トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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カテゴリ:Paese (土地柄)( 81 )


2008年 01月 17日

今度はスペイン広場


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またまたしてやったり!
グラツィアーノ・チェッキーニ氏。昨年10月のトレビの泉を真っ赤に染めた男である。
今回はスペイン広場の階段の上からカラフルなプラスチックの玉を50万個転がしたのである。近頃の塵にまみれたイタリアに色をともすため、とのこと。
「自分は左でも右でもない、純粋なるアーティストである」と彼を右派であると書くジャーナリストの嘘にも反論。
カラカラコロコロと轟音をたてて転がり落ちるボール。通りががる人も観光客も、子供も大人も大喜びにてその壮観な光景を眺める。写真を撮る人も多々。
「イタリアの最高の見上げ」と微笑む観光客も。

今回はこれだけの玉を用意することもあり2万ユーロの費用がかかったらしい。そして玉転がしに参加したのは作家含めて4人。スポンサーまでついているから笑える。その変わり公務執行妨害の罪を問われるらしい。市側の権威はもちろんこの行為を自己宣伝目的の許すべからぬ行為と非難しているが、この行為を賞賛し賛同する人は少なくないだろう。

以前と同じく新未来派の宣言文を残している。しかも今回はしっかりと本人も全面にあり。宣言文は以下の通り。

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"Tattarattatà: i fratelli d'Italia si son rotti le palle. Dal rosso Trevi alla quadricromia. Noi futuristi ascendiamo verso le vette più eccelse e più radiose e ci proclamiamo signori della luce perché già beviamo alle vive fonti del sole. Una macchia di colore vi tumulerà. Noi siam da tempo calpesti, derisi, perché non abbiam governi decisi".

「タッタラタッタ! イタリアの兄弟諸君は皆辟易している。(rompere le palleはもっと俗語のparolacciaで、文字通りの意味はきん玉がつぶれるの意。pallaは玉の意があるので睾丸の意とかけて語呂合わせをているのである)
トレビの赤から4原色へ。我々未来派は神々しく、光輝く頂点へと登りつめる、そして
すでに光の祝福を受けている。というのもすでに太陽の命脈々とした泉を享受しているからだ。色の斑点があなた達を埋め尽くすのだ。我々はしっかりとした政府がない故に長い間踏みつけられ、嘲笑われている。」

塵に埋め尽くされたナポリ近郊の大変なニュースは日本にも流れているだろう。
未だに分別もせずに破棄する塵の山。民度の低さ。マフィアの問題。力なき政府。がんじがらめの社会機構の不機能。このところのイタリアは沈没寸前の船のように危なっかしい。政治の悪さが社会すべて隅々まで影響してきている。物価はどんどん上がるばかり、消費はどんどん減ってきている。国民の忍耐も限界に近い。

そんな暗闇の灯火のようにポジティブな動きはベッペ・グリッロのブログの及ぼす力とこのチェッキーニのアート・パーフォマンスである。

第3段もあるのだろうか。。。

Videoがあるので興味のある方は以下のサイトにてご覧あれ。

La Repubblica TV
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by jamartetrusco | 2008-01-17 18:48 | Paese (土地柄)
2008年 01月 08日

ラルデレッロの友人を訪ねて

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エルダ は作家であり、詩人であり、美術評論家であり、アレの作品の良き理解者である。展覧会の紹介文はいつも彼女に依頼している。
以前は長い間我々の住むキャンティ地方に住んでいた。此の地がまだ今のようなワインやアグリツーリズモのブームに至っておらず、安く貸家や売り家が手に入り、世界からあまりお金のないボヘミヤン的アーティストや作家がこの地方の独特な景色に魅せられて移り住んで来た1970年代から90年代初めぐらいまでの時期である。
我々が住み着いた1994年はもうボヘミヤン達がほとんど逃げ出した後であった。
その頃まだ残っていてボヘミヤン時代のキャンティを体験してきたのがエルダである。

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エルダも観光地と化したキャンティが住みにくくなり、一時仕事にてフィレンツェやミラノに移り住んだが、今の住処はトスカーナ地方の人里離れた小さな集落、モンテチェルボリーMontecerboli−である。
未だに未開発の地を求めてさまようボヘミアン精神健在である。トスカーナの海岸より
20キロほど離れた山奥のそれこそ車がなければなにもできない辺境地である。

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この集落のすぐそばには地熱発電で有名なラルデレッローLarderelloーがある。19世紀初頭まではモンテチェルボリの名前で知られていた地域であったが、1827年に硫黄温泉の地熱を利用してフランス人のフランソワ・ドゥ・ラルデレル(Larderel)が発電を開発したことからその地名の源となった。
世界初というから興味深い。トスカーナ大公レオポルド2世の力であろう。

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この地に近づいてまず目に入るのはこの発電所の噴気孔から立ち上がる煙である。
そして地面を蛇のように這い巡るメタルの管。遠くからみるとまるで現代アートの
インスタレーションのようである。決して美しいとは言えないのだが、興味をそそる風景。
エルダは10数年まえこの当たりをうろうろしていて見つけた小さなアパートを手に入れた。大変安かったらしい。近年まで夏場に使っていたこの穴蔵のようなアパートが
現在の彼女の住まいである。
常に文化やアートに関わる仕事をてがける彼女であるので現在この地の市長といろいろなプロジェクトを相談中。将来的に老朽化した発電所を完全に閉鎖する方向であるので
この街の財政面を助けるために文化に投資させようというのがエルダの意向である。
いずれラルデレッロの芸術村や夏の展覧会イベントなど始まる可能性多いにあり。

Valle del Diavolo ー悪魔の谷ーというなんとも象徴的な名称の此の地にアーティストの集落ができたらなんとも楽しいではないか。我々もなんらかの形で参加することができたらと思っている。
今後の展開を見守っていきたい。

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by jamartetrusco | 2008-01-08 18:15 | Paese (土地柄)
2007年 11月 28日

Legenda della Vera Croceー聖十字架の伝説

聖十字架の伝説。
イタリア語ではLegenda della Vera Croce。
キリスト教の精神史にかかせない聖遺物信仰の内もっとも神秘溢れるものであろう。

キリストの磔刑に使われたとされる聖遺物としての十字架の伝説である。13世紀に
ジェノバの大司教であるヤコボ・ダ・ヴァラジネにより完成された「黄金伝説」に明記されている十字架に使われた木の神々しい由来。
十字架となった木はもともと「エデンの園」に生えていた「命の木」の種から生まれたものである。アダムが死の床で息子セトを天国へ送り、死への旅の糧となるよう慈悲の油を取りにいかせるが、大天使ミカエルはその代わりに「命の木」の種を与える。
これを墓に埋葬されるアダムの口に落とすと口から「命の木」が生えてくる。
この木は後に伐採されて橋となりその上をソロモン王に会うために旅するシバの女王
が渡る。その橋木の力に驚愕し橋の上に跪き讃え祈る、というものである。その後キリストの磔刑に使われたものとして奇跡的に発見される話しへと続く。

アダムの口から生えてくる「命の木」のイメージが極めてシュールで視覚的だ。
人の肉体がそのまま埋葬され、そしてそれが土となり、自然へと回帰し、その上に
新たなる木の生命が生まれてくる。その象徴であるのだろう。
土葬である西欧社会ならではのイメージである。
アレによればトスカーナの糸杉が多く生えた小高い丘は墓であると言う。墓地にも必ず杉の木が生えている。イタリアの墓はよほどのお金持ちでない限り遺体は土葬されて十年経つと骨だけ納骨堂に移され、また同じ土に新たなる遺体を埋める仕組みである。であるから同じ場所には多くの人の生命が埋められていることになる。肉体に執着した信仰であるから聖遺物なるものも存在するのであろう。
そしてオリーブの根っ子の生命力とその湾曲した姿は土の奥底にある何百年、何千年にも渡っての人と自然の絡み合いの結果であるようにも見える。

一本の木の伝説がキリスト教世界全体のあり方を示しているような気がする。
それはわれわれが神々しいものとしてしめ縄をつけ、古木を拝む心の有り様とは全く
別のものであろう。

文明の歴史、人の精神史を知る、ことの大切さ。
伝説は真実を語っていることが多い。



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by jamartetrusco | 2007-11-28 23:46 | Paese (土地柄)
2007年 11月 05日

トレビの泉が赤くなるとき


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10月19日の午後、ローマの観光名所のひとつであるトレビの泉が真っ赤に染まった。
相変わらず観光客に溢れる泉に帽子をかぶった男が染料を投げ込んで逃げたのである。
一瞬皆何が起こったかわからなかったであろう。みるみる内に赤く染まっていく泉の水。
大理石の彫刻と赤の泉が超現実的なコントラストを作りだして画像を見るだけでも妙に美しい。
そして現場には"Azione Futurista 2007"(2007年未来派活動)と記された声明文が残されていた。ちょうどこの時期にローマにて開催されていた映画祭への批判と今の社会への批判が織り込まれた声明文であった。
この声明文は明らかに20世紀初頭に台頭した芸術運動であるFuturismoー未来派ーを意識して書かれたものだろう。1909年に詩人であるマリネッティにより唱導された「未来派宣言」に端を発した前衛芸術運動である未来派。過去の伝統や芸術を徹底的に排除し、近代の機械文明による速度を理想とする破壊性を唱える過激な思想に支えられ、20年代当時はまだ社会主義と呼ばれていた後のファシストに受容されられる思想となる。近代文明の黎明とともに出現したモダニズムの一貫である。
カメラに残った映像から、また未来派への言及から、犯人はネオ・フトュリストー新未来派ーと自称する画家であるグラツィアーノ・チェッキーニではないか、という疑いがあがる。
彼は当時の取り調べに対しては自分ではないと否定したが、実際に彼であることに間違いない。

泉の大理石には全く被害なく終わったこの行為は実に象徴的で視覚性に富む。
街起こしには違いないがすでに存在するヴェネチア映画祭に対抗してつい最近始めたローマ映画祭。ローマ市長のヴェルトローニ(現在左翼政党の党首)が映画好きということから開始された祭りである。お決まりのスターが表れ新作映画の初上映をレッドカーペットとともに行うなんの特色もない映画祭である。このレッドカーペットの赤色への風刺も兼ねての赤。
商業主義に走る社会と芸術の陳腐への鋭い批判を込めて赤に染まったトレビの泉。あまりにも観光化したこの名所への皮肉にも見て取れる。
儚いシュールリアリスティックな視覚イメージとしてそこに居合わせた皆の目と心に焼き付けられる創造的エネルギーに満ちたものであったろう。実際に現場にいて観てみたかったものである。

この行為、一部の知識人に大変受けた。過激な広告写真で常に議論を醸し出すベネトンの写真家オリビエロ・トスカーニは当初からこの「赤いトレビ行為」に賛同し、この画家にもうひとつの
パーフォーマンスを依頼し写真とした。赤い水に満ちた風呂桶につかったチェッキーニの画像を撮影したのである。赤い水からにょっきり表れた彼の顔。なかなかユーモア溢れる。

60年代に多々起こっていた社会風刺をかねた芸術家達のハプニングなど今では遠い昔の出来事のようである。どこかまだ何かを信じることができた肯定性を孕んだ行為というのが消えてしまった、あるいは不可能になってしまった現在の状況の中で近頃珍しく興味津々と聞いたニュースであった。
Viva artista!





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by jamartetrusco | 2007-11-05 17:17 | Paese (土地柄)
2007年 09月 02日

紙 を知る

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京都府の綾部市。京都の西北部の自然豊かな小さな集落。
紙すき職人の知り合いを訪ねた。京都府からフィレンツェに研修、調査のために派遣された伝統産業に関わる職人さんたちと一昨年の冬に出会った。その一人であった林さんは紙すきの職人さんである。たった一日の出会いであったのだが、なんとなくその人柄にひかれた。そして言葉を交わすことが少なかったもののアレにも彼自身がすいた紙を贈ってくださった。
なんとなくお互いに見えない意思疎通があったような気がする。日本の職人の技に深く関心のあるアレなのでまた会えるような気がしていたのである。

そして此の夏アレの桂の展覧会にも来てくださった。2回目の再会である。自分の工房にも是非遊びに来てください、との誘いについついひかれて8月の暑い日、綾部のご自宅まで足を延ばす。

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台風が近づいていたので風は吹いていたがじりじりする暑さの集落に着く。
まずは地元の神社に。人っ子一人いないので不思議なくらい超現実的な処。
有名で人気の多い寺社を訪れるよりこういった人里離れて神秘的な場所に真の「神性」を
感じる。

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蝉の声のみが響く熱せられた大気。田んぼに囲まれた日本の田園の典型。
山あり川ありという理想的な自然。日本の神様を感じるのはこうした環境である。

紙すきは近くの廃校になった学校の校舎を工房にして行っている。子供達を対象にした紙すき体験なども企画しているらしい。
今回はご自宅にて紙すきを体験させてもらった。和紙が楮(コウゾ)という木からできているということはぼんやりと知っていたのだが、実際ゆでられて白く糊のような楮の原材料を水に溶かして板に乗せすいていく過程を体験して紙の存在を初めて知ることとなった。単純に「紙とはこんな風にできているのか」と。簡単そうに見えて加える水の量とか乾かしかたとか後作業の行程は職人さんならではの技であろう。私たちはただ板を前後左右に揺らす作業をしたのみ。

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土や砂からできた色彩で色したアレの絵を見ておられたので近くの納屋の壁土や赤土をコウゾと混ぜて用意しておいてくださった。違った観点からの面白い紙になるでしょう、と。
ちょうど梅干しをちぎったような色と感触の土色のコウゾ。

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アレもこれが紙に成り代わるのかな、と半分恐る恐る色を被せていく。

帰る前には出来上がったもの、お送りしますよ。

そして8月の展覧会時にわざわざ持参してくださったのがこれである。
あれだけ厚みのあった生のこうぞがこんな風になるのか。とつくづく感動した。


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by jamartetrusco | 2007-09-02 22:22 | Paese (土地柄)
2007年 05月 26日

選ばれたるわが町モンテフィオラーレ

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Il Club dei Borghi più belli d'Italiaーイタリアで一番美しいボルゴ(集落)のクラブ。
イタリア全国の州から選出された小さいながら美しい玉石のような町。巨大な観光産業のルートからも外れて人が訪れることも少ないが、しかし歴史、文化、芸術、人々の生活が今に至るまで受け継がれている歴史的な価値に満ちたボルゴ。
町によっては若者が外に出てしまって人気がなくなり、廃墟のごとくになっているものもあるらしい。
そういったイタリアに山ほど存在する小さな集落をクラブの一員に任命することによって保存のための財政を集めたり、観光プロモーシォンに力を注いだり、減少してしまった住民に取って代わる新たな住民を勧誘するなどの目的のもとにできた全国レベルのクラブである。
このたびわが町モンテフィオラーレもその一員に選出された、という案内の手紙がグレーベ市長より届いた。実はグレーベの市長は国営放送Rai3の土曜日に放映されるBella Italiaという番組も担当しており、イタリアの小さな町の歴史や文化を保存しよう、という常からの情熱がある。そのせいで地元推進のために尽力を注いだに違いない。

さて、これを機会に私的な此の町への思いを綴りたい。

私はモンテフィオラーレのresidenza (住民票)をもって10数年である。
この町の良さも悪さもかなり見て来ている。
代々この町に住んでいて外国人に対してかなり排他的な地元の人々との真の意味の交流の欠如。「我々」対「よそ者」の図式は決して簡単に払拭されるものではない。
主人もフィレンツェ出身であるから私とそう変わらない「よそ者」である。
13年もこの地に住んでいったいどれほどの人が私たち夫婦の名前を知っているだろうか?
おそらくアレのことはPittore (画家)、わたしのことはせいぜい moglie del pittore,画家の妻、もしくはGiapponese,日本人、東洋人の区別のつかない人たちにはCinese 中国人と呼ばれていることは間違いない。
どこまで行っても地元の人々との表面的な交流は平行線を辿るであろう。
これは国の違いというよりは都会と小村の人々の生活様式と精神性の違いに他ならない。

しかし小さい町であるからある程度誰もが誰もを知っている世界であるので、住所の番地がなくても郵便物が届く便利さはあるし、子供達は親がいなくても集まって広場で遊んだり、行き来したりして、子供同士の小さな世界を心置きなく享受している。また夏の夜など広場で夜遊びをするのも至って安全である。
子供達はあたかもこの町全体の人々の宝のように目をかけてもらい、大事にされている。大きな集落の家族の一員のような感じだろう。娘もそのひとり。

そして面白いのはこの新世代にとっては私たちは「よそ者」ではなく、彼らの親友の両親、であるからにして、彼らと同レベルでの交流の対象である。そして名前もしっかり覚えてくれている。だからこの新世代にとっては娘はもちろんのこと、我々も彼らの世界に属するメンバーなのである。小さな町のこのあたりの構造は至って流動的である。大都会のような隣はなにをするひとぞ、のわれ関せず縁のドライな関係ではない。排他的でありながら無限の広がりの可能性も含んだ面白い世界。

私自身、東京生まれで大学卒業後ロンドンという大都会に住んでいたという生まれと育ちの関係上、このような小集落的住処は初めてである。
だから戸惑いや窮屈さや意思疎通の欠如など多少のメンタリティーの違いは否めない。
しかしそれを補ってあまりあるほどの田舎の生活のもつ純粋さ、自然に即した生き方への同調がある。
それぞれの空間を侵さずに、静かに、この町の掟の調和を崩さずに暮らす。
出る釘は打たれるとあるが、まさにその感あり。
この13年間、小さな村での生き方を学んだ。
長年の付き合いで愛着がでてきたこの町、ボルゴクラブに選出されてますますその美しさを磨いてほしい。

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by jamartetrusco | 2007-05-26 23:50 | Paese (土地柄)
2007年 05月 19日

Inaugrazione alla italiana  イタリア式オープニング

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Galleria Alessandro Bagnaiは1987年シエナにて創立した現代アート・ギャラリーでその後フィレンツェの骨董店の並ぶVia Maggioにあったのだが、最近、中心からやや外れたガヴィナーナという地区へと移った。
フィレンツェの中では数少ない現代アートのギャラリーで、なんといってもこのギャラリーの特色はその空間の広さと美しさである。元々自動車の整備工場とか、そういう類いの空間を改装したのだろう、今では見事な自然光一杯のギャラリー・スペースとなっている。

企画展は年に2〜3回という少ない回数ではあるが定期的に行っている。扱い作家は国際的に有名な各国の作家とイタリアの現代作家の有名どころから若手作家。
昨日は取り扱い作家のパオロ・グラッシーノ、ピエールイジ・プーソレ、フランチェスコ・セーナの3人展。3人とも偶然か故意かわからないが、生まれも含めてトリノにて仕事をする作家ばかり。
展覧会の主軸となるコンセプトは「人」と「自然」、もしくは自然が打ち出す次元と人の作為や文化がそこにどのように対応するか、の関係を問うといったことらしい。

ここのところよく出会っている作家仲間のカルロとアンドレアと約束してオープニング会場で直接落ち合った。
まずはスペースの大きさに驚く。まるで美術館の中のスペースのようで、こんな空間はニューヨークのソーホーあたりでもなかなかない。
あまり映像を撮っては失礼だろうと遠慮がちにカルロの後ろ姿を前景に一枚。

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作品は2次元の作品を作るプーソレとセーナ対巨大彫刻のグラッシーノ。
グラッシーノの彫刻はバスルームの床にひいたりするゴム素材を紐状に切ってそれを鉄は木やポリステロールの彫刻型に被せフォルムを完成させる。鹿や鹿の頭など、リアルな動物表現がこの人工素材から作り上げられている。逆説的な自然像。

第2展示室にある巨大な黒い彫刻は何と中に逆さに置かれた車のまわりにチュープを何本もつけて、まるで枝が交錯する森林の残骸のような巨大オブジェを見せている。
心臓部にあるものと表象として見えるものとのアンビバランスが面白い。
そして第1展示室には心臓の形であろう黒い塊。アルミニウムを黒く彩色している。
存在感のある心臓である。

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実はこのオープニングのことを紹介したかったのは芸術批評をするためではない。
空間の他に驚いたのはパーティーに出される飲み物、食べ物の驚くべき量と質である。
6時頃から始まって8時も回ったのでそろそろ娘を迎えに帰ろうかな、と言い出したら、カルロもアンドレアも「これからが本番、プリモ(パスタの類)が出てくるからそれを食べてからにしたら」と居残るように勧める。このギャラリーのオープニングはなんとパスタなどの暖かいお皿も出すことで有名らしく、それを知ったる常連者がたくさん控えているのである。

上質のシャンパン、白ワイン、生ハムやタルトゥッフォ入りプチ・パニーノなどはほんの序の口で、グラスが空くと即ついでくれるボーイさんたちの大サービスのおかげでもうすっかり上機嫌になっていたら、8:30頃からいよいよ小皿に乗った冷製パスタやらパッパ・ディ・ポモドーロやらクスクス・サラダやらチキン・サラダやら、まあどんどんと出てくること、出てくること、、。そしてシャンパンも白ワインも、、次から次へ。そしてその味たるや下手気なレストランで食べるより美味しいのである。
あまり意地汚く食べても、と、やや恥ずかしい気持ちはあるものの、お盆に載せて「どうぞ」と目の前に出される小皿はなんとも食欲をそそる。Grazie, Prego、と連発しながら何皿食べてしまったことか。。
そして究極はデザート。これもチョコムースからクレーム・キャラメルからフルーツトルタからまあ4〜5種類のデザートを出すのである。

この辺で娘を連れてきてくれたアレの弟と合流。娘もこの美味なデザートのお相伴に預かり、それではこの辺でいよいよ失礼、と帰ってきたのだが、たぶんあの後、コーヒーが出て、もしかするとグラッパも、限られたお客さんには出て来たのでは。

世界色々なオープニングに顔を出したが、こんなに食事と飲み物と充実したパーティーに出くわしたのは初めてである。シャンパンいったい何杯飲んだかな、、、。
そして満腹、ご機嫌で楽しい作家仲間と飲み話しまくり。
ギャラリー・オープニングに来たのに、こんなに食べて飲んで良いのかな、数多くいるこのお客達の中に作品を買うコレクターなどいるのかな、などと余計な心配をしながらも、大変充実したひと時を過ごせた。企画展が少ないのもその辺に理由ありか。こんなパーティー毎月できないですよね、やはり。あまり圧倒されてお皿の画像はいっさいなし、ご勘弁のほどを。

嗚呼、太っ腹のギャラリー主に乾杯。
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by jamartetrusco | 2007-05-19 03:41 | Paese (土地柄)
2007年 03月 13日

モニュメントとしての美術館

パリを訪れる度にその美術館の質と量に驚くのである。そして何よりもフランス人の発想の大胆さとモニュメント作りの才能に感心する。

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ポンピドーセンターがオープンしてすでに30年が経つが、オープン当初のこの建物に対する賛否両論。建物の内部に隠れているべきチュープが全面にうちだされた醜い建物、という批判。
それが今ではパリにはなくてはならない文化芸術センターとなっている。今年開館30周年記念として展示を大幅に変え、ヨーロッパの近代美術の流れをそれぞれの美術運動にくくりながらコレクションを通じて見せており、近代美術の動向が一目でわかる展示となっていた。

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その後1986年に開館したオルセー美術館は元駅を改装して19世紀から印象派にかけての絵画、デザインを見せている。広大な駅構内を美術館にするという発想もその当時は大胆であった。

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そしてやはり80年代後半に完成したルーブル美術館の中庭の景観を大きく変えたガラス張りのピラミッド。これも賛否両論かもした建築だった。しかしこの建築はガラスの美しさを利用してルーブル宮に新たな美の要因を作ったと思う。ピラミッド階下の中央ホールから見たいコレクションのウィングに上がっていくことができる。ほとんどの人は「モナリザ」のある部屋を目指すようであるが。

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さらに昨年6月開館されたばかりのQuai Branlyケ・ブランリ美術館。もともとある民俗学博物館のコレクションを収蔵展示するためにエッフェル塔のすぐ横に新しく設計建築された美術館である。
あらたなパリの魅力として観光のスポットとして人気を呼ぶことは間違いない。

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展示は横長の建物のせいか、展示ケースごとの空間が狭くすこしでも人が多いと見にくいし、小さな展示室への出入り口が狭すぎてこれも難ありであるが、全体に現代性を重んじた空間は好感がもてる。民族学博物館が多々あるようなカビ臭い研究室のイメージは一層され、アフリカ、アジア、アメリカ、オセアニアの民族学的な収集品がオブジェとしての美しさを発揮すべく魅力的に展示されている。

古い建物を利用し、美術館に改装したり、また全く新たに建物を作りコレクションを展示する、このような文化遺産への国家の大胆な政策ー美術館を町の、ひいては世界のモニュメントとすべく反対を招くような斬新さを取り込む政策ーはフランスならではである。

にわかに地元になるが、フィレンツェのウフィツィ美術館は世界で特殊である。というのもフィレンツェ市の歴史と発展にそのまま直結した形で生まれたコレクションであり、建物であるからだ。というより、メディチ家の力の偉大がそのまま美術館になったようなものである。メディチ家の背後にある精神性や哲学も含めて。

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(ウフィツィ美術館の窓からヴェッキョ橋を眺めて)

先日お目にかかったナターリ館長がいみじくも指摘されていた通り、収蔵品の多くが美術館の外に見渡すことのできるフィレンツェの風景と関わりながら生まれて来たものであり、その意味で、フィレンツェと表裏一体、「内」と「外」が互いに共鳴し合う美術館である。世界広しと言えどもなかなか存在しないタイプの美術館かもしれない。というのも世界に誇る美術館のコレクションの多くはその国の最盛期に他の国に侵入し、略奪した結果であったり、多額を出して購入した結果であったりするからだ。
ウフィツィ美術館はフィレンツェ市民が誇ってしかるべき歴史背景に裏付けられている。

さて、ここのところ立て続きにアラブ首長国連邦の首都アブダビにて新美術館建設の構想の記事を読んだ。

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ひとつはスペイン、ビルバオのグッゲンハイム美術館の建築を手がけたアメリカの78歳になる建築家フランク・ゲーリーが今度はアブダビに新たにできるグッゲンハイム美術館の設計にも携わっているというニュース。ゲーリーの建築は一目でわかる特異な空間構成で有名であるが、今回の建物はアラブの町の持つ伝統的で有機的な広がりに似せ、自然光や空気などの存在が感じられる開放的な空間にしたい、従来の箱的、閉鎖的美術館とは趣きを異にしたいそうである。

もうひとつのニュースはアブダビになんとルーブルの別館を作る計画案。これにはフランスでもかなりの反対の声が上がっている。政治的、外交的メリットを考えてのことで芸術文化の意義をないがしろにする行為であり、美術品をお金で貸し出すのか、という尤もな批判である。
ルーブルのコレクションを期間限定で貸し出すという意向らしく、開館は2013年予定。
確かにルーブル美術館の名品がある期間貸し出されて見れないというのはパリ市民、フランス市民もしくは此の地を訪れる人々にとっては大問題である。
ウフィツィ美術館のレオナルド1点貸し出しの問題どころではなくなってくる。

いずれにせよ美術館の生まれるところにはお金あり、は常の時代も同様だろう。
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by jamartetrusco | 2007-03-13 00:11 | Paese (土地柄)
2007年 02月 09日

撫牛と撫猪

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京都の北野天満宮、この季節はの芳香で境内が満ちる。また月一度の骨董市は訪れるのに楽しい。個人的には東寺の骨董市より規模もちょうど良く見やすいので好きだ。

さて、この境内には臥牛の像がいくつもある。自分の体調の悪い部分を撫で、そして牛の同じ箇所を触ると治療できるという開運縁起のこの牛を「撫牛」と呼ぶ。

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石の種類の違いも牛の姿に変化を与えて面白い。臥した牛の像のあちこちを触っていく人々。我々もその例外にもれず今年の暮れに撫牛を触ってきた。特に頭をしっかり。そして恒例の大福梅も買って帰った。

天満宮は菅原道真を奉ることでも知られる。醍醐天皇反逆の罪で左遷され不遇なまま亡くなった雷神(天神)道真の怒りを沈めるために、火雷が祀神であった北野に建てられたのがこの天満宮である。天神と牛。水神である牛と雷神。雨(水)を降らす雷神、両者は切っても切れない深い関係である。

牛乗り天神の浮世絵
歌川芳虎 元治元年(1864)1月 大判2枚続
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撫牛信仰というのは江戸時代から盛んにあったそうで、東京では墨田公園にある牛嶋神社の撫牛が有名だ。本来は撫牛の小さな像を布団の上に置いて毎日撫でて吉事を願う風習だったそうである。

京都から飛んで遥かフィレンツェへ。
東は撫牛に対して西は撫猪。
今年は亥の年であるのでそれにちなんで。

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フィレンツェのLoggia del Mercato Nuovo, 別名Loggia del Porcellino (子豚のロッジャ)に鎮座するブロンズの猪像。この市場は今では観光客向けのみあげもの屋の巣となってしまったがその昔は絹や宝飾類などを売る市場であった。現在のレプブリカ広場がMercato Vecchioー「旧市場」と呼ばれていたので、それと区別するためにMercato Nuovoー「新市場」と名付けられていた。
その端にこのFontana del Porcellino (子豚の噴水)がある。呼び名は子豚と言うものの実際は猪である。
オリジナルは17世紀初期の彫刻家ピエトロ・タッカの作でピッティ美術館に保管されており、ここにあるのはレプリカである。オリジナルもしかしウフィツィ美術館蔵のヘレニズム期の大理石の銅像を模写したものだ。
この猪もやはり同じく縁起担ぎの意味を持ち、この猪を撫でると幸運を呼ぶと言われている。
故に、長年にわたり撫でられて鼻の上がつやつやである。この縁起担ぎを全うするためには鼻を撫でた後に猪の口の中に金貨を入れその行方を追わなければならない。この金貨が水が流れ落ちる排水穴の向こう側に落ちた時に初めて幸運がもたらされる、とのことである。
いかにも商人の栄えた町フィレンツェならではの話しである。
そういえば京都の祇園にある十日恵比寿神社もお金を恵比寿さまに向けて高々と投げる。

時代を変え国を変え、人間の考えること、信じること、皆似たるものなり。
やはり近しい動物神、自然神、先祖神、などへの信仰が人間にとっては真実であり、また健康的なのである、とつくづく思った。
そのような太古の信仰心が組織された宗教に変貌するとき戦争が起こりそして悲劇が始まるのでは、と思う。
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by jamartetrusco | 2007-02-09 22:29 | Paese (土地柄)
2007年 02月 05日

イタリア副首相兼文化大臣ルテッリに一言

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イタリアの左翼系新聞Repubblicaの金曜発売の付属雑誌Venerdi di Repubblicaに掲載されていた記事を読んでどうしても一言進言したい。
少し前からこの副首相は文化大臣の立場から国外に不法に売却された美術品について論議をかもしていた。話題の中心はロサンジェルスにある富豪ポール・ゲッティの収集品からなるゲッティ美術館所蔵品である46点のイタリアの美術品が不法に持ち出され売られた作品で、これらはイタリアに返却すべきである、との主張である。そしてこの雑誌の記事ではアメリカのゲッティ美術館の他、日本のMiho Museum、デンマークのビール会社のカールズバーグの持つコレクション美術館Ny Carlsberg Glyptotekにあるイタリアの美術品がいずれも不法出国売却されたもので、それに関しての追求を求めていることが書かれていた。

これらの美術品を不法に手に入れ売却していたのはイタリアの古美術商、ジャンフランコ・ベッキンーナ氏とジャコモ・メディチ氏の両名。日本の美術商が仲介となってMiho美術館に売ったらしい。記事の論調は作品の出所が疑わしいにも関わらず買ったこのMiho美術館を糺弾している。まるで悪者は美術館であるかのように。
しかしである、いかにこの作品が不法売却されたとは言え売ったのはイタリア人、そしてただで盗んできたわけではなかろう。


Miho Museumにいかれた方はおられるだろうか? 滋賀県の山中を上がっていったところに忽然と現れる美しい美術館である。もともとの財源が宗教団体であるということからやや違和感は感じるものの美術館の建築、運営そして展示企画などはなかなかである。一度訪問した際には常設品としてイタリアの古い美術品などがあるので、いったいどこから来たのやら、と多少疑問に思ったのは事実である。 しかし日本の美術館の多くがそうであるように、良い意味での一点豪華主義的な展示の効果により、観るものはじっくりと作品の価値を堪能することができる展示がされていた。作品が大事にされている、というのは一目瞭然である。

ここで、このルテッリ文化大臣(そしてこの記事を書いた記者に)に進言したい。
いったいイタリア内の美術館の膨大なコレクションがどれだけしっかりと管理され展示されているのか? どれほどの数の美術品が修復を待ちながら美術館の倉庫の埃の中に無造作に置き去りにされているか?
そしてどれだけの美術館の展示室の半分が閉鎖されコレクションの半分も観れない状態であるのか? 
さらにその展示たるやひどいもので、作品解説もままならず、教育的な意義をなさない展示である美術館がほとんどである。他の国の美術館を少しでも見て学ぼうとしないのか?

自国の余りある文化遺産の管理も十分にできていない状況の中、とるに足らないほんのわずかの不法に出国して売られた(それもしつこいようだが盗んだわけでなく買った!!のである)作品について問題にする時間やエネルギーが必要とは思えない。もちろん不法な形での美術品取引自体は許されるべき行為でなく、糺弾されるべきであるが、しかしゲッティ美術館にしろ、Miho美術館にしろ、それらの作品を大事に保管し展示し、アメリカや日本の興味ある人々に見せているのである。これらの作品が仮にイタリアに返却されたとして、どこに置くつもりなのか? 結局はまたどこかの美術館の倉庫の埃にまみれるだけであろう。

そして他の世界なだたる一流美術館の多くは過去の歴史上の略奪の結果今でこそ誇れる美術館のコレクションが築かれているのである。すべての国が自国の美術品を自国に返せと言い出したらどんなことになるか? 美術品はある歴史の中で場所を変え状況を変えながらも大事に保存され、そして観る人の目に触れる機会があることがなによりも重要であると思う。たとえ入手の仕方がどうであったにせよ。
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by jamartetrusco | 2007-02-05 19:29 | Paese (土地柄)