トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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カテゴリ:Natura (自然)( 67 )


2008年 02月 21日

恒久なる岩

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Montegonzi ー モンテゴンズィの丘。モンテフィオラーレの正面にある丘で
12世紀にはギベリーニ派のシエナ対グエルフィ派フィレンツェの抗争の真っただ中にて重要なる城塞であった。今では10年前まで礼拝堂と民家の廃墟の名残りがあったところをすべて改装新築して常ながらの観光者のためのアパートがあるのみである。

最近では地元の歴史学者であるカルロ・バルディーニ氏がナポレオン・ボナパルテの先祖は此の地にあり、という新論を打ち出している。1279年6月29日にMontegonziにてBonaparteの名前の公証人が起草書に署名をした、という古文書が発見されたという。その後ボナパルテ家はさまざまに変遷して後のフランス皇帝ナポレオンへと繋がっていく。こん歴史学者はグレーベ・イン・キャンティ近辺の土地の起源歴史の権威でその信憑性も確かなものがある。
ナポレオンの先祖がわが町の目の前の地にて生まれたと思うとなんだか不思議であるが。

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このMontegonziはその頂上に登るとモンテフィオラーレが正面に望めるばかりか、空気が透明なときには果てにフィレンツェの頭上、エトルリアに起源を持つ高台の街フィエーゾレも見えるのである。まさに遠くの街との戦略連絡地点として重要な役割を果たしていたことは間違いない。

14年前に移り住んだときには廃墟があったこの丘、初めての散歩の際に廃墟を前にそびえる岩の力強さに感動したものだ。そして廃墟が観光アパートと成り代わった今でも
その岩は以前と変わらず凛と立っていた。

どれほどの歴史の変遷を見てきたのだろうか。

人間の儚さ、歴史の重み、そしてこの岩に象徴される自然の恒久性を身にしみて
感じたのである。神はここにあり。


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by jamartetrusco | 2008-02-21 18:43 | Natura (自然)
2007年 04月 15日

たわわ

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金曜日夜遅く帰宅した。
朝起きてまずはテラスにて春の色満ちる景色を仰ぐ。
2週間強の忙しかった日本滞在の余韻を感じながらふーっと息をする。
藤の花、まだ散っていなかった。

我が家の藤棚が過去始まって以来の豊かな花をつけた。一昨年の剪定のせいか、今年の気候が見事に藤好みだったのか。これ以上無理というぐらいの量の藤花が枝もたわわに咲き誇っている。ほんのり甘い芳香が庭中溢れる。たわわ、なる感動。

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壁の色に見事に調和して藤の古幹から花だけがその激しい生命力を見せて咲く姿は尚美しい。一輪の花の力である。

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お昼には20度を越す暖かさである。
レモンの黄色が太陽の吸収を感じさせる。

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ビルバが藤棚を背に化粧する。テラスにて昼寝する時節の到来である。

春眠暁を覚えず。

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by jamartetrusco | 2007-04-15 15:29 | Natura (自然)
2006年 12月 05日

ホックニーもどき

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しなやかなる動きは瞬時の空気を捕まえそして次の姿へと変貌する。
スローモーションフィルムを見るように
ビルバの美しい肢体で遊んでみた。

猫、そして猫、これでもか猫、またまた猫。
続ねこ、続々ねこ、まだまだ猫。


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デヴィッド・ホックニーは一時期写真による肖像画を多く制作した。
1982年、ポラロイドカメラで撮った写真によるコンポジション。
被写体を様々なアングルより撮ったポラロイドの写真を白い枠組を残したまま並べて
一枚の大きな人物像を作り上げる。
並列している画像はぴったり合っているわけではないのに、単に一枚の写真として
撮った肖像写真より、ずっと躍動感があり、そして内面を映し出し、
また空間を感じさせる。
そこにあるのは単なる写真ではなく写真という手段を使ったひとつの絵画であるようだ。


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他にも普通のプリント写真を使ってある動きのある場面を再現する手法も制作しているが
わたしはこのポラロイドのコンポジションが妙に好きである。
白の枠がモザイクのような面白さを生み出しているせいかもしれない。
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by jamartetrusco | 2006-12-05 21:01 | Natura (自然)
2006年 11月 18日

自然の断片ー写真でみる「黄昏」展

とりたててその美しさを主張するのではないが、なぜか目にとまる自然の断片。
ロンドンの旅よりいくつか。
飛行する空高くから鳥瞰図に見る山脈。
雲が手に取るように眼下にある。
空気が何層の色にも見える不思議。ここはもうスイスか。

テームズ川沿いで水のしぶく音がした。
下を見れば淀んだ水に黄褐色の落ち葉が
寄せる波に戯れる。 

深紅の実をつけた紅葉の木。
極めて自信たっぷりに冊の背後にどっしりと立っていた。

雲に被われた黄昏の空。もうほとんど夕闇になりかかる寸前の
陽炎のような、むらむらの光。


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ところでV&A美術館にて実に美しい展覧会を観た。
"Twilight"と題する黄昏をテーマにした写真展である。
「黄昏」を主題に現在活躍する6人の写真家のそれぞれの黄昏解釈である。
黄昏がもつ魔術と幻想と緊張感を6人独自の表現にて表したものである。
会場全体がブルーの光に被われて雰囲気はすでに黄昏である。各作家の作品が暗闇から
一筋の光のように浮かび上がる。

特に印象的だったのはオーストラリアのBill Henson (ビル・ヘンソン)、フランスのChrsytel Lebas (クリステル・ルバ)、アメリカのGregory Crewdson (グレゴリー・クルードソン)、 ウクライナのBoris Mikhailov (ボリス・ミハイロフ)の表す「黄昏」。


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グレゴリー・クルードソンはいかにもアメリカの風景。まるで舞台装置のような時間の静止した平面の風景。そこでは主人公は光の及ぼす効果である。




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ビル・ヘンソンの写すイメージはまるでカラヴァッジョの絵画を見るかのように、明暗の美そのものである。写実そのものでありながらまるで夢の中の映像のように幻想的、超現実的である。



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クリステル・ルバのテーマは森である。黄昏の森をさまざまに映し出すAbyss「深淵」のシリーズ。フランス語で黄昏のことを「犬と狼の間」と呼ぶそうだ。日常が危険をはらんだ魔性に変わる時、という暗喩だろう。 まるで伝説の森、神話の中の森のようだ。




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ボリス.ミハイロフの「黄昏」はソ連崩壊後のどこか憂いを感じさせるごく普通の人々の日常にある黄昏。すべてが青色のベールに被われた淋しげな悲哀あふれるイメージ。黄昏を通してのひとつの社会ドキュメンタリーを万華鏡のように見せてくれる。
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by jamartetrusco | 2006-11-18 00:00 | Natura (自然)
2006年 11月 03日


ある霧の朝寝室の窓辺にてシルエットと化したビルバ。

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霧は朝晩すべてを覆い隠す神秘のベールである。
霧は下にある物も音もすべてふさいで沈黙と静寂の世界を生む。
空気が粒子となって見える瞬間。
大気と大地が触れるとき。雲が下界に降りてくるとき。

イタリア語ではnebbia、英語ではfog.

ロンドンの有名な霧はその昔暖炉で石炭を皆が燃やしていたからだと聞く。
だから石炭を炊くことのなくなった今では自然現象以外の霧はあまり見られない。
この街に住み出した当初不思議と目に入ってきたのは霧下でもよく見えるためのオレンジ色をした街灯であった。
飛行機の上からぼーっと浮かんでくるオレンジ色の都市ロンドン。

ロンドンの霧に満ちた夜景の幻想美を極めた作家としてJames Abbott McNeill Whistler(1834-1903)ウィスラーの右に出る者はいないだろう。アメリカ、マサチューセッツ生まれであるが、その後イギリスに移り住む。
北斎にも影響を受けた構図もさることながら、産業革命後の工場の立ち並ぶロンドン、テームズ河沿いのバタシーの霧に被われた寂とした風景。音のない風景である。

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霧にまつわる恐怖映画作品
ザ・フォッグという1980年制のジョン・カーペンターのゾンビを扱った映画があった。
アメリカのある漁村にて100年前の怨念を果たそうする亡霊たち。
霧が効果的に扱われたホラーである。
つい最近リメイクもあったがこちらの方は観ていない。


世にも怪奇な物語 (1967)
霧の効果が恐怖へとつながる一作。
エドガー・アラン・ポーの怪奇幻想小説3作を映像化した、ロジェ・ヴァディム、ルイ・マル、フェデリコ・フェリーニ3監督によるフランス、イタリア合作のオムニバス映画。
その3作目の「悪魔の首飾り」。フェリーニのすべての特色が恐怖映画に使用されるとどうなるか、という典型のような映画。テレンス・スタンプ演ずる人生落ちぶれつつある有名役者が球をもった悪魔の少女の幻影を見る。最後には霧に満ちる深夜、行き止まりの道へ車ごと突っ込み命を立つ。この霧のシーン、少女の顔の恐ろしさが相まって、なんとも恐怖感を導く効果であった。

スリーピー・ホロウ(1999)大好きなジョニー・デップ主演のティム・バートン監督映画の舞台も霧に満ちていた。ティム・バートンならではのブラックユーモアが混ざったゴシックホラーである。


霧の持つ幻想の美しさとその背後に隠れる未知なるものへの恐怖感。
奥深い森林や山道を被う霧景色。
ドラキュラやフランケンシュタイン、切り裂きジャックやジギル氏とハイド。
これらに霧はつきものである。

自然の現象と人間のある種の心理反応とのつながりは実に面白いものである。
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by jamartetrusco | 2006-11-03 02:17 | Natura (自然)
2006年 10月 19日

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朝7時、ようやく陽が彼方の山から上ってくる。その前の朝焼け空の美しさ。耳にはいるのは自然の奏でる音のみ。ぴーんとはった空気から伝わる静寂感。

ひんやりしたテラスにて朝の空気を吸いながら今日という日の最初の光を一瞥する。黄昏の夕焼けの「終結」を告げる光でなく、すべての「始まり」の一光である。

「曙」 「暁」ー すばらしい言葉である。漢字一字に早朝という自然が内包する美が集結されている。
イタリア語ではAlba, Aurora。アルバ、アウローラ、特にAuroraはほのかに香ってくるような美しい響きである。ギリシャの神殿に当たる陽の光のイメージ。地中海の夜明けである。

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春はあけぼの。やうやうしろくなり行く、山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。
清少納言の表現力の天才に感心する。しかし秋のあけぼのも捨てたものでない。
秋の夕暮れは憂いを誘う。

三島由紀夫の「暁の寺」。4部作からなる「豊穣の海」の第3巻。起承転結の「転」の部分とも言える。輪廻転生の転生でもある。

なにかが生まれ変わる、朝焼けの顕われる時間はそんな新しい生命に光がともる一瞬である。

黄昏も暁もその瞬時にしか垣間みることのできない陽炎のような美のエッセンスがある。心が微妙になびく、明暗のはっかりした二つの世界の境界線の狭間にあるうたかたの美。

吸血鬼は朝日に当たると死んでしまう。あけぼの時はドラキュラにとって暗いねぐらに帰るラッシュアワーである。

ミケランジェロのメディチ家廟の彫刻の「夜明け」の像は若いエネルギー溢れる女性像である。

そして夜の名残りの月がほのかに見えるのも暁の時。太陽と月がともに共存する一瞬でもある。 

限りなく夢の広がるひととき。


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by jamartetrusco | 2006-10-19 00:06 | Natura (自然)
2006年 10月 10日

Omaggio a Birba -ビルバに捧ぐ

今日イタリア・絵に描ける珠玉の町・村・そしてもろもろ!のイタリア紹介の素晴らしいサイトの作者Shinkaiさんがトラ猫、縞猫集まれ!!の特集を組まれ、そこになんと我がビルバも選ばれ紹介の栄誉をあずかった。 色々なとら猫の表情がなんともユーモラスで面白い。

そこで今日はその記事にも感謝を表して、またビルバに敬意を表して、一言。
もう我が物顔に我が家に出入りするビルバであるが、寝場所がその都度違うのも興味深い。
たぶん自分の決まったべッドなど用意されていないのでその都度良さそうなところをねぐらにするのだろう。以前は食堂の椅子やコンピューター前の椅子の上に寝ていたが、今では居間のソファの上がお気に入り。外ではなんとサボテンの長方形の鉢の土の部分に寝ているのを発見した。なんとも不思議な寝床である。
そして昨日は初めて捕まえた小ネズミの死骸をテラスに持ってきた。猫の習性上、自分の獲物を持ってくるというのは相手への尊敬の気持ちを表しているらしい。ということでネズミの死骸はあまり嬉しくはないものの、ビルバの心意気がわかってなんだか感激してしまった。
生き物と共に生活するということの楽しさ、そして新たな自然の発見に対してビルバに感謝。

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by jamartetrusco | 2006-10-10 19:12 | Natura (自然)
2006年 09月 14日

Gatto e Olivo 猫とオリーブの木


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もう数回登場している猫ビルバ。他の家の飼い猫であるが我が家に顔を出すこと2ヶ月。ここが気に入っている理由のひとつを最近発見した。
ある夜、ビルバはいつものように我が家を訪問。そのうち視界から消えたのでどこに行ったのだろうと家を探してみるとアレのスタジオにいる。そして彼の彫刻のひとつをなめているのである。その彫刻はオリーブでできていて、まだ未完成であるのだが、彫った部分が少しあるのでそこはややフレッシュである。ビルバはなんとこの部分一カ所のみを必死になめているのである。何故かな? アレも興味津々にてそのオリーブの木をテラスに持ってきた。するとさらに満足げにこのなめる行為を続けるビルバ。

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アレ曰く「オリーブが猫にとって何かdroga(麻薬)的な効果があるのでは?」。まさかねーと私。
ところが今日イタリア語のサイトを検索していて、なんとオリーブの木が猫にとって麻薬のような効果があり、なめることによって陶酔状態、ほろ酔い加減のような気持ちのよい気分になるそうである、と書いてあるのを見つけた。やっぱりアレの想像はあたりだったのである。
なるほどビルバの顔もどこか気分が良さそうである。

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生きるものすべて、気分の良いのはやはり一番。猫さんはオリーブの木で酔うのですね。
ということはトスカーナの猫さんはオリーブの木に囲まれているのでいつも気分はほろ酔い加減なのか。またひとつ自然の面白い発見をした。


追記:
明日から恒例のロンドン出張。週末は義兄の親戚の持ち物であるロンドン近郊の「島」に遊びに行く。初めての訪問なのでどんな島だか楽しみだ。
ということで1週間ほどお休みです。Buon weekend a tutti!
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by jamartetrusco | 2006-09-14 21:58 | Natura (自然)
2006年 09月 09日

Il Museo "La Specola" ー 動物学と解剖学の博物館

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フィレンツェにある数多くの美術館、博物館の中で、動物学や解剖学に興味のある方は欠かせないLa Specola。今回で2回目の訪問だ。普通の日は9時から1時までしか開館していない。水曜日は休館。土曜日はさすがに最近では5時まで開いているので家族連れも行きやすくなった。

世界で有数の自然史博物館の生物の剥製のコレクションに勝るとも劣らない収集品を持つ。無脊椎動物、爬虫類、両生類、魚、鳥、哺乳動物。そして今では絶滅してしまった類まで含め、広範囲に渡るコレクションには目をみはる。展示されているもの以外に3百万種が収蔵されているとのことである。なにしろ18世紀の後半から始まったコレクションであるから当然の数であるかもしれない。ただイタリアの美術館や博物館が常なるように解説が少ない。どの展示ケースもそれぞれの種の学術命名が書いてあるだけなので、よくわからないのが難点である。要するに視覚に訴えるのみ。それでも古めかし木製とガラスの展示ケースはいかにも当時の博物館さながらで、趣きはあるが、せっかくのコレクション、少しさびれた感じが残念だ。
さて、海の生物、鳥はやはり個人的に最も興味を引かれる分野である。特に鳥類の展示室は圧巻でところ狭しと色合い様々な鳥達がケースを埋め尽くしている。それは見事である。
鳥恐怖症の方は失神ものだが。
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哺乳類の部屋は剥製の状態が古く完璧でないせいか、なんだか禿げかけたぬいぐるみを見るようでなんだか痛々しい。ただ猿の種類が驚異的に多い。形相が凄まじく怖い感じ。夜間、人気がないときに迷い込んだらさぞ悪夢。
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そして以前の記事で紹介した7月の海辺にて発見したウニの殻。ありましたよ!ここにも。学術用語Diadema Setosum。なんだか嬉しかった。

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そして貝殻のみで作りあげた薔薇の造花。あまりにも珍しいので画像に収めた。

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しかしこの博物館の圧巻はなんといっても解剖学の部屋。ここは血や内臓、生皮剥がれた人間、などなど苦手な方にはおすすめしません。とにかく人間を形作るすべてが解剖されて目の前に置かれているのである。最近、世界を巡回したドイツ人ギュンター・フォン・ハーゲンの発明である”Plastination"された屍体を展示するThe Body Worldsという展覧会があった。特殊な方法で保存された人間の屍体を解剖学的な見地から見せるのであるが多少猟奇的に走りすぎていて賛否両論あった。彼はLa Specolaを訪れたに違いない。

La Specolaの解剖学展示の模型はすべて蝋でできており、18世紀後半から19世紀初頭にかけて彫刻家、版画家であるクレメンテ・スシーニ(1754~1814)が中心になって作成したもの。筋肉の一本一本、細胞のすべて見事に蝋にて再現されている。あまりにもリアルで強烈なイメージである。医学生にとっても興味深い資料であろう。
興味のある方はcere anatomicheのサイトを検索して頂ければその内容がよくわかる。
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さらにコレクションの中で卓越した17世紀の奇怪で美しい蝋細工の彫刻。シチリア出の蝋細工師のガエターノ・ジュリオ・ズンボ作。疫病による人間の変貌を象ったグロテスクであるが芸術性の高い3組の小品である。
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17世紀の死と幻想的なロマンティシズム溢れる時代性から生まれた産物であろう。
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by jamartetrusco | 2006-09-09 03:54 | Natura (自然)
2006年 09月 05日

Libro Apertoの見える山の家

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Libro Apertoー開いた本ーという名称を持つアベトーネ山脈の中で有名な山脈。
フィレンツェから30キロほど北西に上がったところにあるピストイアの町の背後にある山の峰。
標高1896メートルのモンテ・ベルヴェデーレと1937メートルのモンテ・ロトンドのふたつの山の頂上が合わさる部分が開いた本のようにみえるからそう呼ばれる。山の峰の姿を本に例えるとはなんとも詩的ではないか。

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ピストイアからアベトーネ山脈に向かいSan Marcello Pistoieseという古くから有名な夏の避暑地を越えて、小さな山の町Spignanaを過ぎて車でさらに上がること5分。そこに友人カップルがもう一人の友達と山の家を5月から5ヶ月間借りている(画像の赤い屋根の家がそれ)。
フィレンツェの夏の暑さを逃れるため週末だけの利用でも家を借りるという生活、なかなか贅沢である。遊びに来たらというので日曜日一泊で行って来た。この1週間、目もくらむような素晴らしい初秋の快晴日が続いているが、昨日もそんな天候に恵まれた。ピストイアからどんどん山道を上がっていくこと約40分。山の家はこの近くのアグリツリズモのご主人が経営するいくつかのアパートのひとつである。キャンティ地方のような内外からの多数の観光客あふれる地域と違って、地元の人々が週末訪れたり、また彼らのような数ヶ月単位で借りる人たちが多い地域のようだ。久々に人気のない、素晴らしい山々に四方囲まれた絵に描いたような「山の家」なるものを味わってきた。目の前は牛を放し飼いにする草牧である。

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白いキアニーナの牛の群れが太陽の日差しを浴びて佇む様子はまるでマッキァオーリ派の絵の一幕を見るようだ。そして遠くにLibro Apertoの山頂が望める。
空気は澄み、日差しは痛いくらいに強い。動きの止まった空気の透明感と山の眩しいばかりの緑、そしてこれでもかというほど青い空。

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そして家畜たち。いずれ食肉になってしまうかもしれないこの牛たち、でもこんな素晴らしいところで自由に草を食べ、歩き回ることができるから、彼らはせめても幸せだな、と思った。
そして久々に馬、牛、山羊、ろば、豚、身の回りの動物達とこの山の自然と空間を共有してきた。ありがたき幸せ。

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by jamartetrusco | 2006-09-05 01:57 | Natura (自然)