トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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カテゴリ:Paese (土地柄)( 81 )


2009年 01月 29日

Bistecca alla Fiorentina

フィレンツェ風ビーフステーキ、別名、ティーポーン・ステーキとも呼ばれる骨付きの
牛肉の切り方である。この地では4〜5cmの分厚い肉片で外側は炭火にて一気に肉汁を封印して中は好みによって半生のレアー状態にて仕上げる。日本の霜降りのビーフのようなとろけるような柔らかさはないが肉を噛み締めたときの味わいは真に肉を堪能するという醍醐味がある。このような切り方はフィレンツェ特有のようで、故にその名もBistecca alla Fiorentina、フィレンツェ風ビーフステーキと呼ばれる。イタリアの他の地域から来た観光客も好んで食べたがるのは彼らの地では肉屋さんに行ってもこのような切り方のビーフがないからである。
地方地方によって肉のさばき方も異なるのはイタリアならではの面白みである。
私自身も特に肉がなければ生きられないというような肉食動物ではないが、この地に来てからときどき無性にこのビステッカが食べたくなる。なにしろ肉100%、混じりけもなにもないキアイーナの肉を上手に炭火焼きしたこの皿はしつこいソースで味付けした料理とか塩っぽい料理とか、そういった危険性は全くない純な味である。
肉という存在を真に謳歌する料理である。素材としての肉がまずくては話しにならない。
トスカーナの肉の色は瑞々しく赤い。日本人としては魚の新鮮味はなによりも大切だが、肉にも新鮮という言葉が当てはまると思ったのはこの地に来てからである。
血の滴るような赤い肉片。どんよりとした赤、黒っぽい赤、やや茶系の赤であったりするとやや時の経った肉であるのが一目瞭然である。
肉食人種の感覚に近づきつつあるのか、肉片の美しさも実感するこの頃である。

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by jamartetrusco | 2009-01-29 00:23 | Paese (土地柄)
2008年 11月 28日

大地の音ー民の音

ローマにて久々に心身ともを揺さぶる音に触れた。
ローマ近郊の文化協会の小さな穴蔵の中でのダイナミックなコンサート。
天地をふるわせるその迫力ある太鼓とタンブリンの音色。そして音を転がすような歌声。
なんと言ったら適切だろう。中近東のやや悲しげな単調音の調べとイタリア土着の
長調の音と合わせて2等分したような。
一言で言えば民族音楽。しかし単に伝統につながる歴史音ではなくまさしく「今」に息づく音である。
一度奏でだしたらもう二度と止まることのないような、そのめくるめく音と歌声の響きはじょじょに恍惚の境地へと心と体を運んくれる。
グループの名前は Tamburi del Vesuvio 、ヴェスヴィオ(ポンペイの噴火で有名な)の
太鼓。歌師はNando Citarellaというナポリ出身のTambrellista、タンブリン名手である。
彼の手にかかったら大小様々のタンブリンも肉体の一部であるかのように動き出す。
その艶のある声色で高音に響く歌声はまるで人間を越えた「音」のひとつのエッセンスである。
聞いているものは自然と踊り出す。普通の中年のカップルが信じられないような魅力的でセクシーな踊り手となる。そこにあるのは男女の生と性の宴。
人間の生の喜びを、男女の間の愛の喜びを讃え奏で、踊る。
イタリアのナポリやプーリア地方がその発祥の地であるtarantella,或いはpizzicaとして知られる男と女の体を絡ませて(微妙に触るようで触らない)の肉感的、官能的な民衆の踊りである。
真の意味で至福感を与えてくれる音色。大地と密着した人間の存在の喜びをそのまま
音にしたものである。
当分この音にはまりそうである。


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by jamartetrusco | 2008-11-28 18:57 | Paese (土地柄)
2008年 11月 10日

箱の中の猫



秋の夕
ビルバいずこと
思いきや
我が家の猫は
屑箱の中。



くず床に
うたたねビルバの
不思議かな。



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by jamartetrusco | 2008-11-10 17:51 | Paese (土地柄)
2008年 11月 03日

Barbagiannaー美の住む処

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Barbagiannaという名前で知る人ぞ知るの現代アートを紹介する田舎家がある。
フィレンツェから15キロほど行った高台の丘の上の家。
18世紀から建つ農家であるが、そこはMorgana Edizioniというアレッサンドラが営む芸術関係の書物の出版局でもあり、また季節の良い半年間はさまざまな展覧会、ミーティング、コンサートなどなど開催される文化センターともなっている。


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11月だというのに異例の暖かさである昨日、作家友達のエレナ夫婦とともに初めて
この場所を訪れた。散歩がてら坂をてくてく登っていって辿り着いた場所は遠景に
典型的トスカーナの風景が開けるまさに桃源郷。
古い農家もあまり手を加えずに、床も扉も壁もすべて朽ち果てた美しさを残している。
今展示されているのはフィレンツェに移り住んで長いカロリーヌ・ガロワというフランスからの作家の作品。
19世紀のフランスの象徴派詩人ランボーのVoyelles「母音のうた」からインスピレーションを得て描いたという。「母音のうた」はフランス語の母音であるa, e, i, o, u「アエイオウ」の五音とその音から連想される色を歌った詩である。
音声と色との関連は音楽と絵画との関係のようなつかみどころがないようで明確な
絆である。

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色とりどりの美しい装丁の本が多く置いてある空間であるので彼女の作品とも静かな調和を醸し出している。
本と言うオブジェの美しさ、紙質や色合いから読みたくなる本が並んでいる。

「素材」というものの真の価値を見せてくれる芸術の住処である。
秋の色の移ろいと永劫なる美に囲まれてゆったりとした時を過ごした。

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by jamartetrusco | 2008-11-03 18:30 | Paese (土地柄)
2008年 08月 05日

アントネッラのビデオインスタレーション

アントネッラ・ブッサーニッチというトスカーナ人ながらフランス在住の映像作家が
いる。
初めての日本来日。フランス政府の助成金を申請し、受け入れられた。
京都のフランス文化会館のアーティスト・イン・レジデンスのヴィラ九条山に滞在しながら京都の文化を吸収している真っ最中。
アーティストを世界に送り込むことによって自身の文化も高めていこうとうするフランス
国の方針には脱帽だ。イタリアも見習ってもらいたいものだ。

帰国前に小さな展覧会を開催する。展示などもろもろお手伝いしているが、なかなか
手こずっている。ビデオ作品の展示は絵画の展示よりもやっかいだ。
DVD, ビデオプロジェクターなど機械の参入があるので、自分で決められないことも
でてくる。

以下の日程である。

Antonella Bussanich videoinstallations」

8月7日(木)~8月9日(土)
○時 間 : 10時30分~19時
○場 所 : ミホプロジェクト スタジオ

レセプション:8月7日(木)18時~20時30分


アントネッラ・ブッサーニッチ
1963年 イタリア・トスカーナ生まれ
写真画像、ビデオ、そして他の素材を融合させたインスタレーション等を制作している。


ミホプロジェクト mihoproject
tel:075-417-4870 fax:075-441-4681
mobile:090-7766-2978
〒602-8493
京都府京都市上京区寺之内通り浄福寺西入中猪熊町332
e-mail yu-an1@mbox.kyoto-inet.or.jp
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/yu-an1/



miho project
e-mail yu-an1@mbox.kyoto-inet.or.jp
tel:075-417-4870 fax:075-441-4681
mobile:+81-90-7766-2978
332 nakainokuma-cho teranouchi-jyoufukuji kamigyo-ku
kyoto japan 602-8493
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/yu-an1/


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by jamartetrusco | 2008-08-05 07:36 | Paese (土地柄)
2008年 07月 07日

七夕

京都に帰っている。
猛烈な蒸し暑さに往生しているが、夏の風情には心動く。
今日は七夕である。
星に願いをゆだねよう。


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by jamartetrusco | 2008-07-07 11:25 | Paese (土地柄)
2008年 05月 28日

古葡萄のような人

ワインとオリーブ・オイルを作る地元のおやじさんがいるのだが、
人間の動物的、本能的強さを体現したような人である。
彼の家は典型的トスカーナの田舎家でやや小高い丘の上にある。
周りは自分が手塩をかけて育てている葡萄畑とオリープ畑。
オリーブの剪定ではなかなかの腕利きだそうだ。
外には猫の大家族が共存している。番犬もいっぴき。
家には年老いた叔母さんとその息子も同居している。
彼はどうも一人ものらしい。キャンティの野生いのししのようなワイルドさが
あり、ぼさぼさの長髪で一見若々しく見えるのだが、なんと65歳とのこと。
驚きである。
そしてこの叔母さん、なんと93歳で腰骨を折り、今リハビリ中という。
彼曰く自分のお祖母さんは一度も医者にはかかったこともなく15人の子供を
自宅出産し87歳まで生きた、という。
今の都会の人々のように何かというと病院に飛んでいくなんて、考えられない。
ちっとも豪華な生活ではないけれど、自然とともに生きていて自然に生きるものの知恵がある。そしてたくましさがある。
病院や医者を否定するのではないが、今の医学、なんでも検査、検査で本来の「手当て」の意味から遠のいているようである。
手を当てることによって癒されるというのは実は真実に遠からずであると思う。
この人とその根本的な生き方をみていると「病いは気から」と思えるのである。

この人のまた面白いのはワインを買いに行く度に社会性、歴史性、政治性に
富んだ話題に花咲くことだ。彼の抱くのは左派も右派も信用しないアナーキーで、
アボリジニな思想である。
地元の小さな農家はどんどん大規模ワイン生産のお金の出所すら怪しげな大企業
の所有に取って代わり、そのために自然の調和は壊されてワインの味まで同一化
されていく。この付近でも個人で頑張ってワインやオリーブオイルを作る希少価値の人となりつつある。彼の土地を買収しようという輩は少なくないと言う。いつまでも抵抗していくぞ、という意気込みたっぷりのおやじである。

古くからある葡萄の捻曲がりながら生き残ったその賢老人のような姿は今あちこちで植えられる新種の形が一律同一で弱々しい葡萄とは別物である。
このおやじもまさにこの古葡萄のような智慧ものである。
応援していきたいと思っている。

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by jamartetrusco | 2008-05-28 18:40 | Paese (土地柄)
2008年 02月 18日

イタリアの底力

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久々に会った友人家族。彼女は日本女性でジュエリー作家。日本の繊細な感性を生かした粋なジュエリーを作る。
彼はもともとシチリア出身であるが、フィレンツェに移り住んで長い。フィレンツェ近郊の街に照明器具のPelliteri デザイン工房を持つ。デザイン発送からモデル作りまですべてその工房兼工場にて行われる。昨日は彼らの新居に遊びにいきがてら彼の工房を初めて覗かせてもらった。
そしてつくづく思ったのである。イタリア人の職人的才、創造性、デザイン性、独創性、そして自身の手を信じる底力を。

工房はCittà del mobili(家具の街)と呼ばれるピストイア圏のQuarrata,クアラータにあり、表通りはまさにその名に恥じず家具、インテリア商品のショールームが軒並み立ち並ぶ。通りを入った裏手の工房はまだショールームとして公開していないのでひっそりとあるのみだが、中に入って驚いた。モダンな照明器具が展示されている他、過去の製品なども処狭しと置いてある。そして何と言っても一番興味をそそられるのは一番奥の工房である。そこは制作者にとって理想的なだだっ広い空間で、そこに照明器具のための原型から、アイデア構想の過程から、作家としての彼の作品とか、とにかくあらゆる形のアイデア源泉のおとしご達がうごめいている。
雑然としてながらひとつひとつが互いに相互作用しながら存在するアイデア品の数々。
彼を含め4人の若い仕事手がこの空間の立役者である。
「ここに入って仕事をしたい場合、何を作りたいかはっきりした考えがないと何も手をつけられないんだ」という彼自身が説明するに足る混沌とした空間である。
プロトタイプの家具や照明はすべて手作り。アイデアをとにかく自身の手で形にしていく。
こうした手技に基づく混沌からこそ、独創的アイデアが生まれ得るのだろう。
そうして完成したフィニッシュ・プロダクトはあーこれか、というような有名なものもあった。例えばシャンペンボトルの栓にするメタルのストッパー。彼がその発明者だったのか。その後似た商品がどんどんと発売されたらしい。
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イタリアのデザイン、職人技の底力を垣間みるとともに、イタリアの文化はこういった個人の才の力に寄るところ多しであると納得した。それも芸術家としての職人の力である。ルネサンス発祥の土地であることは明白である。
今のイタリア、なにかと問題ばかり見えるが、隠れたところにイタリア魂健在なりを再評価することのできた気持ちの良い一日だった。

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by jamartetrusco | 2008-02-18 20:12 | Paese (土地柄)
2008年 02月 14日

三賢猿

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見ざる、聞かざる、言わざる。
「ざる」を文字って猿であるのは言うまでもない。

先日のダーウィンの猿につづいてこの3猿。
猿の偉大。知恵猿。
常に耳にしながらひょんなことからその起源を調べた。
天台宗の教えが源にあると言うが、やはりもとは中国発祥だろうか。
不見、不聞、不言。

しかし英語にも同じ表現がある。
See no evil, hear no evil, speak no evil.
悪を見ず、聞かず、話すべからず。
そしてthree wise monkeysとして知られる。
悪魔のことを話せば悪魔が現れるというSpeak of the Devil(日本語訳では噂をすれば影とやら、か)に近い意味合いの表現。要するに悪いことは見聞き話しするな、というような道徳的な格言であろう。

「ざる」が「猿」となりそして英訳されmonkeysになったのか。
それとも他の国にも知恵猿の伝統がもともとあったのか。その辺も不思議である。


思うにその神髄は「知恵があってないがごとしが知恵あり」ということであり、
「知っていて知らんぷりする方が賢い」などという小賢しい意味合いに取りたくない
格言である。
人間の思考の根本が同一である、ことを知る賢い猿である。
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by jamartetrusco | 2008-02-14 23:37 | Paese (土地柄)
2008年 02月 09日

地蔵信仰について想うこと

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フィレンツェ・マニフィコ・クラブの企画にて4月頭に「地蔵讃歌」展がフィレンツェにて開かれる運びである。代表の福井さんがずっと暖めてきた企画で、念願の展覧会である。ずっと昔のブログの記事にても触れた。日本の地蔵とイタリアのタベルナーコロの文化的、精神的類似点に留意して、イタリアの人々の心に日本の心のあり方を少しでも語ることができれば、という願いである。
地蔵についての解説をイタリア語に訳するにあたって色々調べていてわかった。
地蔵の伝説、地蔵信仰、地蔵の種類。六地蔵について。水子地蔵について。
そして六道について。

この世は六道の輪廻が巡り巡っているという仏教思想。天道(deva)、人道(Manyusa)、阿修羅道(Asura)、畜生道(Tiryagyoni)、餓鬼道(Preta)、地獄道(Naraka)の六道である。生前の行いから転生がこの六道に定まるというもの。そしてこの六道の迷いの世界に悩む生きとし生けるものの苦しみの肩代わりになり、慈悲の心をもって救いの手を延ばすのが地蔵である。この六道のそれぞれについて救済の手を述べる地蔵菩薩であるから六地蔵と呼ばれる、という事実を正直初めて知った。お地蔵様という身近でありながらその何たるものかを詳しく知らなかった今まで。

地蔵に対する草の根的信仰はイタリア、カトリック教の聖母マリア信仰に大変近いものがある。地蔵の蔵が宝を育む処として聖母マリアの母胎と重なってくるイメージがある。大地に根ざす慈悲深い心。まさに聖母マリア信仰のそれである。

このふたつの歴史深い文化をもつ国の現在のあり方を見て考えた。
日本の社会は資本主義の物質文明、お金が頼りという金権主義に陥りながらもなんとか
人間性を失わずに済んでいるのは人々の心のよりどころである神(お寺や神社に宿る)
の存在が威丈高でなく、身近なものだからであろう。人々がお寺や神社にお参りし、
新年の初詣をするのには生きる上の力を授かろうという心からであり、純粋なる宗教信仰からでない。人々の生活に根ざした心の糧である。それでこそ救われるのである。

イタリアの近頃を見ているとそこに問題があるのがわかる。キリスト教という一神教が力を失いつつある現在、人々の心に何かを恐れ敬う心も失いつつあるのである。教会という場が倫理感を育み、人々の土着的文化の拠り所であることを止め、原理主義的信者のみのためとなり、そういった信者でない一般の人々の心の拠り所が曖昧となったのが現在のイタリアであると思う。政治はすさみ、マフィアの問題を抱え、行き場のない不満が充満する現在のイタリア。自然の美しさとエトルリア、ローマ、ルネサンスを経た深い文明の遺産を持ちながら「現在」を生きることのできない不満である。
それの原因のひとつとして草の根信仰がなくなったからだと思うのである。
小さなことへの感謝の気持ち、畏れの気持ちは人間には必須であると思うのである。
道ばたに静かに佇む聖母子のタベルナーコロの色あせたイメージは物悲しい。

Bell Paese、「美しい国」という形容詞がまさに当てはまるこの誉れ高い国に今最も必要なのは一人一人が生きる上での信じる「何か」を持つことであろう。それはエトルリア神への憧憬でもよし、素晴らしい自然や過去の文化への尊敬でも良し、観光客のみを頼りにし、物価が2001年から現在まで40%高という庶民を無視した荒んだ社会の今のイタリアはまさにどん底を着いたと言って良い。これからは上昇するしかないと思うのである。再度解散した議会。次の首相となるのは今のローマ市長のヴェルトローニであってほしい。どうなることか。
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by jamartetrusco | 2008-02-09 23:06 | Paese (土地柄)