カテゴリ:Natura (自然)( 67 )


2012年 06月 29日

自然界の無限なる不思議

Geco (やもり)がランプの光に誘われて現れる夏の夕闇。
日中の熱気が少しづつ退いてくるのがこの頃である。
この10日間ほどの暑さは凄い。
太陽は毎日朝早くから容赦なく照りつけ、日陰でないととても
いられない。
昼間のうちはどこで隠れているのかわからないが、日が暮れて
初めて行動開始するやもり。その姿を見て自然界の無限なる
力を思うこのごろ。
やもりが垂直歩行できるのはその足の下にある襞に生える数百万の
ミクロの毛のおかげと聞く。
やもりの毛の分子と平面の壁の分子にファンデルワールス
力が作用して垂直歩行が可能になるという説を読んだが、
つい最近ではやもりの歩いた跡に判別不可ぐらいに付着する粘着質
がその理由では、ということである。このやもりの能力を参考に
可能性大の粘着テープを開発しているらしい。それとももう開発されたのか。

自然の不思議に限界はない。
自然の持つ神秘の話にもうひとつ最近知った驚異的事実がある。
slime mold という細胞生粘菌の不思議。
食べ物や植物につく菌であるが、アメーバのように増殖する。
その増殖の仕方が面白いのである。要するに一番最短距離を理解して
目的地に辿り着くのである。
実験では東京近辺の地図を出してきて、東京近辺の主要都市に豆を
置く。そしてそこにslime moldをいれるのだが、この菌がみるみる内に
豆に辿りつき増殖していく過程でその足取りはまさに東京の鉄道網と
同じであるという発見である。
要するに東京の鉄道網は近辺の都市に最短距離で辿りつけるように
建設されているという、これも日本の効率の裏付けであるが、slime
moldはそんな人間の努力など横目に本能的にその力をそなえている
という神秘である。
また迷路の最終地にも一番短距離、短時間で辿り着くこともできる。
(youtubeでslime moldと探せばいろいろ出てくるのでみてみてください)
この菌の能力を利用してさまざまな情報網、鉄道網などを開発することが
できるという。

自然の力とはどれだけ未知でありまた無限大なのだろう。
そしていくら人間が自然の生き物に在る不思議を科学的に解明し、模倣しよう
と思ってもそこになんらかの限界がありそうだ。

夏の夜、やもりを眺めながら想う。

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by jamartetrusco | 2012-06-29 22:55 | Natura (自然)
2012年 06月 09日

野生ルッコラ

Rucola-日本ではルッコラとして知られる葉野菜は最近では日本でも店頭でかなり
普及しサラダの素材として人気である。
このルッコラには野生と栽培の2種がある。辞典によるとこの野生と栽培されるルッコラとは別種
だそうで、栽培のルッコラの花が白っぽいのに対して野生は黄色、アブラナ科に属する。
野生タイプは普通のルッコラよりもっと芥子のようなピリッとした味わいが強く、葉っぱも肉厚である。
ローマ時代から好まれて食される葉野菜である。
ビタミンCやカリウムたっぷり入ってアフロディジアカー媚薬としての効能もあるというのでローマ時代
からイタリア人の食文化に取り込まれていたという背景も理解できる。
地中海性の気候に適し、土道の際とか雑草の生えているような荒れ地に多く育成する。
海辺の土道で見かけて採集したことは何度かあるのだが、自宅周辺で一カ所だけこの野生ルッコラを
収穫できるところがある。なぜそこだけなのか、未だに不明。
個人の邸宅の門の外の道路脇で、ちょうど脇に駐車できる空き地があるので今頃の季節になると
5分ほど車を走らせ目指すルッコラ採集へ。
例年この時期は雨がさほど降らず急激な猛暑が訪れたりであまり育ちは良くないのだが、今年の成長
ぶりには驚くばかりである。雨と太陽の具合が最高だったのだろう。
野生に生きるこの何気ない葉野菜、小さいその葉っぱからその味の濃さを心底味わうこのごろ。
ぴりっとした辛みのあるその味は太陽の恩恵を浴びて真に力強い。

大地、太陽、そのエネルギーを得た緑。

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by jamartetrusco | 2012-06-09 04:08 | Natura (自然)
2012年 05月 24日

Finocchio selvaticoー夏の香り


季節の良い今の時期になると必ず採集しにいく香草が野生のフィノッキョ、
日本語ではウイキョウ(茴香)。散歩がてら歩く土道があり、石壁の回りに生えている。
新芽も新葉もふさふさした緑、目に鮮やかな春の色である。
これがだんだんと成長すると固い灰色の枝となり黄色の花をつける。
この花の種は香りがアニスに近い独特なもので、肉や魚料理に好まれ使われる。
普通にマーケットでも売られているフィノッキョは根っ子の白い部分。
これは野生フィノッキョとは同種ながら別物である。形から雄雌の区別があるのが面白い。
細長いタイプは女、まるっこいのは男。人間世界の形体とは反対。
雄のほうは筋があまりなく肉厚でサラダなどにして生で食べるのに向いている。

さて野生のフィノッキョの新芽。地中海地方独特の植物でその歴史は古く、エジプト、
古代ローマの頃から食用として使われていたそうだ。胃腸整腸作用など薬草としての効果もある。
野生フィノッキョの料理法を教えてくれたのはシチリア人の友人ピエトロ。
春先に出てくるこの柔らかい新芽を野原で集めてトマトとともに煮込んでパスタのソースとして
出してくれたのが最初。それ以来やみつきに。

地中海海岸近くの気候が一番適して野生するので、シチリアで多く食されるのは納得。
内陸のキャンティ地域周辺では採集する人もあまりないようである。
シチリア料理ではイワシとトマト、松の実、干しぶどう、そしてこの野生フィノッキョの
たっぷり入ったパスタが有名だ。

トスカーナのリヴォルノ沖の島カプライアに1週間ほど滞在した際にその元気な育ちぶりに驚いたものだ。
夏の暑さと野生フィノッキョ独特の香りーイタリアの海の風と強い太陽の日差しでほんのり香って
くる独特の野草の香りは五感に感じられる夏の象徴である。ぞくぞくするほど官能的な。

今年の夏は久々にトスカーナに残り、夏の風物を満喫したいものだ。


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by jamartetrusco | 2012-05-24 15:59 | Natura (自然)
2012年 02月 02日

初雪

今年の冬初めての雪。
朝目が覚めたらいつになく静けさが満ちている。
やはり雪がつもっていた。

去年の春に生まれたMomoにとっては初めての体験。
初めての雪にはしゃいで飛び回る猫。

2月1日の早朝。

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by jamartetrusco | 2012-02-02 00:36 | Natura (自然)
2012年 01月 10日

満月讃歌

満月の夜はいつもそわそわ、どきどきする。今夜は月が見られる快晴の夜空かしら、と気になるから。
満月が来るとその次の日から少し天候が変わることが多い。また生き物にも影響があるようで、
私の場合は眠りが浅くなる気がする。たぶん生き物のどこかの神経やホルモンを刺激するに違いない。
満月には様々な伝説がまつわる。満月の夜に変身する狼男。月に映るお餅をつく兎。
「月桂樹」という文字に暗喩されるように、中国の伝説では月に見えるのは仙人になろうとした呉剛が
永遠に切り倒すことの不可能な桂の樹を切ろうとする姿であると言われている。
または蝦蟇の斑点とも。永遠に樹を切る男の姿はグロテスクな感じのイメージだが。
このように人間の精神史に深く関わってきた月。空を仰ぐ私たちの想像力を強く促す月。

イタリア語(ラテン語)では月はlunaと言う。Lunatico と言うと気が狂った、またはエキセントリックな
という意味である。満月の下では人間は狂気に走る、という西欧の長年の伝説から生まれた表現であろう。
そういえばハリーポッターに登場するちょっと不可思議な女の子がルーナと呼ばれていたのもここに由来
するのだろう。
ところでイタリアの往年の人気女性歌手ミーナの1959年の最初の大ヒット曲にTintarella di Luna
(月焼け)という歌がある。Tintarellaという言葉は普通太陽の日焼けに使う言葉だが、その言葉を月に
使っているのがみそ。50年代終わりのロックンロール調の軽快な旋律は月が映し出すイメージと
やや違うものの、夏に日焼けをするのが命のようなイタリア人なので、その中で月焼け美人を讃える
歌詞が新鮮で面白い。

Tintarella di luna, 月焼け
tintarella color latte ミルク色の月焼け
che fa bianca la tua pelle 肌を真っ白に染める
ti fa bella tra le belle   貴女を美女の中の美女に見せる
e se c'é la luna piena   満月の時は
tu diventi candida.    貴女は純白になる
こんなフレーズが続く。

満月の下では実にすべてがくっきりと銀白色に輝くようだ。

今年初めての満月、1月9日の夕刻の月。神々しい光を放って遠方の山並みを超えて夜空へと昇った。
やや雲がかかり、枯れた木の枝の背後の満月はその美しさと幻想性を増しているように見えた。

1月9日の18:50、モンテフィオラーレのテラスより。

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by jamartetrusco | 2012-01-10 23:23 | Natura (自然)
2011年 10月 27日

鉱石の世界

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ミネラル、鉱石の世界は広大である。およそ46億年に渡る我々の住む地球の歴史の中で
ひとつの実質的な存在感があるのが化石を含めて鉱石ではないかと思う。
水、空気、光、流動的に動く微生物などなど目に見えるようで実態のない地球の存在に
不可欠な要素の中で鉱石は確固たる存在を残している。
自然史博物館を訪れて様々な生き物の証を見ながら最後に辿り着くのが鉱石の部屋だ。
鉱石の収蔵品と展示の方法で圧倒的に素晴らしかったのはシカゴのField 自然史博物館の
Gems and Mineralsのコレクション。
暗闇にぼーっと浮かぶ美しい極彩色の鉱石の群には驚嘆したものだった。
透明や半透明の様々な色に光り輝く鉱石の結晶の世界は美しいというよりどこか不気味な様相
を見せる。地球の内蔵の断片のようなそんな感じがするのだ。そこに何億年の歳月が
集約されているのだろうと思うと空恐ろしくなるのである。

スペコラ博物館にて現在展示中の結晶石の展覧会は一見の価値がある。
50年間に渡りイタリアに限らず世界の鉱石を収集するアダベルト・ジャゾット氏の1000点にまたがる
コレクションの中から500点あまりを選んで展示している。
ほとんど観客のいない美術館内の展示室に入ると光り輝く鉱石の世界に引き込まれる。
私が訪れたときには文字通り観客は私のみ。
展示ケースに処狭しと飾られたこの超現実的な塊に対面してありとあらゆる形体、色彩、
結晶の万華鏡に見とれるとともに、これでもかという色彩の輝きと鉱石から放たれるエネルギーと
そのどぎつさに目眩を感じた。
鉱石に内在する地球の地層エネルギーにあてられたのだろうか。

その中で唯一彫刻的な調和のとれた美しさがあったのは銅の塊。
人間が銅を先史時代から生活器具として利用してきた理由が理解できたような気がした。

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by jamartetrusco | 2011-10-27 22:14 | Natura (自然)
2011年 10月 23日

天地創造

10月21日の日の出。
空が2分に分かれて現れた。
天地創造の一瞬のようである。
風景がそのまま物語る。
それ以上でもそれ以下でもない。
エネルギーの結集するところ。

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by jamartetrusco | 2011-10-23 04:00 | Natura (自然)
2011年 06月 18日

赤月夜 ーLa Notte della Luna Rossa

6月16日の皆既月食の晩。夜8時過ぎから9時過ぎにかけて。
その夜は快晴。絶好の月見日和である。
陰となった月がぼーっと薄赤色で背後に浮かび上がっているのが
美しい。月の姿が黒地にうっすらと映るのはまさに幻想的な夜空。
そして陰となった満月が徐々に顔を出していくその移ろい。
こんなはっきりした月食を見たのは初めてである。
自分たちの住む地球が太陽と月の間にあり影を月に
落とすというそのこと自体がなんとも神秘的である。
いつみても我がテラスから見る月の光景は感動的である。
完全に月が姿を現すまで随分かかった。
すでに深夜近かったようである。
ひとまず月に合掌して床につく。

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by jamartetrusco | 2011-06-18 22:47 | Natura (自然)
2011年 05月 20日

オックスフォードで出会うアフリカの木根

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オックスフォードに仕事で行く機会を得た。久々に訪れる学堂の古都。
以前ここを訪れたのはいつのことだろう。ロンドンに住んでいた80年代。
サマーボール(夏に開かれる大学のダンスパーティー)にて友人や姉と薄ら寒い
夏の夜の夢、頑張って薄着をして踊ったのはもう大分前のことである。
オックスフォードを流れる川でパンティング。
様々な思い出が甦る。恋をして悲痛な思いで訪れた町でもある。
私にとってオックスフォードは心地よい思い出の溢れる土地である。
そして30年ぶりに訪れた。今回は単なる仕事の一貫。
本当ならもっとゆっくりとした再会がしたかったのだが。
しかしこの日帰りの慌ただしい出張にて思いがけない強烈な出会いがあった。
出会いとは言え人間との出会いではない。
木根との出会いである。
仕事を終えてオックスフォードを知る友人や義兄に勧められた自然歴史博物館を訪れた。
以前滞在したときにもここに来なかった自分の愚かを思ったほど素晴らしい博物館。
その中にあるPitt Rivers Museumの面白さについては別に機会を設けよう。
この博物館に辿り着いて目に入ってきたのは巨大な木根。
博物館前の庭に10株の木の根がその存在感を持って鎮座している。
鎮座しているという言葉がぴったりである。
何故ここにあるのだろう、と疑問に思うとこれはどうもアフリカ、ガーナのRain Forestから
来た木根で、ロンドンのトラファルガー広場の展示を終えて6ヶ月間、7月末までここに
展示されているようである。Ghost Forest—死する森の題名をもって。
見る人にRain Forestの大事さを理解してもらうとともに木がどれだけ偉大かを短刀直入に
体験できる良い機会となるだろう。
これはアフリカに限らず世界中の森林への危機に思いを向ける契機を作るプロジェクトである。
30メートルにも成長する木と言う。

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by jamartetrusco | 2011-05-20 22:12 | Natura (自然)
2011年 03月 06日

ミヌー?

日本に行っている間に我が家の子猫であったミヌーがついにボーイフレンドを
見つけてその後の行く末はいかに、という状態になっている。
どうも盛りがついたのが2月10日前後、その後に雄猫が庭に入り込んで
カップルとなったようである。
私は不在だったので詳しい状況はわからないものの。
もし妊娠してしまったのなら出産は4月のイースター頃か。
飼い猫には雄の場合は領域に記しをするための臭いオシッコに辟易するため、また
雌はさかりがついて妊娠するのを避けるために手術を施すのが常ではあるが
この自然に生きる気高い生物を人間の勝手でまるでおもちゃのように自分の都合の
良いように自然とは逆らう道を強要するというのはあまりにも酷である。
動物も自然の本能、尊厳というものがあるものだ。
生きる上での本能を奪ってしまうと猫はどんどんと太っていく。雄は特に。
ホルモンのメタボリズムを狂わせるのである。いわゆる去勢である。
雌猫も恋を求める時期には食欲がなくなるのであるが、そういう
自然の法則がなくなるので食べることしか興味がなくなり、猫族とは思えないほど
太る。以前出入りしていたビルバは去年の夏以来とんと遠ざかってしまったが
久々に見るその姿の太りぶりには驚いた。
そういうことももろもろ考慮してとにかく一度はミヌーに親となることを味合ってもら
おうかと思っている。
ミヌーが母になるかどうか、あと一週間ほどすればお腹の変化がわかるだろう。
人間と動物との共生、ぺットとして動物を考えるなんていうのは根本的に間違っている。
お互いにかなりの覚悟をしてつきあうしかないのである。

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by jamartetrusco | 2011-03-06 01:45 | Natura (自然)