トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

jamarte.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:Paese (土地柄)( 81 )


2009年 11月 02日

Duomoから車が消える時

10月25日よりフィレンツェの花の大聖堂、Duomoの付近から車の

通行禁止
となった。バスもタクシーも通らない。文字通りの歩行者天国。
いったい今まで何故に実施していなかったか不思議なくらいである。
フィレンツェという我が若き日の憧れのルネッサンスの都に初めて訪れた
1980年。駅から都の心臓とも言える大聖堂に向けて歩く通りに車
が走り、おちおち歩けない感じがその当時でもどれほど幻滅を誘ったか。
車のクラクソンや雑踏に混じってその壮大な大聖堂の存在する損ねて
いるかに思えたものである。すでに30年近く経つ今となっては観光客
の数は数倍であろうし、バスとタクシーの列を背後にした大聖堂は
その美しい姿を十分味わうことが不可能なほどであった。

今年新しく就任した30代前半の若いフィレンツェ市長がまず行った
革命的改革は大聖堂付近の交通閉鎖である。
良くやったと言うしかない。そのかわりバスやタクシーは別の通りに迂回して
駅まで到達する。昨日車で走った限り日曜日ということもあるが、
別段の支障はないようである。

車の不在の大聖堂。フィレンツェ人であるアレすら未だ経験したことのない
新体験である。

その代わりに観光客の数が倍増なんてことにならないことを願う。

Duomo Libero, viva Firenze!

f0097102_22181885.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2009-11-02 22:07 | Paese (土地柄)
2009年 09月 02日

ピサの斜塔が最も美しく見える処

ピサのCampo dei Miracoli, 奇跡広場はその広々とした空間に芝生に囲まれて大聖堂、
洗礼堂、かの有名な斜塔、そしてカンポサント(墓所)の4つのモニュメントが一挙に
集まる。海に近いせいかどこか開放的な空気と青い空にむけて立ちそびえるこれらの建物は
下を歩く観光客の雑踏など我関せず縁のようである。
フィレンツェの石造りのシニョーリア広場が壮年の賢さを持ちながらも閉鎖的で内向的な
感があるのに対して、この広場は青年のエネルギーあふれる希望と開放感に満ちている。
15世紀にむけて力を集結してトスカーナを制覇していくフィレンツェを京都に例えるなら
12〜13世紀海港都市として大きな力をもったピサはどこか奈良のおおらかさがある。
喩えは極端であるものの。どちらが好きな広場かと言われば文句なしにこの奇跡広場である。
いつ訪れてもこの広場の美しさには目を奪われる。白い建築物の堂々たる姿と雄大な
広場空間の調和と共鳴感は類い稀なものである。
さて今回斜塔がもっとも美しくみえる穴場を見つけた。
収蔵品に有名な作品がないためか人気も少ないドゥオーモ美術館の中庭である。
夏のぎらぎらした太陽と観光客の雑踏をさけて静かに斜塔の絶景を望め得る一角である。
修復中の被り物のせいで建築の全体の美しさがやや損なわれているものの、斜塔の
姿を最高の角度にて独占できる。
美術館自体も元僧院であったに違いない構造で美しい。
2階の回廊の石のベンチに腰かけて斜塔を眺めるその満足感。
なによりも静けさの貴重を感じる。



f0097102_1571413.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2009-09-02 15:11 | Paese (土地柄)
2009年 07月 06日

艶かし動物達

まだまだフランスの話題。
パリはルーブル美術館やポンピドー・センター、オルセー美術館、ピカソ美術館、諸々美術館が
あまりにも豊富で短期滞在時には訪れる美術館が常に限られていたのだが、今回のやや余裕のある
滞在のおかげで思いがけない素晴らしい博物館を訪れる機会を得た。特に娘のおかげでもある。
絵画などあまり興味のない年齢にて行きたいところは限られている。
長年知ったパリの街で一度も足を踏み入れたことのなかったのがこの自然史博物館
Jardin des Plantesという植物園の中にある。植物園にはこの他に恐竜などの骨や化石などがある別館や温室、動物園など数々の興味があるのだが、時間がなくて中心となるこの自然史博物館だけみた。
博物館自体の建物はさほど大きくないので展示品の数は限られているが、館の収蔵品は世界有数のロンドンやシカゴの自然史博物館の規模に並ぶという。
しかし、である。この博物館のユニークなのはとりわけ剥製の動物の展示である。博物学的な、学術的な展示でない。説明はあまりない。ただビジュアルに強烈なのである。頭脳ではなく視覚に訴えてくる展示。あっと驚くような動物の生々しい姿。ガラス越しでない、目の前に現れる動物達。まるで怒濤のごとき足踏みまで聞こえてくるかのような。艶かしいという表現は当たっていないかもしれないが、しかしsensual、妖艶なのである。
これはフランス独特の展示では? フランス以外あり得ないのでは?
なによりも美を愛する国民性と我々は他国と違うのだ、という誇りをそこに感じるのである。
剥製になった動物もどこか堂々と誇らしげに我々に語りかけてくるように思えた。

f0097102_544278.jpg


f0097102_55430.jpg


f0097102_552484.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2009-07-06 05:13 | Paese (土地柄)
2009年 07月 02日

道具博物館

f0097102_541668.jpg


トロワの街は大聖堂を含める4〜5つの教会建築があるので有名であるが、もうひとつ
この街を訪れたら必見の博物館。Maison de l'Outil、その名も道具の館。
絵画や美術品の美術館ばかり見ていた眼には驚く程新鮮で力強い収蔵品の群れに圧倒される。
まさに道具の「群れ」なのである。
16世紀に建てられた建物の中に収まっているのは10,000以上の古くからある人間の
歴史と営みに関わる生活道具の数々である。1958年から始められたポール・フェラーとう信教者の道具コレクションを母胎にしている17世紀から19世紀にかけての眼を見張るばかりの数の道具。フランスの職人芸とその道具を後世に知らしめ、保護していこうという意図で集められたもの。道具だけだなく、道具を作るための道具もある。

f0097102_540870.jpg


f0097102_5402866.jpg


ありとあらゆる形のオブジェとしても美しい形体の変遷。
中にはもちろん現在でも使用されているものも多々ある。
展示もユニークで、まるで水族館の中の魚や動きのある生き物のように道具達は活き活きと
その姿を見せてくれる。
存在だけで語ってくれる無作為の美、用のための美の力をそこに見た。


f0097102_540463.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2009-07-02 05:42 | Paese (土地柄)
2009年 06月 28日

Atelier Ginkgo

f0097102_5121460.jpg


パリから150キロほど東南に下がったところにある街Troyes,トロワには私たちの友人の
映像作家アントネッラ・ブッサーニッチが住んでいる。去年の夏、京都にて体験を共にした。
パリに来ていることもあって彼女を訪れることは必須である。

彼女はフィレンツェの人であるが、父はクロアティア生まれのイタリア人。故にイタリア人という
よりはクロアチア人という意識が強く、戦争のどさくさにて生まれた家も土地も財産もすべて没収され、国外追放になったというかなり悲劇的な背景を持つ父であるが、それらを水に流してフィレンツェにて人生を築きあげた。とは言え彼女が自分の姓をイタリア名のブッサーニからクロアチア名のブッサ−ニッチに改名したのはある意味で自分のクロアチア人としての存在への証であろうか。日本から帰って去年の秋以来息子のアントンと住みついたこの街トロワ。

f0097102_5154223.jpg


トロワは素晴らしい街である。まず古い建物がそのまま残っている。日本で言えば飛騨の高山のような木材建築の集結した街。全く観光化されていない。住む人のために市がお金を投入している。
個人所有の歴史建物を修復するために市がお金を出してくれるのである。(京都市もそのぐらいの
援助をしたらどうなのだろう、町家がつぶされる理由は持ち主が維持できない事情があると聞く)。この市の政策故に自然と街は昔の姿を戻しつつある。60年代に改装された漆喰は拭いさられ中世からの壁肌が新たに現れる。

この街のあっぱれなのはそればかりでない。文化、芸術に投資しているのである。

f0097102_5123637.jpg


市に寄付されたりっぱな屋敷跡を選抜されたアーティストにアトリエとして提供しているのである。それも月にたったの88ユーロ(12,000ほどで)。10人ほどいるこのラッキーな
アーティスト達はそれぞれが60〜80平米ぐらいの大きなアトリエを3年間自由に利用できる。
そこに住まないことが条件で。
素晴らしい庭もある。そして展覧会会場もある。まるでアーティストのユートピアである。
そこに仕事をする若い作家、またはさまざまな体験をしてここに至る作家に会った。
皆がそれぞれの思いにてエネルギーを発散できる空間の無限大、そしてそれを支える市の懐の大きさ。この場所はその庭に高々とそびえる神々しい銀杏の木に敬意を表してGinkgoと呼ばれる。
Ginkgoとは西洋名の銀杏のことである。
この27日にはアトリエ公開があると言う。その準備に忙しいアントネッラ。
その機会に居られなかったのは残念だった。


f0097102_513119.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2009-06-28 05:23 | Paese (土地柄)
2009年 05月 12日

スタジオにて

f0097102_2231816.jpg


待ちに待った初夏のような快晴の週末。これでこそイタリアの日差しである。
5月の天気の良い日のイタリアは本当に気持ちがすかっとする。
そしてこの週末に前から訪れたいと思っていた作家のスタジオに行くことができた。
以前に紹介したグラツィアーノのスタジオである。
サンタアルカンジェロ・デ・ロマーニャというアドリア海側の町リミニの近くにある
城塞の町である。建物や通りに使われる煉瓦の色が薄いピンクがかったようなオレンジ
であるので、トスカーナの町並みとまたひとつ趣きの違う様相である。町のもっとも高い
城塞のそばにある高い鐘楼が一際目立つ。

f0097102_2172466.jpg


グラツィアーノのスタジオはこの町から15分ぐらい車で行った周りは緑の平地地帯に
あった。もともと製粉工場だったという建物跡を改装、そこに現代建築家による追加建築
を増築した総合空間。空間を使用するのは建築事務所や洋服デザイナーなど創造に関わる
人々である。そしてその一角にグラツィアーノのロフトがある。

f0097102_2223367.jpg


グラツィアーノとはメイルのやり取りを通してしか交流していなかったので実際に会うまで
ややどきどきしたが、実際の人物も物腰柔らかく知的な人であった。
プレゼントしてもらったカタログにある作品の多くは人手に渡ってもうほとんど手元にないので
スタジオにて見ることができる作品はあまりない。
ただ入った瞬間にびっくりした彫刻のプロトタイプー豚の頭。
色々な表情のある豚ですべて頭部だけの彫刻である。彫刻というより合成繊維かゴムのような
素材によりできている柔らかい物体である。これに漆喰をつけて堅い彫刻にするらしい。
ラベンナのアカデミアにて彫刻を教えているのでプロトタイプは生徒達に手伝ってもらっている。
袋一杯につめられた豚の頭部。制作の途中なので写真は控えた。
最終的には大きなモニュメントになるようである。完成したら是非みてみたい。

突き詰めるところまで消去していってミニマルに辿りついた瞬間にどこか戸惑いを感じ
そしてまた具体的な「もの」を作る段階に入っていった、と話すグラツィアーノの言葉を聞いて
ああ、どの作家もやはり同じなのだな、と思った。
サラミやビステッカを描き始めたアレと豚の頭のグラツィアーノの全く異なるもののどこかイタリアに根ざした血と源泉の共通性を感じざるを得ない。

f0097102_2225324.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2009-05-12 02:29 | Paese (土地柄)
2009年 03月 28日

Earth Hour

今日ロンドンから東京へ発つのだが、今晩20:30より世界的なEarth Hourが行われる。
電気を1時間消して環境への認識をあらたにしようという試み。
今晩ロンドンにいたらこの大都会が暗闇となる体験ができたのに。
この地でのG20開催にむけて今日から大規模なデモが始まる。
ありとあらゆるグループが結集して現在の社会をよりよくしようという意図のもとだが
なにも暴力的な行為がないことを祈って。
[PR]

by jamartetrusco | 2009-03-28 18:25 | Paese (土地柄)
2009年 03月 25日

偶像的tabernacolo

f0097102_2254681.jpg


f0097102_2248167.jpg


やや昔イタリアのお地蔵さまのような存在、タベルナーコロについて書いた。

先日友人エルダ
家から近い丘上の散歩道にて遭遇したtabernacoloはことさらその宗教性と土着的偶像性
の間の不可思議な時空間を作っていた。

古色あふれる聖母マリアの像は通常のタベルナーコロのカトリック教のイコンである。
しかしこの聖母マリア像は田舎道の旅程を飾るに通常になく不思議な威厳にあふれている。
天蓋の下にある堂々とした姿である。何か重要な意図をもって置かれたのかもしれない。
このそばに昔からある大きな修道院があったとか。人々の祈りの息吹が感じられる。
手前には鉄の扉までついて小さな礼拝堂の装い。

中に入ってみるとその右側の十字架の存在に驚いた。
だれが作ったのだろう。もしかすると職人の道具を飾ったものかもしれない。
左右アンバランスに道具の飾られた類を見ない十字架は無性に何かを主張しているか
のようである。
この小さな礼拝堂を作った作者の祈りが込められているのか。
聖母マリアの像以上に神秘性を帯びているように見えた。
どこか魔性を孕んだような不可思議な一個のオブジェとして。

人知れぬ佇まいのこのタベルナーコロの由来など想いながら思わず祈りを捧げた。
[PR]

by jamartetrusco | 2009-03-25 00:08 | Paese (土地柄)
2009年 02月 14日

工事

我が家の大家さんの要請にて数件の貸家の水道管を交換し、それぞれのアパート
固有の水道メーターをつけることとなった。夏からの水供給問題に始まり、
古い管に水漏れがあることなどに対する解決策である。
本当に解決するのかな、と半信半疑であるものの。

家の前の石畳を掘り起こして古い管を新しいものと交換し、水道局にメーター
の器具をつけてもらうという工事。
毎日電気ドリルで石畳を掘り起こす騒音と削りくずの埃、そして
やっと管を交換した後、再度石畳をもとに位置に戻してセメントで固める。
新たにつめたセメントの色は古い石畳に調和しない。
新しいセメントの暗い灰色が茶褐色の石畳の色とちぐはぐである。
どうでも良いことかもしれないが、これだけ古い町の工事はある程度の配慮
が必要である。
たぶんセメント自体の質が落ちているせいもあろうが、美的景観をそこなうこととなる。
どうも我が大家さんは自分の持ち家の価値がわかっておらず、
家への愛情が感じられないのだが。

だめ押しは我が家の家を通る管を交換するのでアレのスタジオの壁に
穴を開ける作業。数百年経った分厚い石壁に電気ドリルで穴を
開けようというのだからたまらない。
細かい砂埃がそこら中に散るのである。
いい加減な仕事が嫌いなアレであるのでスタジオは穴を開ける壁周辺はすべて
片付けてまわりの家具もろもろにはプラスチックのカバーをかけて保護。
作業人が来る前の日にはすべて整えておかなければならない。
穴開け、管交換、その後の大掃除。
やれやれやっと片付いたかと思ったら今度は湯沸かしの調子がおかしくなり、
お湯が出ない。
そして今日、湯沸かし修理の人に来てもらってすべての工事が終わった。
これでついに水の問題、お湯の問題終了か。

それにしてもイタリアの古い家に住むのにはなんと忍耐のいることか。
今日は久々に熱いシャワーを浴びれそうである。
忍耐力と諦めの気持ちはイタリアに住んで最も学んだことかもしれない。


f0097102_034524.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2009-02-14 00:41 | Paese (土地柄)
2009年 02月 02日

Teatro del Silenzio ー静寂という劇場

トスカーナのピサ圏内にある小さな町Lajatico-ラヤーティコ。
エトルリアの古代都市として有名なヴォルテッラの近郊であるこの町はある人物が生まれていなければ世界に知られることもなかっただろう。
この町に生まれたのはアンドレア・ボッチェリ。声楽の歌声をポップ音楽に取り込んで一躍有名になったテノール歌手である。日本でも最近声楽家の歌う「千の風になって」がベストヒットとなった記憶も新しい。こういった一連のオペラ歌手が歌うヒットソングの先駆けであるのがこのボッチェリである。94年にイタリアで長く続いているサンレモ音楽祭の若手部門にて優勝して以来、翌年の同音楽祭メイン歌手部門にて歌った"Con te partirò"は4位に留まったものの世界空前のベストセラーとなった。本人はもともとオペラ歌手を目指していたのだが、たまたまイタリアの人気ロック・ミュージシャン、Zuccheroと、今は亡きパバロッティに見いだされポップ音楽の部門でデビューしたのである。その後さまざまな歌曲の舞台でも歌っている。

彼が2005年、自身の生まれた地に貢献する意味もあり提案したのがTeatro del Silenzio、静寂なるシアター・プロジェクト。
イタリアでは近年、ますます劇場の影が薄くなり、イタリア独特の古い佇まいに見合った静けさではなく騒々しい音に満ちた国になりつつあることへの反抗も含めて、小さい頃からの音楽に対する情熱を具現化するために彼自ら企画した野外劇場創設プロジェクトである。

劇場といってもあるのは果てしなく広がるトスカーナの大地。季節ごとに変化する大地の色。半円形の石の座席と緑の中に静かに広がる円形の湖水である。湖水の真ん中には協力者の作家達による彫刻が選ばれ置かれる。去年はマリオ・チェロリ、過去にはアルノルド・ポモドーロ、イゴール・ミトライなどが協力している。

この土曜日久々の快晴にてこの地域を散策していてたまたま遭遇した。
毎年7月にたった一度だけのコンサートを提供する舞台である。
それ以外はただ自然の背景に静かに佇むのみの劇場である。
目の不自由なボッチェリであるからこそ、聞こえてくる静けさである。
それ故生まれた名称に違いない。
この場所の前に立ってトスカーナ独特の美しい丘陵地帯のゆるやかな風景に見とれて
いたが、気がつくと実に静かなのである。人間の出す音、雑音が全く不在である。
毎日の生活がいかに雑音に満ちているかに改めて気がつくこの不思議な空間。
寂とした空気に囲まれてぽつんとある劇場。静寂さの意味と価値を知らせてくれる
場所である。

f0097102_20245672.jpg

[PR]

by jamartetrusco | 2009-02-02 19:17 | Paese (土地柄)