カテゴリ:Natura (自然)( 67 )


2010年 12月 18日

12月の吹雪

昨日のお昼過ぎた頃から突然と降り出した雪。
天気予報がしきりと騒いでいたので予想通りではあるものの
その積もり具合の早さと激しさに驚く。
長く済むトスカーナにてこんな吹雪は初めてである。
まるで雪国を思わせれるような猛烈な降雪。
目の前も真っ白で、遠景も全面、純白と化す。
学校に行っていた娘を早めにひきとろうと車ででた
アレも途中で戻ってきた。降雪が始まって一時間もしない
内に道路は通行不可能な状況だった。すべって前にも後にも
行けないので途中で車を乗り捨てて歩いて帰ってきた。
これは一大事。そのうちそういった車が何台か道路の真ん中
に立ち往生して道まで遮断してしまった。
さて娘はどうやって帰れるやら。最後の手段は人間の足のみ。
自然の前ではやはり生身の人間の足が車より強い。
そうこうしていると市の手配した警察のジープにてじきじき
家まで娘を送り届けてくれた。
小さい町の利点である。
フィレンツェは昨晩大混乱で立ち往生した車の留め場所として
すべての駐車場を無料で明け渡したと聞く。
雪がこんこんと降る真っただ中に我が集落を一周した。

白の美しさ、音の不在の静けさ。感動が体を走る。

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by jamartetrusco | 2010-12-18 23:54 | Natura (自然)
2010年 11月 13日

雨,雨さらに雨

ここのところ一週間雨, 雨、また雨。
どしゃぶり、ざーざー、しとしと。
太陽がこの世から姿を消したかのようなどんよりした毎日。
体も頭も湿気が入って機能を落としつつある。
この大雨の被害はあちこちに出ている。
トスカーナの土砂崩れ、ヴェネト州の川氾濫、カンパーニャ州にサレルノ
での洪水。特にヴェネト州の川の氾濫で家屋、工場など1メートル以上の
床下浸水ですべてを失ったという人々が多くでている。
かのポンペイでもグラディエーターの家がある朝こつ然と倒壊した。
修復のずさんと大雨のせいらしい。
11月はイタリアでは雨期であり、過去にも歴史的に有名なフィレンツェの
11月4日の大洪水などあるのでこれも天災のひとつと言えるのかも
しれないが、どこか違うようにも思える。
どうも近頃の天災の影には人間の愚かな作為が潜んでいるようである。
従来の水の流れを無理矢理に変える、また水の流れがあったところを
コンクリートで埋める。昔は家など建つはずもない山合いの崖を崩して
家を建てる。
アイルランドやスコットランドでも暴風雨が猛威をふるっているらしい。
日本では昔は「鉄砲水」が出るなどという表現を使ったが今では
「ゲリラ豪雨」と言う。
自然までどうもテロリストの様相を帯びてきているようである。
人間社会の歪みが自然にまで及んでいるのだろうか。

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by jamartetrusco | 2010-11-13 17:36 | Natura (自然)
2010年 09月 23日

暁光


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9月22日、朝6:49。
天空、暁光、雲紅、
眩惑、畏敬。
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by jamartetrusco | 2010-09-23 16:36 | Natura (自然)
2010年 09月 15日

空が赤くなるとき

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晩夏の夕暮れ時は思わぬ光の綾を見せてくれる。
日に日に日没の時間が早くなる故7時から8時の
間は昼でもない夜でもない不思議な空気を持つ。
太陽の力もやや衰えたかのような微妙な機微を
備えた光の粒。
9月6日夕刻。
黄昏の光は雲に反射してすべての物体を赤く見せる。
忽然とピンク色に染まるテラスや家や我々の顔や手。
ここに16年住んで初めて目にした光景である。
自然の懐はまだまだ広い。
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by jamartetrusco | 2010-09-15 15:44 | Natura (自然)
2010年 05月 26日

あひるの子と猫

田舎に住むことの良さは生き物や自然と生活をともにできること。
原住民であった赤猫のビルバは年ごとに新たな住民の存在を
受け入れるしかないのを本能的に分かっているようである。
ハムスターのレミーが昨年6月に加わり、そして9月には拾われて
きた灰毛のミヌーが転がり込む。そしてつい最近登場したのは
アヒルの子、ダッフィーである。グレーベの川辺で親とはぐれて
危険な目に合っていたのを娘とその友達が救い連れ帰ってきた。
アヒルの子をまじかに見るのは初めてで、鶏みたいなものかと
思っていたらとんでもない、とても賢い。そして人懐っこい。
人の歩く後お尻をふりながらついていくその姿はことの他愛おしい。
なんでも食べるのでさほど苦労はしないし、暑い日には川辺にて
水遊びをさせるのもなかなか楽しい。忘れていた子供心がよみがえる。
夕暮れ時になると自分の住処の篭の中に自ら入っていく。
奇麗好きで毎日何回も行水。

生き物の命の価値と共存することの重要さを猫もアヒルも教えてくれる。

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by jamartetrusco | 2010-05-26 23:47 | Natura (自然)
2010年 05月 21日

黄昏の雲

夕焼けの雲
夕刻8:30。
一日一日と長くなる日。
こんな雲を見るのは初めてである。
自然の偶然の素晴らしさ。

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by jamartetrusco | 2010-05-21 03:50 | Natura (自然)
2010年 04月 18日

Eyjafjallajökull

この読み方のすべもないようなアイスランドの火山が噴火して以来ヨーロッパ中
大変なことになっている。水曜日に噴火して以来、この木曜日から主要な空港ー
ロンドン、パリ、フランクフルトーが閉鎖。すべての便が欠航。そして今では
その灰塵の雲はどんどん南下してイタリアもミラノやベネチア、そして昨日から
はローマやフィレンツェもその雲の配下に被われつつある。
被われると言ってもかなり高度の空の上にて普段の生活ではまったく目にする
ことはできない。今日は久々の青空が広がるトスカーナ。
木曜日以来飛ぶことのできない乗客、そして出発便だけでなく到着便も着陸できない
のであるから世界中から帰られない人々があちこちに日ごとに増大していく、という
混沌とした状況である。今日の記事で読んだか上海に修学旅行に滞在していて帰る
はずのイギリスの生徒達がもし正常に戻ったとしても5月4日まで飛べる可能性は
ない、という。これは大変な状況になってきた。
そして飛行機がとばない、ということは運搬もできないことで郵便やさまざまな輸送
の問題もあるのである。只単に旅客機だけでなないのだから。
日本のオンライン新聞をみてみると全くその重要度がわかっていないのか取り扱いが
至極少ない。日本のジャ−ナリズムの島国性をつくづく思い知った。
アイスランドの火山なんて遠い国の話し、と思っているのだろうか。
ヨーロッパの主要空港が1週間も閉鎖することの重大性がわかっているのだろうか。
世界経済への影響にもつながるかもしれないのに。

この影響にて私も仕事にて明日のフランクフルト経由にて日本へ帰る予定が大幅に
変更になりそうである。明日の便はほぼ欠航に間違いないが、次の空席を取るには
いつになるやら、今や多くの便が満杯であろう。
ロンドンから来るはずの招待の方々も飛べないのだから同じ穴の狢にてこの自然の
威力と人間の無力を受け入れ運命に任せるしかない。

空からのこの火山の写真がまるで口を開けた悪魔のように見える画像を見て自然の不思議に
思わず笑いが出てしまった。

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by jamartetrusco | 2010-04-18 16:09 | Natura (自然)
2010年 03月 23日

Inner Landscape-內經圖

随分前に西欧の文化史にある解剖図について書いたことがあるが、近頃、道教のより精神性
高い人間の内部の把握により共感を覚えるとともに、この深淵にはまりこみそうである。
内景園とも書けるに違いないこの人間の心身を説明する中国の人体解剖図。
それは解剖図というより内なる人間の頭脳、内臓含めた手足の除いた胴体部のすべての機能
を自然や事物に喩えて漢詩にて顕したかなり秘儀性の高いものである。道教にある陰陽の
宇宙の理に則った理解である。人間の体を小宇宙とみなす思想である。
人間の体は自然の存在する図式やエネルギーの合わさったものが内在するだけでなく
超自然的な景色と神性も宿している。故に体は山川、神々の聖宿すべて内包した完成した
宇宙世界を象る。具体的な図式では頭は9つの九龍山脈、眼球は月と太陽(陰と陽)、
すべてをつなぐのは水や土の道流、森林、星流などなど。
描かれる人物ー牛飼いの子供や機織りの娘などーはすべて中国の星座を象っている。
要するに宇宙の、自然の法則が体内にも流れており、人間を生かし続けているという
ことであろう。

何もかも科学と化学で解明していこうとする現在の医学が横行する中で、人体に対する
こういった理解は古代の人間に属するもので単なる神秘主義と片付ける向きもあろう。
しかし最近ますます感じるには人間が目に見えない「何か」ーそれが神として捉えられても、
他の道徳的理念であってもーに対して畏れを感じなくなり、さらに自身と宇宙とのつながり
を感じなくなって以来この世界の、自然の調和が崩れ出したのではないか。
それは物質的満足などでは癒されないのである。
このような思想は西欧の、特にエトルリア文明のアルケミアー錬金術ーの神秘主義にも
近いものがある。東洋と西洋との縦横、左右の捉え方の違いがあるにせよ。
宇宙の深淵へと近づこうとすることは東西の違いを越えた人間の営みの意義ではないだろうか。

この日曜日、イタリアの美術紹介TV番組"Passepartout"にて、ミラノに1956年に辿り着き、彫刻家マリノ・マリーノに師事し、今でもこちらで活動を続けるアズマ・ケンジロウとう80歳を越える作家と、番組を担当する美術評論家,フィリップ・ダヴェリオとのインタビューを見た。作家としてどのような作品を制作するのかあまり知らないのであるが、そのどこか
飄々としてユーモアを含めながら、制作と人生観にひとつの悟りを開いたかのようなアズマ氏の人となりに感銘を受けた。自分のエネルギーと力の源泉は"Vuoto"である、「空」である、と言うアズマ氏。「空」であるからこそその中に何かを受け入れることができるのだから。
道教の思想に繋がる禅的人生の把握。師匠であるマリーニはトスカーナ出。アズマが師事して当初
師の作品を模そうとうして必死だったとき師がいみじくもいさめた言葉「私はエトルリアのルーツがあるが、あなたは別の文化から来ているのだから、それを発見しなさい。」
アレもエトルリアの精神文化に通じているので語ったにはエトルリアと日本の人生観はどこか
近いところがあるのではということである。日本に初めて来たときに何の違和感も感じなかったというアレであるので実はエトルリアと道教は近いのかも、などとかなり飛躍した考えが頭を巡った。こういうfegatoー内蔵に響く理解というのは案外正しいことがあるものである。


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by jamartetrusco | 2010-03-23 22:56 | Natura (自然)
2010年 01月 13日

猫のミヌー

我が家の新しい一員であるミヌーはまだ子猫であるので好奇心旺盛である。
地元の住民で娘の友達のペアトリーチェがある日突然と連れてきた。
あまりにも可愛い生まれたばかりの子猫であるので断るわけにもいかない。
長い間子猫をほしがっていた娘は当然ながら大満足にてこの子猫の受け入れ
人となる。
その後の様々な問題(長期間不在するときはどうする?)を理解していながらも
断れないのが人間の性である。
生き物の尊さと愛おしさを子猫は体現しているのだから。
というわけで9月末から我が家の一員となっている。
外からなんとなく出入りすることとなったビルバは当初はかなり不満気であったが
そのうちに母性本能が芽生えたのか、まるで我が子のように謹んで世話するように
なった。ビルバは母になったことがないので母たることがなんであるかわかっている
のか不明であるものの、小さい存在に対してのいたわりの心は本能であるようである。
とは言え嫉妬なども本能的な感情であるらしく、ミヌーが来て以来ビルバもどこか
子供の甘えが生まれている。今まで口にもしなかった食物もミヌーと負けじとばかり
食らいつく。この辺の猫の心理は不思議である。
愛情と反撥が並存しているかのようである。
ミヌーの好奇心は家の隅々まで知ることから、庭の隅々を知ることから始まり、
とりわけアレのスタジオの環境はとっておきの冒険である。
冬の間に彫刻するアレののみの音につられて毎日のようにその動きを眺める
様子は忠犬ハチ公のようである。
猫の不思議はまだまだ奥深い。

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by jamartetrusco | 2010-01-13 23:58 | Natura (自然)
2010年 01月 10日

嵐の後

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昨日土曜日の明け方信じられないほどの強風を伴う嵐が我が集落を訪れた。
家が飛ばされそうな風の音。とても寝られるどころではなくテラス
に置かれているすべてのものが跡形もなく消えているのではと床から
想像する。風と雨の轟音があまりのも圧倒的で物の飛ぶ音など全く聞こえない。
そのうちにやや風が修まったのか少しうとうとしてから起床してテラスを覗く。
プラスティックの椅子や外履きの靴から何かからなにまですっとんでいる。
風の力の強さをそのまま顕すテラスを被い尽くす葉っぱや土や壁の一部の
漆喰やら。やれやれ、というため息。
そしてなんだか光が違うのに気づく。雨模様であるから光は限られているけれど
なんだかいつもと様子が違う。はて、と思い右側を眺めると目に入るはずの杉の
木が見当たらない。そこにはすっぽり遠景まで見渡される景色が広がっている。
アレが「杉が風で倒されたんだ!」と叫ぶ。
未だ残る雨風の中雨着をすっぽり頭からかぶってテラスに出てみるとなんと
今まであった杉の木がざっくりと倒れて庭を被いつくしている。
風が左から右に吹いたおかげでテラスに倒れかからなかったのが不幸中の幸いである。
でなければテラスも壊れていたかもしれない。

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午後になってやや雨も修まってきたので下に降りてみて強風の被害をまざまざ
と目にする。林立していたためあまり育ちが良くなくひょろひょろとやせた杉3本が
ドミノのように倒れしなだれている。根子が土台である石畳をざっくり押し開けて。
無惨な杉3本、通りに向けて飛出している頭の部分は消防隊が来て切り落とした。
我が家の出入り猫ビルバと最近我が家の一員となった子猫のミヌーがこの
目新しい光景に驚きながらも興奮して走り回る。

改めて自然の力の強さを見せつけられた。我が家の庭の杉3本の他にやはり同線上に
位置する家の木が倒れたらしい。そこにも消防隊が入って家に倒れかかった木の
撤去を朝から行っていた。強風の通り道がこの集落の我々の側面だったことは明白
である。
今まであった木が忽然と消えるのは淋しいものであるが、遠景をふさいでいた木が
消えて突然に現れた広々とした光景に不思議な感動も覚える。


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by jamartetrusco | 2010-01-10 20:00 | Natura (自然)