カテゴリ:Natura (自然)( 67 )


2009年 12月 19日

朝起きて雪景色

f0097102_22243128.jpg


雪の朝。
静寂とモノクロームの美。
白に包まれる風景は自然の織りなす美の結晶である。
オリーブにしだれかかる雪はトスカーナならではだろう。

f0097102_22245129.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2009-12-19 22:25 | Natura (自然)
2009年 07月 18日

Volterranaーヴォルテッラへの道

f0097102_21194223.jpg


ヴォルテッラから海へと向かう風景はシエナから南下するVal D'Orciaの風景と並んで
トスカーナで最も美しい地域と思う。
私たちの住むキャンティ地方も葡萄畑とオリーブ畑、糸杉の混ざり合う美しい風景では
あるのだが、慣れてしまった目にとって色が単一である。緑の濃淡が変わるぐらいで
インパクトのある色彩が不在である。土地も広大なる広がりがなく、どこかこじんまりしている。
それに比べてVolterranaーヴォルテッラへの道ーの周囲は何度通ってもその季節ごとの
色と土地と緑の起伏ある調和と対象の美に感動するのである。
海に日帰りでいった先日、再び目にしたのはひまわりの黄色、粘度質の灰褐色、濃い緑、
薄緑、空のブルー、これらはイタリアの色と言えようか。
ヴォルテッラがエトルリア人の大事な根拠であったことが納得できる立地条件と自然の雄大さ。
車もほとんど通らない海からの暑い風の吹き抜ける道を走りながら、この自然を凝縮してイメージに捉えることは可能なのだろうか、と考えた。
現在アレが黙々と試みていることである。


f0097102_2120286.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2009-07-18 21:25 | Natura (自然)
2009年 05月 07日

自然の作為

モンテフィオラーレの城塞を下ったすぐのところにある人知らず存在する荒野原。
その昔は葡萄畑として使われていた我が家の大家さんの手元に残った唯一の土地である。
足を踏み入れることも困難なほどイバラや雑木にあふれた見捨てられた空間であった。
この週末やっと人若い植木屋さんを入れて雑木を払い、その姿を現したPioppoの森林。
Pioppoというのは辞書ではポプラとあるが。

人と自然がまさに共同体であった昔、葡萄の木をはやすのに使われたPioppoの木。
葡萄の蔓をつたわせるために使われた木。
蔦をつたわせ葡萄の収穫を容易にするために人の作為により左右に平行に延びて
いくように育てられたその枝振りは人間と自然の不思議な共同作業。
自然が人の作為をあたかも自分のために受け入れるかのように。
自然の順応性、生命力の力強さ。 何年かかってこんな姿となって存在するのか。
人の手を借りたそのデフォルムされた姿はしかしなんとも美しい。
Pioppoが互いに手をつないでひとつの大きな森林空間を作っている。
まるで風に流れるままの形のように。

自分の勝手に木を植えて自分の勝手に木を伐採する大家さんであるのでこの森林
の行く末に心痛む。
もしかするとすべてをゼロに伐採するのでは。
このような自然の作為の神秘を目の前に心動かない人がいるのだろうか。

どうかどうかこの Pioppoの命が守られるよう心から祈るばかりである。

f0097102_1572752.jpg


f0097102_23123.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2009-05-07 02:03 | Natura (自然)
2009年 03月 03日

顕微鏡のイメージ

イギリスの自然歴史美術館にて販売しているポータブル顕微鏡を求めた。
小さく安価なこの顕微鏡は期待以上に質が良い。
娘のために買ったのに大人が多いに楽しんでいる。
自然の神秘が目の前に繰り広げられる。
微小の世界の形の意外性、面白さ、こういった自然の小さく、大きな
驚きは生きるエネルギーを与えてくれる。
当分はまりそうである。

さてこの画像は? 我が家の日常にある自然の事物である。

f0097102_21452494.jpg


f0097102_214642100.jpg


f0097102_2147231.jpg


f0097102_21483520.jpg




回答:上からローズマリー、オリーブの彫り屑、アレの常用の煙草の葉っぱ、砂粒。
[PR]

by jamartetrusco | 2009-03-03 23:02 | Natura (自然)
2008年 12月 14日

月の及ぼすところ

おとといは満月であったが月が見えるどころではない大雨の続く毎日。
ヴェネチアは海が記録的に満潮にて文化遺産も危ない水かさで危機状態。
ローマもこの数日の大雨にてテーベレ川の水かさが増していまにも氾濫する
かの思いで市民はやや好奇心の混じった畏れを抱きながら川を見守る。
こんな大量の雨などあまり経験のないローマであるので川沿いにもさまざまな
あばら屋など建っていたりしてそれが水の勢いに抵抗できずに流されてきて
橋の欄干下にひっかかってしまって水の流れを留める。そのあばら屋の
残骸を撤去するだけでも一仕事である。
フィレンツェも1966年の洪水を思い出してどんどん勢いを増すアルノ川を
見ながら市民は不安げな様子である。
北部は大雪、南部のある地域では土砂崩れでひとつの集落が泥の下に埋まってしまった。

こんな感じの状況がこの数日続いていた。
昨日はやっと一段落、今日はこちらは日差しもやや出ている。
皆一休止というところ。まだこれから天候が悪化する可能性があるので
まだまだ安心できない。

こんな悪天候の理由を説明してくれるような記事を読んだ。なんとおとといの
満月は月が地球に30,000キロも近づいたPerigee(天文学用語で近点)の
日だったようである。もちろん38万キロも離れた月と地球の距離からすると
これはなんでもないかのようであるが、実際に月の明るさ、大きさはかなり
違ってくるらしい。一番離れているApogee(遠点)から比べると11%増しの
大きさ、20%増しの明るさであるという。
NASAによると通常の満月より14%大、30%明である、という予測で
あった。この近点の余波で満潮の高さも50cm増しである、という。
しかし洪水などの危険性はなく水が増すとすればそれは雨量のせいである、という
記事が続いている。

しかしこの記事を読んで思った。月が近づくこの近点をはさんで地球に及ぼされる
影響がないはずがない。月の影響は大なのである。満潮、干潮は言うまでもなく。
月が地球に最も近づく日であったおとといにいみじくもローマではテーベレ氾濫を
恐れていた。またこの1−2週間のヴェネチアの海水高は記録的であったのである。
これは実はすべてこの月と地球の近点効果のせいでは?
素人考えではあるもののこの大変重要な天文学的ニュースをイタリアではだれも話していなかったのは実に驚きである。
1966年のフィレンツェの洪水の年はどうだったのだろう。

などなど自然の不思議に思い巡らせた。
雨雲のおかげでこの大満月を見る機会を失ったが次回は2016年の11月14日
である、ということ。
さてその際には見ることができるか。または大雨の洪水にて流されているかも。

f0097102_18325984.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2008-12-14 18:33 | Natura (自然)
2008年 10月 03日

負のエネルギー

「読書の秋」と言うが気候が涼しくなってくるとどうしても心や頭への刺激をより感じるようである。
春や夏は体、肉感と結びついた官能の季節。
秋と冬は内省へとつながる精神と理性の季節。
どちらも人間の全体のバランスに不可欠である。
秋冬は自然とメランコリーを誘う。しかし「考える」力を与えるのはこの季節である。

天災がいかに人間の想像の営みに影響を与えるかということに関しての面白い 事実 を読んだ。
この本をいずれ手に入れて読んでみたいと思う。
1815年にインドネシアでのタンボラ火山爆発、そしてその影響による翌年のヨーロッパや北米の冷夏による災害
1816年は太陽が消えてしまったと思われたほどの悲惨な天候だったらしい。
しかしこの記録的天災があったからこそシェリー著の「フランケンシュタイン」そしてストーカーの「ドラキュラ」が生まれたというのである。
毎日途切れなく降り続く雨の中、スイスの湖畔の屋敷に滞在していたバイロン卿とその客のマリー・シェリーと夫。悪天候の中、室内に閉じこもっているしかなく、さてどうしたものか、と暇つぶしに皆で幽霊の話しを書こう、ということになり生まれたのが「フランケンシュタイン」。

f0097102_1849055.jpg


そのときにやはり同席していたバイロンのお抱え医師であるジョン・ポリドーリが
Vampyre「吸血鬼」にまつわる話しをしたためた。それが後のブラム・ストーカーの有名な
「ドラキュラ」の着想の根源となっていると言う。
ターナーの幻想的な朝焼けや夕焼けの風景も実はこの年の天候に由来するらしい。
雲隠れした中から滲み出るかのような陽のぼんやりとした光は実は真なる自然現象の賜物だったのだろう。

f0097102_19114590.jpg


天候が悪いと、そして暗闇に置かれると人間は心の営みへと頭の中枢が集中していくようである。
そしてそこから得られる負のエネルギーはそのまま創作性へのエネルギーとなる。
芸術というのはそうした負の力から創造されることが多々ある。

自然という大宇宙とその中で右往左往する人間に力を与えてくれるのは自然現象の中に
ある正と負のエネルギー。自然と精神のつながりを感じる。


f0097102_1839525.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2008-10-03 19:17 | Natura (自然)
2008年 06月 22日

孤島

f0097102_4292034.jpg


Isola di Capraiaに1週間行って来た。
真の夏休みである。
私たちの生活は毎日が休みでありながら毎日が仕事であるという全くけじめのない生活であるので今回ははっきりと「夏休暇」と呼べるものであった。
出発前に私もアレもすべき仕事をすべて片付けて、久々にインターネットの接続の必要なしに、そして携帯の連絡の心配もなしに1週間何も考えずに島へと発った。
なんという開放感。誰も追っかけてくる心配がなく。そして陸地とは船にて2時間半の隔たりのあるリボルノ県の島、カプライヤ島。
以前は監獄があって、普通の観光客が行くような土地ではなかったselvaggiaーワイルドーな島。
存在を感じるのは多数のかもめと毒くらげ。
そして低木の森と岩。島の植物と鳥と野生山羊と、それ以外の存在が必要としない島。
辿り着くことが不可能な岩場の深海。

f0097102_4293717.jpg


「人」が自然に生活を合わせる必要のある島。
一瞬その事実に戸惑いを感じながら、それが本当の自然の姿であることに気がつきなんと心地よく、畏敬を感じて、人間が自然の一つの要因として生きる、というほどよい酔い心地。

島人はいない。島で生まれて育ったという真のisolanoはいない。
島に移住した移民で成り立つ島。
故に住むことを決めた人はすべて島人である。根っ子のないことの良さがある。

風。風がこんなに主張する大地は島以外にないだろう。
毎日が風との対話である。風の向きによってこちらの行動も決まってくるのである。
これだけ強い風は台風以外知らなかった。轟音の風。すべてを破壊するかのような強い
音。

なんと強い島であったか。美しいとか楽しかったとか、夏休みとか、そういう言葉で
形容することはできない。そういう場所を久々に知った。

f0097102_429432.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2008-06-22 04:47 | Natura (自然)
2008年 05月 16日

ビルバの寝床

猫というのは寝床をしばしば変える習性があるようで、一時気に入って寝ていた
場所も2週間ほどすると飽きてくるらしい。ソファの上、椅子の上、昔娘に使っていたベビーキャリーの上。暖かい感じのするところが好きなようである。

f0097102_1874048.jpg


変わったところではアレのオリーブ彫刻の削り屑をいずれ使い道があるかと取ってある
プラスチックの箱の中。これはオリーブが好きなビルバ(またはすべての猫の習性か)としてはオリーブの香りに包まれて、まさに夢心地なのであろう。
オリ−ブ屑も食べるぐらいなのだから。

f0097102_187510.jpg


そして植木鉢。横長のサボテンが一部だけ生えている鉢も何度も寝床となっている。
つい最近寝床レパートリーに加わったのは自分の体がやっとやっとはまるだけの丸い植木鉢の上。コーンに乗るアイスクリームのように危なっかしいのに。
いずれハーブでも植えようと土が入ったままなので、土の感触に直接体が当たるのが心地よいのだろうか。

f0097102_1872264.jpg


太陽や風が強い日はバーベキュー用の松ぼっくりや他の庭道具を閉まってある台の下に隠れて昼寝。敷物がかぶさっているので下に入ってしまうと外からは見えない。
すっかり他所を散歩しているのかと思っていたら、用事で開けた幕の下にちゃっかりと寝ていたのとは露知らず。

f0097102_187563.jpg



猫ビルバが我が家に出入りするようになってまだ2年ほどであるが、様々な習性を発見する度に生き物の不思議とその性格の面白さに頷くのである。
そして猫のような生き方を見ていると人間なんて何ものぞ、とも思うのである。

春の時節柄、自然に目が向くこの頃である。
[PR]

by jamartetrusco | 2008-05-16 18:16 | Natura (自然)
2008年 05月 13日

エリカーパイプの原木

木製パイプの素材に多く使われるイタリアではericaと呼ばれる低木。
英語ではbriar ブライヤと呼ばれる。
グレーベからすぐの野山で自然に生えているを多く見かける。
初めてキャンティに住み出したときに山火事の後の高台の野原にて焼けて
真っ黒になったエリカの木の根っ子を持ち帰った。
この家に住み出して初めて彫ったのがこれである。

f0097102_23143446.jpg


ジャコメッティもどきとまで言えないが、我ながら気に入っている。

エリカは彫りこむと赤みがかった土色の色合いに微妙な白の
斑が浮かび上がり、磨けば艶やかになる硬質な木材である。

f0097102_23184170.jpg

これはライオンのような形と思ってやはり当時彫り始めて途中で挫折したものを
近年アレが引き継いで彫り込んだいわば合作と言えるもの。エリカの赤い質感
がよくわかる。

パイプの素材に使われる理由としてまずはその耐火性。
そういえば山火事にもしっかりと耐えて残っていた。そして水も含みやすいく軽い。
その当時、パイプに使われる素材であることは知らなかった。

つい先日用事の帰りがけに通った野山にエリカの群生を見た。去年あたりまた山火事に
あったに違いない。低木であるので野山を埋め尽くす他の木々の群れが火事にて一掃された後、その豊かな生命力のおかげでその姿をしっかり現すのである。
火事にて焼け残った根っ子がまたいくつか見つかった。
アレはここのところ木彫三昧にてエリカを手に入れたいと思っていたので大満足。
家に帰ってからすぐに制作を始める。
根っ子というのはオリーブに限らず生命力の根源を感じるものだ。

f0097102_2346762.jpg


オリーブ、エリカ、杉、桜ー彫刻の素材となる自然の木の恩恵をありがたく受け止めて。制作をするものにとって田舎に住むことの利点のひとつはこういった素材が身近に、しかもただで手にはいることである。
同じ野山で拾ってきた大きな松ぼっくりをいくつか使ってその晩バーベキューをした。
田舎に住んで良かったと思う瞬間である。
[PR]

by jamartetrusco | 2008-05-13 23:46 | Natura (自然)
2008年 05月 05日

五月晴れ

f0097102_180457.jpg



五月晴れという表現は日本独特のものである。
雨も多い春に時々見せる5月の美しい晴れ日
を指して五月晴れと呼ぶ、と聞いたが本当だろうか。
トスカーナの気候を表す表現としては適当かどうか。
こちらには相当する表現はない。
自然の万象を表す情緒、形容詞、表現の豊さにおいて日本語に
まさる言語はないだろう。

しかしなんとも素晴らしい快晴の日が5月の連休に続いた。
学校の休みも週末を含めて4日間。
久々に春の清々しい日差しを満杯に浴びて体も心も
再生の気分。

f0097102_181212.jpg


葡萄畑も新緑の装いである。
人生の苦を忘れることのできる一瞬。
自然の懐の広大さに包まれて「生きている」ことの喜びを享受する。


ビルバも我を忘れて昼寝三昧。
あー極楽極楽。


f0097102_1812294.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2008-05-05 18:13 | Natura (自然)