トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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カテゴリ:Paese (土地柄)( 81 )


2013年 10月 06日

ヴェネチア賛

週末から5日泊でヴェネチアに滞在してきた。
2年ごとに開催のビエンナーレ・アレテを見に行くこと、京都からの友人達と
合流してフォルトゥニー美術館で開催のタピエス展を見に行くことを目的に。
いつからかヴェネチア行きは恒例となった。フィレンツェから高速列車で
2時間ほどで行けるようになってからのことでもある。
以前は4時間ぐらいかかったから。
最近では短期滞在のアパートを借りることにしている。ホテルだと3食外食
となり、経済的にも身体的にもきついから。

ヴェネチアの街は今更言う必要もないが、運河に浮かぶ水上の街、
車も自転車も一切通れない世界唯一無二の街である。
水上バスや水上タクシーも利用できるが、たよりになるのは足だけ。狭い
路地を通りながら小さい広場や教会などを散策するのがこの上なく素晴らしい。
観光名所となっているサンマルコ広場はその類いない美しさと裏腹に近頃では
団体観光客のふき溜まりとなってしまい、アクアアルタ(満潮時に水が上がる
こと)のときなど歩くこともままならない人間の大渋滞のようになって
とにかく避けたい場所となる。なんて残念だろう。

ヴェネチアの人たちは車に侵されていないので、人間の根本的な生き方を謳歌
しているように見える。飲酒運転の心配がないこともあり、夕方黄昏れ時となると
一斉に近場のカフェやバー、またレストランで一杯飲みにに入る。買い物帰りの
奥さんから、地元のおじさんから、若者のカップルからあらゆるタイプの人たちが
シュピッツというこの土地独特のカンパリとプロセッコのカクテルを飲むのである。
ゆったりリラックスできるなんとも贅沢なひととき。運河を横に飲むお酒はまた
格別である。この週末は9月終わりと思えないほど暖かく、道ばたを埋め尽くす人々
で一杯。夏の名残りを惜しむように水と空に酔う。

セレニッシマの海運都市として栄耀栄華を謳歌したヴェネチア。東方との関係も
あり古くから国際的な都市として開けていたせいか、街の気質がオープンであるのも
ヴェネチアの最大の魅力である。
国際的な行事である国際映画祭、アートや建築のビエンナーレがこの地で開催される
のもしかるべきことである。

石造りの城塞のようで、閉鎖的なフィレンツェとか対照的な街である。
フィレンツェとヴェネチア、ローマやミラノとならんでイタリアの最強の都市である
が、私はヴェネチアが心から好きだ。イタリアで住みたいと行ったらこの街である。


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by jamartetrusco | 2013-10-06 17:06 | Paese (土地柄)
2013年 03月 15日

神聖の崩壊

3月13日、コンクラーベが開始されてから異例の早さにて新法王が決まった。
ローマ法王フランチェスコ、アシジの聖人フランチェスコから取った名前であるが
史上初めての法王名なので「何」世という番号もない。次にフランチェスコを
名乗る法王がでて初めて2世となる。
貧しき人々の見方の聖フランチェスコを模範とすると思えるこのアルゼンチン出身の
新法王は贅沢を避けて普段はバスを使って動き、草の根の教会活動をしてきた大司教
と聞く。元々イタリア系であると言え、初めての欧州出以外の法王。
すべてが初めてというある意味でカトリックを総括するシンボルとしての新鮮な始まりと言えよう。
前法王であるベネデット11世が高齢を理由に辞任するという異例の決断をしてから
あっという間に新法王が選出されている状況とは対照的に、2月の総選挙からすでに3週間
経っても未だに先の見えないイタリアの政治はまさに混沌の様を呈している。

さてこの前法王の辞任の決断について一言。別段カトリック信者でもなんでもないが
日本にて幼稚園から大学までカトリック系の学校に通った者として、今回の法王
辞任は今ひとつ納得できない。
法王というのは職業ではなく信仰の究極のシンボルである。カトリックの信義と様々な
儀式とすべて担って全世界のカトリック信者の支えとなる神木、大黒柱である。
その法王がまるで普通の仕事人のように高齢になったら引退して余生を静かに過ごす
(新居にてピアノを弾き、本を読み余生を送っているということ)というのは
まるで自身の教義と存在自体を否認したようなものと思える。
信じること、極めて悟ることは身体の問題とは別のはずである。
高齢で思うように職務がこなせないというのは普通人の言葉であろう。
1世紀ローマ時代に始まり266代目の現法王までの長い歴史がひとつ変わってしまった。
心が物質に屈した、神聖さを崩壊させたとしか思えない。

カリスマなき時代、神聖がどんどんと薄まっていくこの21世紀ならではの結末と
言えようか。
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by jamartetrusco | 2013-03-15 20:19 | Paese (土地柄)
2013年 02月 21日

イタリアはいったい変わるだろうか

この日曜日に総選挙を迎えるイタリア。
一昨年ベルルスコーニ政権が落ちてGoverno Tecnicoと呼ばれるモンティ首相に
よる仮政権が続いていた昨年。そのモンティも去年終わりに解散宣言してこの
総選挙を迎える。モンティも当初は良いかと思ったが、銀行出の保守派の頭には
限界があると思える。共産党を含むPDという左翼政権はたびたびの機会を持ちながら
その対処の仕方の悪さと行ったら目も当てられない。保身のみを考えているとしか
思えない。ベルルスコーニ政権が落ちた時にはまるで圧勝のごとくだったのが
党内の党首選択をめぐってまた力をなくしていった。
このように政治的には常に混沌としているイタリアであるが、ついに爆発寸前の状態と見える。
過激な発言にて国営テレビ局の出入りが御法度になった元々コメディアンのベッベ
グリッロ率いるモヴィメントチンクゥエステッレ党。Movimento Cinque Stelle.
五つの星の運動という意味。
彼はこの選挙に向けてイタリア各地の都市を回って広場での選挙演説集会を行ってきた。
テレビにはいっさい出演せず、人と人との生の出会いだけを重視して行ってきた
彼の戦略は今にしてついに実を結んできたと思われる。
ジャーナリズム、特にジャーナリズムがしっかりとしていないイタリア
であるからなおさら、その恩恵には被る必要なし、という強い姿勢のもとに。
事実を伝えるのでなく、自分達の都合の良いように大衆を動かすという
傾向があるので全く信用できないという理由からだ。
選挙前のイタリアは毎日毎日これでもか、これでもか、と政治家が番組に出演しては
その方針を語る。すべてが聞き飽きた政治のための政治話ばかり。

イタリアの問題を根本から語る政治家などいない中、グリッロの主張はとにかく
すべてを覆そうという良い意味の革命を目指す、今のイタリアにもっとも必要とされるもの。
イタリアのほとんどの政治家は甘い汁をすって私欲資産を増やしてきた、とにかく
この汚職に汚れた政治を変革して、庶民の生活第一を唱えるPopulistaの意見である。
イタリアのこれまでの問題はなにはともあれ「何もかわらない、現状維持」という
こと。どろどろに淀んだ泥沼の状況である。
第2次大戦以降ずっと続いてきた資本主義と共産主義の2極に分かれた政治、社会、
文化の縮図であっタイタリア。敗戦国として余儀なくされたこの短絡的な解決法に
よって文化歴史的に複雑怪奇な素晴らしい国イタリアが大変つまらない国になって
行ったのは80年代以降からだろうか。私が垣間みた90年代初めのイタリアは
まだここまでどん底でなかった。

今のイタリアに必要なのはとにかくこのどんよりと停滞して何も変化のない状況から
逸脱するために喝を入れてくれるエネルギーである。
そしてそれを可能にするのは今のイタリアでは唯一グリッロ率いる政党だけであろう。
どの政党にも懐疑心をもっている投票せざる人々を一気に手中にいれれば彼の政党へ
の投票率は20%、いや30%にも昇るかもしれない。

イタリアはそろそろ本当の改革が必要と思われる。

さてどうなることか。

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by jamartetrusco | 2013-02-21 05:32 | Paese (土地柄)
2012年 06月 23日

隠れ路地にあるオステリア

フィレンツェ、ピッティ宮のある広場の通り一筋奥に入ったところにVia Toscanellaという
人通りの少ない静かな路地がある。この路地を少し行くとパッセリ広場へと出て、この広場はいくつもの
レストランがありにぎやかな場所であるのとは好対照に静かな一角。
この路地に最近できたToscanella Osteriaがある。友人のカルロの知り合いが経営し、
普通のレストランとはひと味違う個性と芸術あふれる空間である。
建物は古くはピッティ宮の前庭にあるLoggia、開廊だったそうで、今の町並みとは違った様相を呈して
いたに違いない。フィレンツェのように15世紀から栄えている街は以前は建物だったところがつぶされて
通りになっていたり、前は屋敷の庭先だったところに建物が建っていたりという場合が多々ある。

さてこの建物にはいくつかの歴史深い人物が関係している。
まずはパオロ・ダル・ポッツォ・トスカネッリ(1397〜1482)。フィレンツェ生まれの地理学者、数学者、
天文学者で、地球球体論を唱えた知識人。アメリカ大陸発見のコロンブスに多大な影響を与えたそう。
トスカネッリなしには大陸発見はなかったとも言っても過言ではない。名前にあるダル・ポッツォというのは
井戸ということで、井戸のあるところに住んでいたパオロを意味する。
さてこの井戸は? 実はこのトラットリアのある建物の中にある。調べるとこの天文学者の住まいはピッティ宮殿のすぐ目の前の建物と言うこと。歴史的人物の住まいや存在を示す石版が壁面についている。
この井戸もその近くにあった庭先の井戸だったのだろうか。

さらにこの建物に関わるもう一人の人物はやはりフィレンツェ生まれの画家オットーネ・ロザイ
(1895〜1957)。未来派にもやや関わり、庶民の貧しい生活風俗や独特な寂々とした風景画で有名だ。
この画家がこのトラットリアの2階にスタジオを構えていたそうである。
1922年ロザイ作の「トスカネッラ通り」。今でもこの路地はこんな佇まいを残す。

歴史香りあふれる住所にあるこのオステリア。経営するファブリツィオ・ロベルト・ゴーリ氏も飲食業を営む家に生まれて伝統的トスカーナ料理を継承するだけでなく、熱心な美術史家であり、また自ら絵筆をとる。
芸術を愛するゴーリ氏の美意識はそのまま彼のオステリアにも生きている。
歴史ある建物を生かして、天井は15世紀当時を思わせる石のアーチにモダンなデザインの照明、
壁にはいくつもの絵が飾られ、画家の工房さながら。サラミや生ハムまで背景の一部のよう。
アレのサラミや生ハムの絵を置いてもらいたい空間だ。
床も少しだけガラス張りの覗き床、足の下の歴史を見せる。
階上のロザイの工房跡も様々に利用できる空間として近々公開するそう。

素敵な空間でお料理もなかなかなのにお値段も手頃。いかにも観光客相手の商業主義のレストランが
多い中、真の意味でフィレンツェ文化を継承したトラットリアのように思う。

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by jamartetrusco | 2012-06-23 18:14 | Paese (土地柄)
2012年 05月 18日

どうなるかイタリアーEURO危機

ギリシャがまた大変なことになっている。
先日の選挙では極左だけでなく極右が大幅にその数を増やした。
極右のプロナチの政党などその会見でハイルヒットラーの腕をかかげ
ジャーナリストも部屋から駆逐したと聞く。
現在のヨーロッパは100年前ならまさに第3次世界大戦が起こりかねない
状況と思う。
というのはドイツが一人勝ちをしている状況だから。 いつものパターンである。
ヨーロッパ共通通貨のEUROになって以来経済的に潤っているのはドイツ
だけである。
すくなくとも地中海諸国はスペインが一時バブルに湧いた以外はあまり
恩恵は被っているとは思えない。
一部の資産家はそれでも資産が倍になったわけであるから良いこともあったろう。
一般庶民はなんら良いことなどゼロのEURO時代。マイナスこそあれ。
一体こんなおかしなことが許されて良いのだろうか。
イタリアはまだ産業が多少あるにしマフィア的社会のどろどろがあるとしても
ギリシャには美しい大地と海と古い奥深いギリシャ文明以外何があると言うのか。
そして何が必要というのか。
そのような国が今の国破産に直面し、国がおぼつかなくなっている、
一体誰がこんな状況にギリシャを追い込んだのだろう。
一般庶民でないことだけは確かだ。
一人一人の人間の生きる権利は一体どこにあるのだろう?
これhが民主主義というのなら全くおかしなことである。民主主義など今の
資本主義社会にはない。経済、金融独裁主義である。

そしてイタリアは? 今急激にベッペ・グリッロのチンクエ・テッレの政党がのびている。
先日の地方選挙で市長も生むぐらいの勢いである。
ベッペ・グリッロはそのブログも世界で多くの人に読まれ、正当で過激な権力
や不正打倒の演説でイタリア内でも多くの支持者を確実に得てきている。
左も右も駆逐、従来のイタリアのぬるま湯につかったような政治家と社会
状況に活を入れる、庶民の声をまさに100%反映するような政党。
そしてマスメデアは極力避ける。マスメディアの表面的な偽りの顔には
乗らないというモットーのもとに地域ごとに草の根の支持者を延ばしてきた。

今イタリアに必要な力である。古い力、左も右もすべて保守政権であるという
矛盾した社会状況を根底から覆すのは彼の政党しかないとおもう。
そして皮肉なことに共産党寄りの左翼もすべてグリロに批判的だ。
己の首が怖いのだろう。

次の総選挙にてグリロの党が圧勝してイタリアは変わるかもしれない。
そう成ってほしい.その前に暗殺などされないことを祈って。
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by jamartetrusco | 2012-05-18 04:29 | Paese (土地柄)
2012年 02月 14日

San Valentino

2月14日に祝う恋人の祭ヴァレンタイン・デーの起源は案外曖昧な伝説にまつわるものだ。
もともと聖ヴァレンタイン自体の存在がはっきりしないのである。
イタリアの名称サン・ヴァレンティーノを名乗る聖人は実は3人知られており、ローマの司祭
ヴァレンティーノ、テルニの司教ヴァレンティーノ、そしてローマ帝国領アフリカの殉教者。
おそらく前者ふたりは同一人物と想像されている。
殉教日が2月14日であるのでこの日を聖ヴァレンティーノの日としてカトリック聖人歴に当てていた。
しかしその存在の不確かさから1969年には削除されてしまったので、カトリック教会公認の聖人でない
ということである。
こんな曖昧な聖人の名前がなぜ恋人の祭りの起源として世界的にその名を馳せることになったのだろう? 
伝説によると当時の皇帝クラウディウス2世は戦さを前にしたローマにて「兵士は恋すれば士気がさがる」
としてローマ兵士の婚姻を禁止したのだが、司祭である聖ヴァレンティーノは秘密に彼らの婚姻を行い、
その罪を問われて捕えられ処刑されたとされる。
さらにはこの聖人は牢獄の看守の娘の盲目を治し、死ぬ前に彼女に当てて「貴女のヴァレンティーノより」
と記したという逸話もある。このように恋人達の願いをかなえ、思いを手紙に託した司祭の名前が現在
の恋人を思いカードや贈り物を送るというヴァレンタイン・デーの源となっているのだろう。

カトリック教会の祭日は本来ローマ時代の異教の神々の祭りに取って代わるものであることがほとんどだ。
ローマ帝国時代、2月13日から15日の間は山羊の足と角をもつ豊穣の農耕神ファウヌス(ギリシャ神話
のパーン)を祀るルペルカリア祭だった。悪を排除し土地を純化し、女性の多産もうながす性的暗喩
の強い祭りでもあったこの日をカトリック教会が良きとせず、聖ヴァレンティーノの日として代替したという
のが実の処と思う。

色々な伝説はあるもの、実際にヴァレンタイン・デーをロマンティックな恋と結びつけたのは英国文学の父
と言われ「カンタベリー物語」で有名な14世紀の詩人チョーサーである。
その詩の中で「鳥達が恋人を選ぶ日」として聖ヴァレンタインの名を引用している。
故にアングロサクソンの文化の中から歴史を辿って生まれてきたのがこの恋を祝う祭りの発祥だろう。

現在その由来も知らずに普及しているチョコ売り商戦の源はこんなところに処し、またコマーシャル化
した祭りの虚ろさはこの現代社会のミスティシズムの欠如をそのまま反映していると思う。

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by jamartetrusco | 2012-02-14 00:38 | Paese (土地柄)
2012年 02月 10日

大寒波

この冬はなんと快晴続きで暖冬だろう、と喜んでいた矢先、この1週間ほど記録的な厳寒となっている
イタリア。トスカーナは先週水曜日に大雪となり、我が集落も孤立の島となった。
学校はもちろん休校。週末にかけて5連休となった娘は多いに雪遊びで楽しんだらしい。
今回の積雪の不思議は局部的であること。フィレンツェからたった20キロのわが町は大雪、でも
フィレンツェはちらちら降っただけで全く積もらず、そしてピサも大丈夫。
おかげで良い案配に無事にロンドンに飛ぶことができ、無事帰宅した。

この大寒波、トスカーナは比較的被害は少ないが、アドリア海側のマルケやアブルッツォ圏の地域
では前代未聞の大雪になっているそうだ。古都ウルビーノでも1メートル近くの積雪となっていて、
断水、停電と大変な状況とか。通常はそんな大雪は降らない地域であるのに。
要するにシベリアから来る大寒波なので、中央ヨーロッパ全体が大雪とマイナス気温に見舞われ、
イタリアもその例外に漏れず、北イタリアはもちろんのこと東側の地域に大雪被害が出ているわけで
ある。トスカーナ地方はイタリアの背骨に当り東西を分けるアペニン山脈のおかげでやや保護されており、
さほどの大雪とならずに済んだ。 ニュースで聞くところによると寒気はすべて南に流れているようで
いつもは零下のアイスランドなどが雪でなく雨が降っているというから不思議である。
今週末はさらなる雪の予報なので、あーあ。

交通にも支障が出始めてスーパーも品薄になり、また野菜や果物の価格高騰もあると聞く。
これはもしかするとイタリア式便乗値上げかな。
雪などほぼ降ったことのないローマでも週末にかけて雪が降り、首都は麻痺状態。
なにしろ慣れていない雪で道路に撒く塩もないし除雪車もないということで街中パニックだったらしい。
積雪からすでに一週間経つが。とにかく日中の気温が上がらないので積もった雪が解けるのも時間が
かかる。

寒くて歓迎できない雪であるが、雪景色の美しさだけは否めない。
葡萄園と杉の木のアクセントがある白の世界。 とくに夕暮れ時は絶景だ。
この光景を愛でながら春の訪れを心待ちにするこの頃である。

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by jamartetrusco | 2012-02-10 00:42 | Paese (土地柄)
2012年 01月 17日

豪華客船の悲劇

日本でもイタリア西岸、トスカーナのジリオ島沖にて沈没した豪華客船のニュースは伝わっていると思う。船長は業務上過失致死の容疑で逮捕されて取り調べが続いているが、毎日様々な証言や残っている通話情報などから驚くべき実態が見えてきている。

そもそも事故はこの豪華客船が乗客、乗組員合わせて4,000人以上の人々を乗せてローマのチヴィタヴェッキャを出発した13日金曜日の夜起こった。13日の金曜日というのも縁起が悪い出発日。さらには進水式のときのシャンペンボトルがぶつかっても割れなかったというジンクスまでしょった船でもある。
順調であれば夜8時半頃に島のそばを通って北へと進行するはずだった。ところがこの船長、以前も何回か島に滞在する観光客と乗船客を楽しませるために島の沖近くを通って汽笛をならすというサービスをしていたようである。そんなことをすること自体言語道断であるが、島の村長がサービスに対してお礼状までこの船長に出していることが判明しているくらい。ここまではどっちもどっち。

その先が問題だ。今回乗組員である給仕長がこの島の出身で両親に挨拶する意味でまた島に近づいて汽笛をならしてあげよう、という船長の提案。料理長の両親は事故後、当然のことながら、私たちが頼んだのではない、と申し訳なさそうに弁解していたが。このために安全進路を制御する操縦装置も手動に切り替えて勝手に選んだ航路を進んだ結果、誤って島に近づき過ぎてしまい、岩に座礁したというわけである。この島のまわりはごわごわと切り立った岩場で有名で、この辺の漁師などはだれでも知っていること。何回も航海している船長が知らないわけがないのである。事故後、この岩は海洋地図には載っていなかった、なんてしらじらしい嘘まで発言している。

この船長の「するべからず行為」が分かってきて開いた口がふさがらない実態が発覚。
1)まず乗客がすべて避難するまで船に残らずさっさと逃げてしまったこと、船長は最後まで乗客乗組員の安全を守る義務があることは言わずもがな。
2)沿岸警備隊の隊長がその後何回も船に戻るように警告したにも関わらずモ戻らなかったこと、そして島にある唯一のタクシーを呼びつけて近間の街まで逃げたこと。
3)最初に座礁して船のエンジン部に水が溜まりだした8:30過ぎに船長以下の副官達が数回にわたりはやく船を捨てて避難するように促したにも関わらず船長はその後一時間以上もそれを許さなかったこと。最初の警告で避難を始めていたら船もまだ傾きだしておらず、救命ボートも正常に使えてすべての人が難なく避難できたということ。船が傾いてしまったのでボートをおろすことが不可能になり、最後の手段で傾いたすべりやすい船体から死ぬ思いでロープ伝いに降りた乗客達。冷たい海に飛び込み命からがら岸まで泳いだ人もいた。
4)乗客の証言から船長はどうも酔っぱらっていたらしいこと。そして事故後携帯電話で豪華客船の幹部と弁護士らしき相手とずっと話していたということ。自分の進退如何しか頭になかったのだろうか。

すでに以上の考えられない失態が判明してきている。この船長、以前にもマルセイユでの荒れ海の中、皆の反対を押し切って豪華客船を出したという前例も。航海の職務につくのは海洋文化のあるナポリとジェノバ出身が多いと言われている、ナポリ近郊のサレルノ出身のこの船長とジェノバのあるリグーリア圏の船長との対立も常にあったそう。
要するにかっこつけるのが好きで、ぎりぎりの危険のスルリを楽しむナポリ気質旺盛の船長だったとことがだんだんと分かってきている。こういう人物は普通に生活している分には極めて人間的で、人懐っこく、愛らしい人物であることは多いし、海の男ならではの荒っぽさと気質の良さなどあるに違いない。彼も自分のかっこつけで
こんな重大な事故を引き起こして大パニックとなり対処不可となったという人間の弱さも十分理解できる。
実際彼を知る住民達は「良い人なのに」と驚きを隠せない。
根本的に問題なのはこんな無責任な多くの人の命を危険に犯すようなことを平気で行ってしまう人が大きな客船の船長になれるということだ。月給12,000(120万円)ユーロという高給でもあると聞く。
イタリアの制度自体の問題、国のイメージ失墜明らか。
なくなった方々へどう謝罪できるというのだろう。

さらに心配なのは座礁した船の燃料が海に流出して多大な海洋汚染を生み出す危険性である。
今週末から海が荒れてくるというからどうなることか。
私もこの島を訪れたことがある。素晴らしい海と自然に満ちたところ。
トスカーナの沿岸のオアシスが破壊されないように祈るばかりである。

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by jamartetrusco | 2012-01-17 22:50 | Paese (土地柄)
2011年 12月 24日

Buon Natale

Buon Natale 2011

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by jamartetrusco | 2011-12-24 17:14 | Paese (土地柄)
2011年 11月 16日

サン・マルティーノ伝説

11月11日は聖人サン・マルティーノの日。今年2011年はまたと来ない11.11.11と11が3つ並ぶ特別な日である。これにちなんで皆何か異変が起こるのではといらぬ想像をした向きも多かったようだが、この地ではいたって穏やかな日和、我が家に関しては平穏に終わった。とは言えその翌日にベルルスコーニ首相が辞任、イタリア前代未聞の長い政権に幕を閉じたたという事実は無視できまない。やはり11、11、11の効果か。

さてこの時期をイタリアではEstate di San Martino、文字通りの意味はサン・マルティーノの夏と呼ぶ。
日本で言う小春日和のようなもの。
晩秋になり、一時の冷え込みが一旦緩むのがこのサン・マルティーノの11月11日から10日間ほど、11月20日ぐらいまでの間。日中は日向にいるとぽかぽかする陽気である。それ故に「サン・マルティーノの夏」と呼ばれる。英語国ではインディアンサマーという表現があるが、聖人にちなんでの呼び名はいかにもカトリック国イタリアのお国柄である。まさに現在そんな小春日和が続くトスカーナ。
サン・マルティーノは庶民にも大変好まれた聖人であるが(フランスの子供達の民謡でフレールジャックの調べを知っておられる方はあるだろうか)実は4世紀ローマ帝国領であった現在のハンガリー生まれのローマ軍人でトゥールのサンマルタンとしても親しまれている。彼にまつわる庶民に伝わる「マントの伝説」が残っている。サン・マルティーノはある日アミアンの城門の前で半裸で震える物乞いを見て哀れに思い自分の着てきたマントを半分に切って与える。その慈悲深い心を思い神様が二人を助けるために暖かい空気を送り込んだ、かくしてこの時期の暖かい小春日和をこの聖人にちなんで名付けたわけである。

伝説はさておき、この時期のイタリアを含む地中海地域は高気圧に覆われ寒さが緩むというのは実際に気象庁の1968年から40年間の気圧配置を比べて見てもわかり、11月11日から20日までの間は同様の高気圧に覆われた配置図であることが証明されている。民衆伝説と科学的な気象結果が結局は同様の自然現象を示しているのは、まさに人々の間で長く伝わる自然に関する言い伝えや諺などは実はかなり正確な真実を語ることの証であると思う。
「サン・マルティーノの夏」のこの時期、その年収穫した葡萄酒ができあがり、樽の蓋をあけてヴィーノ・ノーヴォ(新酒)を味わい、収穫された焼き栗を頂く、というのが伝統である。ちなみにイタリアでは葡萄酒の守護聖人でもあるサン・マルティーノである。 言わずもがなか。

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by jamartetrusco | 2011-11-16 04:15 | Paese (土地柄)