこと、信じること。それを突き進めていけばいつかは道は開ける、
それは大なり小なり。

Jobs氏のような大成した人物がいう言葉であるからこそ重みを持つ。
しかしこれらは生きる上で真実のなにものでもない。

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by jamartetrusco | 2011-10-09 04:14 | Vita (人生)
2011年 10月 05日

夏、まだまだ夏

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1週間のロンドン出張から帰ってきた。
仕事はすべて順調。そして驚くべきほどの快晴のロンドン。
9月末10月初めの気候とは思えない。
連日28、9度という夏日である。
もちろん朝夕は気温の差はあるものの、夜外で食事が
できる暖かさである。
前代未聞、記録的な高温と聞く。
おかげで10月頭の週末はイギリスの海岸線は人波で砂浜
が見えないくらい。
だってハワイより暑いという日なのだから。
7月、8月と例年のごとく冷夏であったらしいのでその反動も
あり人々の浮かれようは納得が行く。
ロンドンはどんよりした気候が多いせいもあるがこのような快晴の
日には街全体がまるで違う国のように輝いてみえる。
自然の緑が青碧として、そして花まで鮮やかに見える。
幸せが空気に満ちあふれる瞬間である。

そしてイタリアに帰ってきた昨日はフィレンツェの気温も31度。
イタリアで最も暑い町。この地もこの1週間毎日夏のような
日差しと暑さが続いているらしい。
今日も素晴らしい青空。
10月にこんなに暑かったことは私の滞在する16年間でも一度もない。
ワインを買いに行く農家のおじさんのセルジョによるとこの猛暑の
8月、9月で葡萄がすっかり熟してとてもアルコール度の高い
良質のワインができるそうだ。というのも彼の所の葡萄は古木であるから。
それに対して最近古い葡萄の木をすべて取り去り刷新したような大型
葡萄園は対照的。若い葡萄の木はこの水の少ない高温続きの夏に耐えきれず
枯れてしまったというのである。
やはりなんでも新しくすれば良いというものではないのだ。
古い木を大切に育てること。そういう昔ながらの葡萄農家こそがどんな
自然の試練にも耐えて生き残れるのであろう。
古きを大切に、という最近忘れさられつつある真実はここにも生きている。
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by jamartetrusco | 2011-10-05 00:18 | Vita (人生)
2011年 09月 22日

Momoの大冒険

Momoは我が家の唯一の雄猫。4月に生まれてもう早くも5ヶ月の月日が経った。
家族中で留守にした去年と同じく今年の夏もお隣さんに餌の面倒を頼んでいった。
有り難いと同時に申し訳なく思う。
この状況なんとかならないものか。
日本に着いてから時々そのお隣さんのラウラに電話しては様子を聞いていたが、
8月お盆を開けてすぐ、電話したら娘の大のお気に入りの雄子猫のモモがいなくなった
という。えーと驚きとともにショックで言葉を失う娘。
どこからか抜け出して家から脱走したらしい。ただ脱走するも外の世界はあまり知らない
し一体どこに隠れているのだろう。ラウラも探したがわからない、と言われた。
もし万が一、誰かにつれていかれたり、知らないうちに交通事故にでも会っていたら
といてもたってもいられない気持ちになる。
「男の子だから冒険したいのよ、絶対戻ってくるから大丈夫」となだめるものの
私自身も心配である。
母猫のミヌーとメス子猫のマヤと比べてもひとなつっこくて、ひょうきんなモモであるので
誰かのお宅に入るこんでいるのかな、と信じようとするも。
それ以来お隣さんのラウラに電話するのも怖くなって、そして展覧会も始まったので忙しく
それどころではなくなった。
でも娘は「モモ戻ってくるかな」という思いが頭を離れない。

出発前日にさすがにラウラに電話を入れた。そうしたらなんと無事に戻っているという吉報が!
集落の猫好きで野良猫のためにも餌を置いているアレッサンドラの家の近くの庭に
潜んでいるのを娘の友人の男の子が見つけて逃げようとするのを捕まえてくれたらしい。
カルロ、ロレンツォ、大感謝。

日本から深夜おそるおそる帰宅したら、モモもマヤも大喜びで迎えてくれた。
それ以来当たり前のように家にいる。
一体モモは不在だった3週間どこで何をしていたのだろう。
猫の行動の不思議はつきない。

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by jamartetrusco | 2011-09-22 17:57 | Vita (人生)
2011年 08月 25日

自然ー生きる

お盆休みが開けてから友人の新居にお邪魔させてもらった。
京都から20分ほど行った、滋賀県内の自然豊かな土地に住む。
周りは見渡すばかりの蒼碧とした田んぼと木々生い茂る山々。
琵琶湖も近い。
山あり、谷ありの自然はどこか我々の住むキャンティの地方を想起するが
それよりさらに厳しい。暑さも寒さも日本の湿気の粒が混じっていて
イタリアの石と太陽のからからとした自然と対照的に露にまったりとした木と
土の自然である。まさに神社にまつられる神々の存在大なり。
葡萄酒を飲むバッカス神ではなく酒を飲み笑い涙するどこか怖い感じの
猩々の神が宿る。
しかし自然に囲まれて生きることの素晴らしさ。
私もいつしか田舎を心底愛する人間となったようである。
都会生まれの都会育ちであったのに。
都会の喧噪と煩雑な日常生活、何もしないのに毎日が過ぎていく感覚。
これは都会で住むことの善し悪しである。
その日常から離れてふっとこのような自然に囲まれると時は瞬く間に自身の
歩みを見せつけてくれる。
すっーと生きている感じが戻ってきて、細かい自然の機微が生きる上での
焦点になってくるのだ。

すっかり良い気分になった3日間の滞在。AiさんJunさんありがとう。
今回の滞在で初めての心と体の休暇をありがとう。

来週よりいよいよ大阪での展覧会、忙しくなる。

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by jamartetrusco | 2011-08-25 10:04 | Vita (人生)
2011年 07月 24日

京都にて

京都に着いてから日常の雑用に追われる毎日。
8月末からの大阪でのアレの展覧会の打ち合わせだけは
済んだのでややほっとしている。
作品選択がなんといっても気がかりだったので。
案内もかなり早めに作って頂いた。

やっと少し落ち着いたところでさてこれから1ヶ月間、いかに
有意義に滞在を過ごすか。
今年は今のところ去年の夏ほど暑くない。
いつもの滞在とはひと味違ったことがしたいと思うのだが、
さて。

今日は下鴨神社の御手洗祭に行って足を清めてきた。
何度行っても原生林の素晴らしい境内の大木である。
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by jamartetrusco | 2011-07-24 18:03 | Vita (人生)
2011年 07月 13日

昼寝

この2日間の暑さは並大抵でない。
昼間の暑さはあらゆる生き物の行動を止める。

この暑さの中で日本への旅発ちの準備をするのは大変だ。

猫達も昼間は寝るしかないと見える。

明日から3匹にて過ごす。

出発間際であるが、猫達がこの夏を乗り越えてほしいと思う。

動物とのsimbiosiー生きる上でのお互いの調和ーこれが
人間と動物とのあるべき姿である。

2ヶ月後に大きくなっている子猫2匹を思うながら明日旅たつ。

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by jamartetrusco | 2011-07-13 04:49 | Vita (人生)
2011年 06月 13日

もろもろ思う

自分の使いなれたコンピューターがないのでいまいちブログの更新はもとより仕事も進みにくい。
そろそろ修理が完了ということであるが、すべて初期化されてしまうようで保存してもらったデータ以外はすべて消えてしまうというので、なんとも悲惨。
I photoとかI Tuneに入っているデータはどうなるのだろう。
それでも仕事はなんとか支障なくこなしているからありがたいと満足するしかない。
娘に感謝。

それ以外にこの週末に起きた辛い出来事。うちの猫のミヌーの子猫3匹のうち一匹を娘の友達に
もらってもらった。
最初は一匹だけとっておいて他はあげるつもりでいたのだが、3匹の存在になれてきて、そして
そのかわいさに日ごとに心温まる体験をするうちに、あげるのがかわいそうになってきた。
こうなったら夏日本に行っている間の2ヶ月誰かにアルバイトでえさだけやりにきてもらう手配を
して皆とっておけるかも、とアレとも話し合って合意した。
しかしそう思う前に約束してしまった一匹だけはあげなくてはならない。
娘の友達だからなにも心配ないのだが、いざいなくなると思うとなんとも辛い。。
とりわけ3匹を本当に気を許さずに世話をしている母猫の姿をみていてますますその辛さは増す。
1匹消えたらどうするだろう、と想像するだけで気が重くなる。

いったい一般的に皆猫を飼う人は子猫が生まれると皆知り合いや友達にあげてしまうのが
当然のように聞いていたので、そんなものかと思っていたのだが、実際に母猫、子猫の関係を目の
当たりしてそんな簡単なものではないということをこのたび実感したのである。
母猫が子猫に対して抱く注意力、愛情、それは人間のそれとまったく変わらない、いやもっと
本能的に強いものに思う。子供を虐待するなどというへんな親が横行する現在を思うと猫の
親子のほうがよっぽど愛情深いと思う。

いよいよ一匹を親子でとりにくる土曜日。夕方7時ごろ、まだまだ明るい庭にて遊ぶ3匹の子猫たちから一匹だけ引き離して連れて行くなんて見るに見かねて、アレに頼んで私は部屋にて隠れていた。母猫が気がつかないうちに持っていってもらった。

その後がまた最悪。ミヌーはどこにいったのかと探し回る。声を出しては存在を探したり、
庭をうろうろしたり。ずっと悲しげな様子で探し回るのである。
なんという残酷なことをしたのだろう、と気がとがめてとがめて、こちらまで涙がとまらなくなる。一つの家族の調和を崩したとしか思えないからである。
たかが動物なんて言えないのである。

今日あたりやっとあまり考えなくなり残った2匹とともに平常に戻ったように見えるが、それでも
こんなことは二度としたくないと心に誓った。
この2匹はどんなことがあっても母猫から巣立つまではそばに置いておこう。

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by jamartetrusco | 2011-06-13 22:12 | Vita (人生)