カテゴリ:Arte di Ale(アレのアート)( 107 )


2012年 10月 10日

2日だけの展覧会

f0097102_1154744.jpg


フィレンツェの元修道院を改装して現在は工芸、職人工房の集まりとなっているSAMー
Spazio Arte e Mestiereーアート&クラフト空間。
元修道院とあって中庭を囲む建物の空間は瞑想としての場所として建った過去を
そのまま継承して静寂に包まれている。
制作するにはうってつけと見える。

この場所はフィレンツェの中心からやや外れていることもあって普段は人の出入りは
ほとんどない。
そのかわりに年に数回週末に合わせてオープン・スタジオを企画している。
その際には普段はそこに工房を持たない工芸家や美術家にも開いている空間を
レンタルしている。

この週末その企画に参加してきた。アレがフィレンツェでのギャラリーで作品発表したのは
すでに10年前のこと。それ以降イタリアにて発表する気概がなくなり、日本のみにて
展覧会をする機会が多かった。今回この空間が美しい修道院跡であることと友人が
そこに工房を構え始めたこともあって参加する運びとなったのである。

かなり大きなスペースを提供してもらったこともあり、今までほとんど公開したことのなかった
木の彫刻群を展示することにした。ふたりだけで田舎の家から会場まで運ぶのは一労働
だったが、その甲斐あって空間を十分使ってすべて展示することできた。
スタジオの奥底に眠っていた彫刻達は太陽の光を浴びて別の顔を見せてくれた。

f0097102_114930.jpg


たった2日間の展覧会だったが、見にくる人々がアートと工芸に興味深い人を厳選して
いるせいもあり、質問されたり説明したり、アレも彼らの応対に忙しく、一日中しゃべり
まくり、しかし自分の今までの制作が無駄ではなかったことな、と実感。

作家にとって作品を見てくれる相手は不可欠な存在である。この展覧会でひとつの拘り
がすっと消えて次へのエネルギーをもらったような気がする。

f0097102_1101699.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2012-10-10 01:16 | Arte di Ale(アレのアート)
2012年 03月 06日

ミニマルになっていく過程

風景画ばかり描いていても、というジレンマは存在する。
今年は特に展覧会開催の目前の目標がないため制作の刺激は
去年ほど強くないかもしれない。
しかし制作者はどんな時でも制作しなければいけないのである。
それを滞ったら一体なんのために制作者、ものつくりとして
提言できるのだろう。
制作者として歩む者がもし「作ること」をやめたら生きることをやめたことになる。

今年はアメリゴ・ヴェスプッチの没後500年周年の年であるので、彼の航海士の
子孫が住んだとされる我が大家さんの家が興味の対称になるのでは、という
こともあり、空きスペースで展覧会を開催できないかと提案中。
でも大家さんの家の屋根やら外壁やらの大工事でなかなか前に進まない。
春先からopen studioの形で作品展示を試みたいのであるが。

風景画を続けることの意義を考えた。何故まだ風景画か。
それは限られたテーマを掘り下げて行くことの価値を考えるのである。
制作するものは無限の可能性を与えられればかえって何を描いて良いのか、
案外戸惑いを感じるのではないか。
ルネサンスの画家が教会や法王、または豪商などのアートパトロンの
注文で描いていた時代、制限の中で傑作が生まれたということもある。
風景画というひとつのフォーマットに敢えて自身を制限することによって
深まる可能性というのもあると思う。
日本の茶の湯のお茶碗の小宇宙の追求のように。

f0097102_4343577.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2012-03-06 04:35 | Arte di Ale(アレのアート)
2012年 01月 08日

最近のアレの風景画は日にちを追うごとに抽象性を増し、そして奥深くなって
きているようだ。
空と陸地の境界線である地平線は徐々に姿を消し、代わって朦朧とした空気感と
空か山か川か湖か、いずれにも見えるひとつの自然のエッセンスが現れている。
暗澹たる色彩でもあるが、それがまた妙に心安まるのである。

仕事場は自然光が全く入らない。朝から晩まで電気のランプという人工光のもとで
制作している。今日友人に指摘されていかにも、と改めて実感した。
画家で自然光皆無で仕事をするというのはかなり致命的にも思えるのだが、この
ハンディキャップがかえってアレの制作のひとつの特徴となってきているのかもしれない。
災い転じて福となす、の哲学。

思うにニューヨーク発祥のロフトスタジオのような天上高く、窓が大きく、自然光に
苦労しないようなスタジオで制作できる作家は過去にどれほどいただろう。
ルネサンス期の画家達は大きな空間での工房制作もあったと思うが、レオナルド
ダヴィンチは想像するに蝋燭の灯火のもとにひっそりと絵筆を取っていたような
気がする。フェルメールもかの有名なそして稀少な室内画はすべて屋内で描いて
いたのであるから。あのオランダの空の低く太陽の少ない土地柄でおそらくさほどの
自然光は得られなかったに違いない。
太陽の光がないからこそ、そこに自分の心の、頭の中にある光を求めることも
あるだろう。

この風景にあるのは地表奥深くから流れ出る光輝く泉のような、幻想的な気配である。


f0097102_022391.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2012-01-08 00:19 | Arte di Ale(アレのアート)
2011年 09月 17日

心象風景ー万物流転

京都での長い滞在の最終2週間の展覧会。ラストスパートがかかった長距離走行の
ような集中力を伴った緊張感ある時間。
最初の一ヶ月はだらだらと過ごしてしまった感がする。計画を全くたてずに時間を
過ごすと毎日が惰性的になる。今年は娘もティーンエイジャーの始まりの兆候で
同世代の友達がいないことが大変苦痛となっていることがつくづくわかった。
だんだんと親離れしていくのだろう。
前半の時間とは対照的に終盤の展覧会で過ごした日々は大変充実したものとなった。
毎日、毎日京都から大阪へ通うのは大変と予想としていただが疲れたのは最初の
2〜3日で、その後はリズムがついてきて苦にならなかった。
体がなれるというのはすごい。

今回初個展の画廊での作品発表は主に風景画。すべてアレという一人のトスカーナ
人の中に息づくトスカーナの大地の想像上の風景である。想像上でありながら、
憧憬の念を抱かせるのはやはり「どこかでみたような」という自然の結晶的イメージだからだろう。
見てくださる友人や観客の方々が一応に感じてくださったのは心が落ち着く、懐かしい、
イタリア的でありながらどこか日本的、といったものである。
アレの描いた風景画は暁光、夕闇、漆黒の夜、冬景色などいずれもトーンダウンした
枯れた色調のものが多く、陽光眩しいトスカーナの春夏の風景ではない。
そこがどこか東洋的と感じられる部分かもしれない。
枯れ行く木々、雲に隠れる月、朝霧に覆われた谷、雪に覆われた白黒のモノトーン、など侘びた
情感に満ちた風景である。
一人の方が残してくださったコメント。眠れぬ夜を過ごす時に目前に現れる夢と現実の狭間に
あるような目をつぶっていても見えるような景色。

見る人によって様々な思いを託せると見える風景画となった。
それ故に心象風景、そしてすべての宇宙が中に潜んでいるかのような意味での万物流転。

さてこれからどんな作品展開となっていくだろう。
日本で感じた様々な憶いを消化しながらこの数日が過ぎていくだろう。

f0097102_184383.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2011-09-17 18:05 | Arte di Ale(アレのアート)
2011年 08月 06日

個展のご案内

f0097102_17174940.jpg


アレッサンドロ・ヌティーニ作品展の大阪にての開催のご案内。
お近くにお越しの際は是非お立寄ください。

「心象風景ー万物流転」 
Paesaggi ImmaginariーTutto Scorre, Nulla E'

ギャルリ・プチボワ
大阪市西区南堀江2丁目13−30 サンスイートビル2階
Tel/fax: 06 6531 8436
Petit Bois
2011年8月29日(月)ー9月10日(土)
開廊時間 11:00−18:30
会期中無休
[PR]

by jamartetrusco | 2011-08-06 17:18 | Arte di Ale(アレのアート)
2011年 06月 08日

焦土

焦げたオリーブの彫刻は現在の彼の描く風景画とぴったりである。
トスカーナのなだらかな丘のある風景は光を落として闇夢のベールを
まとわる心象風景となりかわる。
そこには一般論の風景画の持つ機能は備わっておらずむしろ自然に
潜む神秘を映し出すかのようである。
まるで焦げた大地のようなメランコリーあふれる色彩画面。

8月末から9月頭にかけて大阪の画廊で初めての個展を開催させて
頂くのだが、風景画を中心にと考えている。
多くの風景画が2009年の8月以降描かれた。
それから2年。秋、冬、春、夏、秋、冬と何回も季節をかえて
風景画もその時々の色彩と自然の推移を追ってきた。
だんだんと色調を落としてきて最後には焦土へと成り代わるその変遷。
風景画のひとつの姿を見せることができれば最高である。

f0097102_2214576.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2011-06-08 22:17 | Arte di Ale(アレのアート)
2011年 05月 15日

Fuoco Fauto - 鬼火

5月10日に行われたエレナのBorse Nereのプロジェクト。今回は会場が図書館ということもあって
ナチ時代の「焚書の日」に合わせての企画であった。
アレの作品の主題はfuoco fauto、日本語では鬼火。自然界に存在する、または有機物から発生する
メタンガスなどに引火して起こる火の玉。沼底や墓場などに起こりやすい。
夜に発生するのでまるで魂の光のようであるので、旅人を迷わす悪霊とか悪戯な妖精として伝承している。
日本で人魂というのもこれに由来するのだろう。
人は腐敗していくときにガスを発生する。よって墓場から出る炎はまさに自然科学上説明できる現象
である。
腐敗から生まれる炎。死からの再生かのように。
不死鳥が自ら燃え尽きた灰から再生するように。
死、燃焼、炎、再生。
本を燃やしてもただ灰になるだけだが、本という人間の魂が詰まった精神性の塊を燃やすことにより
次の何かが生まれることも可能である。
破壊は再生への道でもあるのだから。
そう思うと今の日本はまさに再生の道を辿るしかないのである。
物質は破壊されても人間の精神はそう簡単に破壊されるものではないから。

f0097102_571421.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2011-05-15 05:08 | Arte di Ale(アレのアート)
2011年 05月 03日

再びBorse Nere

エレナのBorse Nereのプロジェクトはさらに続く。5月10日、フィレンツェの
図書館Oblate
にて行われる。1933年、5月10日のナチスによる焚書の日に合わせてのイベントである。

当時ナチスのイデオロギーにそぐわない「非ドイツ的」であると宣告された書物25,000部を儀式的に燃やしたのである。中には有名なところではトーマス・マンやカフカ、アインシュタイン、
フロイド、エミール・ゾラなど含まれていた。推進者はナチス高官ばかりか教授や牧師、学生などが集まった群衆を前に扇動的な演説をしたという。

書物が無限に掲げる知識、概念、哲学、思想の象徴を破壊するという行為。本の持つ本質的な力への攻撃である。抽象を構築したものであれ紙に書かれ紙に印刷された物質であるから破壊もできる。

古くはルネサンス期のフィレンツェにてロレンツォ豪華王亡き後のメディチ家の衰退に伴う混乱期に現れたドメニコ派僧侶サヴォナローラの行為と近しい。
すべては神の意志に反する頽廃の悪行のなすもの、贅沢や瀟酒なものは焼き払い心を清めようというスローガンのもとに多大な数の書物、芸術品、贅沢品が広場に集められ焚かれたのである。

さらに思い起こすのはアメリカの幻想文学作家のレイ・ブラッドベリ−著「華氏451度」、未来社会を舞台にした言論弾圧を扱った話しでフランソワ・トリュフォー監督の同題の映画も当時見た時はとても衝撃的だった。

そして最近読んだ本で本の神秘的力を幻想的に表したゴシック風小説The Angel's Game。著者はバルセロナ生まれのスペイン人でアメリカ在住の
カルロス・ルイス・サフォン
。全部で4部作になる予定の「忘れられた本の墓場」シリーズの2冊目。一冊目のThe Shadow of the Windも是非読みたい。

本の力は偉大である。人間の知識と思考の宝庫である。良い文学を読むとその中にさまざまな真実が
隠されている。本を読めば読むほど心の豊かさは増すと思う。
過去から後世に伝えられた名著の数々なしでどうやって人間は未来に自らをつなげていけるだろう。
人間の魂の切れ目のない細い運命線のようなものだ。
本を読むという行為はインターネットにて事項を読むのとは全く異なる作者と読者の一対一の時空間がある。文学をとてもネットブックのような形体で読みたくない。
印刷されただけにせよ紙をさわりながら読むという物理的感触が必要である。

さて今回の図書館でのBorse Nereはどんなものとなるだろう。

f0097102_3264430.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2011-05-03 01:16 | Arte di Ale(アレのアート)
2011年 03月 26日

現在の暗闇

大震災の悲劇は心にずっしりとのしかかっている。
毎日新たな知識を得てはやや気分が良くなったりまた
どん底に落ちたりの繰り返しである。

「あえて最悪のシナリオとその対処法を考える」


「隠される原子力」

このふたつの動画も大変暗い現実を見つめることになるが、しかししっかり見つめる方が
知らない、または知らないふりをするより良いと思う。
アーティストというのはこういった時期にどこか力強い表現をするというのは
パラドックスであるが本当である。暗い事態、困難があれば創造性を増す、というのは
いままでの芸術史の中でよくある現実である。
私の感じる苦悩がそのままアレに伝わり現在の私にある暗闇をイメ−ジとして実に
生々しく表してくれたと思う。
この暗闇からなんとか脱出したい。
f0097102_5173985.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2011-03-26 05:19 | Arte di Ale(アレのアート)
2011年 01月 04日

冬の風景

風景画を無心に描き続けているアレ。
絵画としての美的要素を考えると春夏の風景より秋冬の
風景の方が制作精神を揺すぶられる、と言う。
春夏はどこを見回してもただ緑、緑、色が単調である。
太陽の光が事物を明白に照らすおかげで陰影の機微も少ない。
それに対して、秋冬の風景は色のグラデーションが増す。
常緑樹の緑に加わり、葉が朽ち果てていく茶褐色の木々。
空も様々な色を帯びる。
雲に被われた地に近づきつつあるようなどんより空。
霧や霞に被われて天と地の区別がなくなるような湿った
大気。白い煙る雲。
暗雲の中かすかに赤みを残す夕焼け。
雪の後の風景はまた美しい。白と黒の凛とした厳寒の宇宙。
風景画が抽象性を増すのは冬の風景である。

f0097102_18581820.jpg

四季折り折りに同じ場所を描き続けたモネの画家魂を理解する。
[PR]

by jamartetrusco | 2011-01-04 18:58 | Arte di Ale(アレのアート)