トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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カテゴリ:Arte di Ale(アレのアート)( 107 )


2010年 10月 24日

二重の風景

風景画を風景に合わせて撮る。
意図したわけでないのに、不思議な効果が生まれる。
実際の空の青、雲の白が絵の中の空の色と呼応する。
木の緑も絵なのか現実なのか見分けができないような
空間の中の空間。
切り取られた自然がキャンバスの中に濃縮されたようである。

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by jamartetrusco | 2010-10-24 21:13 | Arte di Ale(アレのアート)
2010年 09月 28日

アレの中の風景画

今回の京都での展覧会にて思いがけずに見る方に興味を持って頂いたのが
去年の夏以降手がけている風景画である。いつもの黄紙に油彩の作品で最新作の
一部紹介のつもりで黒のファイルにいれて持参した。
風景画というジャンルは最もわかりやすいイメージであり、下手をすると月並みになり
かねない。アレが風景画を描き出したのは去年の6月パリでの個展を終えて、これから
何を描いて良いものか困惑していた頃である。夏の間、友人達と過ごした心地よい時間。
なにやらもやもやした気持ちで互いにこれからの生き方をどうすれば良いか
かなり語り合った時期でもある。行き詰まりの袋小路の心境。描くもののインスピレーション
が枯渇する。そんな中でトスカーナの色、土、風景を素直に表したらどうか、風景画なら
この地を訪れる観光客の人々にも興味を持ってもらえる(そして販売にもつながる?)
かも、と半ば自暴自棄の気持ちで描き出したのである。結局は地元で展覧会をやるつもり
が、その意図もいつの間にか消えていき、残った作品は風景画というより心象風景、アレの
中で昇華されたトスカーナの色と風土の結晶となった。
追いつめられると出てくるエネルギーなのか、それとも無心になるということの大事か、
このとき出てきた風景画は感性の鋭いものが多い。とりわけ紙油彩の作品の中に。
京都にてこれらの風景画への反応が良かったのも今までになく制作することへの直裁な
気持ちから出てきた表現であったからだろうか。画面に意味を問いかける必要のない
風景というジャンルの中に作家独自の精神性が滲み出るからであろうか。

この風景画群で来年大阪の画廊で個展が決まった。心から喜びを感じる。


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by jamartetrusco | 2010-09-28 16:02 | Arte di Ale(アレのアート)
2010年 09月 09日

京町家とアレのサラミ

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8月3日より15日まで京町家の空間を使ったワインサロン、Studio Yu-anにて
即興展覧会を開催した。題して「浮遊するサラミ」。
京都/フィレンツェ、京都/パリ間の文化交流の様々な企画を行っているミホプロジェクト
さんが奥に事務所を構え、水曜日から土曜日までワインサロンもオープンしている独特な
空間である。
2005年のフィレンツェ/京都姉妹都市40周年記念展の企画にてお世話になって以来
のご縁であるミホさん。以前よりYu-anの空間で展覧会したらどう、とお誘いは受けていた。
ただ日本へ発つ前に具体的な話しを詰めないまま出発してしまったので実際に行えるのかどうか
わからない状況であったのだが、美味しいイタリアワインを飲めるこのワインサロンに合う
作品とぼんやりとアレのサラミ群を考えていたのである。
そこでなにも打ち合わせもしないままサラミ、肉関係の紙作品を持参した。
7月半ば過ぎにやっと打ち合わせして、即決まったこの展覧会。
簡単なチラシとメイル配信のみではあるものの一応形になった展覧会としてご案内することができた。

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トスカーナのトラットリアにあるように生ハムやサラミがつるさがった空間を全く違った京都の
町家空間に再現する。もちろん抽象的な意味であるが。
ところが不思議と調和が生まれる。
アレの絵の土っぽさと素材感が町家の土壁や梁の木の色に妙に合うのである。
サラミや赤の冴える生肉の色。
豚肉、牛肉、の様々な形。
これでもかと肉に満ちた展覧会。
しかし肉の形の中にあるイタリアの文化。
日本の文化とは対照的かもしれないが。
そして日本との遭遇。共鳴。調和。
文化と文化の交わりの面白さを感じる。

来てくださった方々とも楽しい会話の弾む心地よい空間であった。
ミホさん、ありがとう。
そして異常な猛暑の中、ご足労頂きました皆様にただただ感謝の気持ちで一杯である。

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by jamartetrusco | 2010-09-09 04:12 | Arte di Ale(アレのアート)
2010年 07月 25日

展覧会ご案内

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帰京中。
あっと言う間に日時が経ち、すでに7月も終わりに近づいている。

8月の展覧会のご案内です。
お時間のある方は是非いらしてください。
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by jamartetrusco | 2010-07-25 21:46 | Arte di Ale(アレのアート)
2010年 05月 13日

記憶にある形

アレの彫刻は彼の遠い「記憶」の中から生まれ出てくるかのようだ。
オリーブの木の形でも、石やアラバスターの彫刻でも常に反復される
有機的な形がある。
人体にも見える独特の艶かしい形である。
エトルスキの横たわる人型にも見える。
もっと彫り込んでいけばくっきりと見えてくる具象の形体にならない
一寸前であるから尚想像力を駆り立てられる。
だからこそ未完の美があるとも思える。
アレ独特の香りがある。

昨晩久々に生き方について、物を作る意味について、何故に我々は
存在しているのかについて、アレと語った。
このところ随分と忘れていたように思える存在の価値を考えた。
生きる勇気を得た。

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by jamartetrusco | 2010-05-13 21:24 | Arte di Ale(アレのアート)
2010年 04月 01日

白いもの

親しい友人が今年の誕生日を記念して何か白いものを贈ってほしい
という願いを知らせてきた。
白いコットンでもなんでも良いのよ、と言われたのだが、さて
どうしよう、と考えて、トスカーナの海辺で拾った貝殻とか
小石なんてどうだろう、と思い、先日たくさんある小石、貝殻
コレクションの蓋を開けてみたものの、案外白い石がない。
灰色だったり、茶色の混じった白だったり。
これではあまり白とは言えない。それにそれほど形の良いのも
見つからない。白の小石を見つけるには白大理石の産地である
カラーラなどの地域の海辺に行かないとだめのようである。
アレに何か名案ないかと相談して、それならアラバスターの
石が良いのでは、と。アラバスターは奇麗な石だと透明に見える
ほどの白である。家にあるアラバスターの破片を探してみる。
でもこの石の破片だけではあまりにも殺風景に見える。

そこでアレに頼んで簡単なエトルスコのGrilloを彫ってもらった。
やや黒ずんだ部分がある小さな破片であったが彫り込むうちに
その部分も削られてかなり純白に近い小オブジェとなった。
単なる石の小片がちょっと手を加えるだけで生命を持ち始める。
かなり原始的な様相ではあるけれどその方がかえって石本来の
魂も感じられる。
エトルスコのお守りのようにどこかお家の片隅にでも置いてもらったら
嬉しい。

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by jamartetrusco | 2010-04-01 18:38 | Arte di Ale(アレのアート)
2010年 01月 17日

曲芸師のような木

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オリーブの根っ子の彫刻は一休止で、今アレの凝っているのはパイブの原材料
であり軽く堅い耐火性の木材であるブライヤ。彫れば彫る程形が面白みを増す。
オリーブよりさらに希少価値のある木材である。
かなり堅木であるので彫るにも大きな力エネルギーではなく手元の力、蝮指に
も似た手先の器用の必要な素材である。
コンコン、カンカン、と音の激しいオリーブの根の
彫音は不在で、まったく音がしない。
無言の中からいつしか生まれでてくる小さな彫刻達。
どれも手の中に入るぐらいの大きさの塊。
手の油にその艶を増してくる。形はオリーブと同じく人型に近く、さまざまなくねり、
うねりを備えている。まるでオリンピックの体操選手の
アクロバティックな動きに似て。
山火事にて黒く変色した部分すらまるで必然性を持つかのようだ。
小さいながらも内エネルギーを秘めているように見えるのはこの木の持つ本質のせいか。
心や魂を恍惚に運ぶパイプの素材であるのも何か根拠があるのかもしれない。
こんな自然の力に毎日触れる作家の心は自然の鼓動と繋がっているに違いない。

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by jamartetrusco | 2010-01-17 22:30 | Arte di Ale(アレのアート)
2009年 11月 24日

糸杉の力

風景画を追求するこの頃のアレの制作の中で糸杉の姿の存在は無視できない。
すーっと空に向けて延びた糸杉の輪郭は夕暮れ時の光の中で一際目立つ。
トスカーナの風景にはなくてはならない存在である。
糸杉の中でも細く、優美な形をしているのは雄の糸杉、反対にややもっこりと
してふくよかなのま雌の糸杉。自然界の雄雌の違いは常に興味深い。
ちなにみこちらでよく食するfinocchio、ウイキョウも雄雌によって形がやや違う。
雄は細く雌はやや膨らんでいる。熱を通して食べるには雄、生のまま食べるには
雌が良いと聞いた。
糸杉は特に周りの自然から逸脱してぽつんと孤立していでたつ姿がなおさら美しい。
なだらかな丘陵地帯の地平線につんつんと数本立つ糸杉のアクセントは風景を
きりっと決めるようだ。
かなり大きなカンバスに描きなぐったこの糸杉はどこか糸杉の精霊のようである。
自然の生命の力を抽出した風景画として心惹かれる。

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by jamartetrusco | 2009-11-24 22:35 | Arte di Ale(アレのアート)
2009年 10月 10日

赤い塔のある風景

灼熱の太陽の黄金色、黄昏の黄金色。
血のようにどくどくと動き流れる。
火山から流れ出るマグマのような赤い塊。
エトルリアの大地からにょっきりと顔を出した塔の群れ。
緑や土色もその赤色に遠慮して王道を譲っているようである。

エネルギー、情熱、生きるということの真の意味。
何かに思い入れる情熱がなければ生きている意味などない。
情熱の炎を絶やさないように、煩雑な日常が邪魔をして心の
あるがままを見失わないように。
常識の影に自己の姿を見間違えないように。

そのように生きたい。

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by jamartetrusco | 2009-10-10 21:13 | Arte di Ale(アレのアート)
2009年 08月 25日

風景画

風景画というジャンルは現代アートの分野に存在しないかのようである。
まるで日曜画家に残された主題であるかのように。
いつから美術家は風景画から離れだしたのだろう。
19世紀には偉大な画家ウィリアム・ターナーがいた。
セザンヌの山。
クロード・モネもひとつの風景をさまざまな季節や
時間帯にて追求した画家である。
風景に見いだせる色彩追求、自然にある形の抽象性や超現実性。
画家の生まれ育った大地の光と影、空と雲、木々や土の色が
そのままカンバスに移される。
そして作家の気分を素直に投影できるモティーフ。

再び風景画の面白みに目を向ける。




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by jamartetrusco | 2009-08-25 22:36 | Arte di Ale(アレのアート)