トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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カテゴリ:Arte (芸術)( 127 )


2006年 05月 13日

Ombra della sera ー エトルリアの夕影

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わたしの大好きなOmbra della Sera, エトルリア文明の残照である。エトルリアの中心都市として知られるトスカーナのVolterra, ヴォルテッラの考古学博物館にある、高さ57cmもある銅像が有名である。エトルリア由来の地に行けば観光のみあげとしてこの像のレプリカが様々な大きさで売られている。

わたしも最初にイタリアに渡った時、やはりエトルリアの都市の一つであるペルージャに夏2ヶ月ほど滞在していたが、その考古学博物館にもこの像がいくつか所蔵されていた。そのときこの像に惚れ込んでしまった。そして小さなレプリカを買った。ジャコメッティの細長い彫刻もこの前では薄らいでしまうかのような見事に超越的な立ち姿。
細長い姿故に、楚々とした、やや悲しげな表情を全身にたたえるエトルリアの影像。

Ombra della Sera, 夕影、という詩的な命名をしたのは世紀末デカダンスを代表するイタリアの詩人ガブリエレ・ダヌンツィオ(1863〜1938)である。詩人ならではの素晴らしい感性ではないか。

もともとエトルリアの神の像と考えられていたが、後世になって生け贄のような願掛けの像ではないか、とも。最近では庶民を守る土着神の像ではないかとの説もある。

影は自分では捕まられないもの、エドガー・アラン・ポーの作品にも「影を殺した男」という怖い話があった。影は人間にとって、闇と光の間の永遠の神秘。
画家も古くから明暗ーchiaroscuroーを表すことに情熱をついやしてきた。
ドラマティックな明暗で構図を作り上げるカラヴァッジョ、ろうそくの灯火の中の人物のみを描いたジョルジュ・ド・ラトゥール、影に魅了された芸術家は数えきれない。

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「夕影」という名称が後世にこの詩人によってつけられたにせよ、エトルリアの人々が見た神の姿、夕暮れ時に人の影が長くなる時、それが何かの神的な所行と思われていたのではないか、とわたしには思えて仕方がない。静かに人々を見守るお守りのようなイコンではなかったか、と。 エトルリアの未知なる世界は広大だ。







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by jamartetrusco | 2006-05-13 18:06 | Arte (芸術)
2006年 05月 11日

奇異な画家ポントルモの日記

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 今日はフィレンツェ、マニエリズムの画家ポントルモ(1494〜1557)について。静寂な感じの初期ルネンサンスの画家(マサッチョやピエロ・デラ・フランチェスコなどその代表)が好きだった私にとってマニエリスム派の絵画はなんだか不思議な色調と、延びたゴムのような身体と、不自然な構図と、という感じで以前はさほど美的に好きではなかったのです。それに対してアレはなんと言ってもマニエリズム派でした。なぜかというと描いている主題の裏に隠されたものがずっと複雑で、感情的で、もっと異教的であると。いかにもアレらしい。今では私も人間の不可思議な生き様をそのまま見せてくれるかのようなマニエリズムの画家達にとても興味を持っています。


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マニエリズムというのは1530年から1590年までの盛期ルネサンスとバロックの狭間に現れた美術史上の一傾向で、名称自体、すでにバザーリが1568年に出した「美術家列伝」の中で、"manniera"、「様式」という言葉を同胞の画家達について言及する際に使っています。簡単に一範疇に入れにくい様式です。古典的ルネサンス様式を享受し、豊かで安定した社会を謳歌した時代が、ローマの攻略、Sacco di Roma (1527年)によって根底から崩され、不穏な世の中の状況から、画家たちも、より神秘的な、内的な表現を求めて行ったーそんな感性が露となった表現です。芸術はどの時代でもどの国でも、安定した社会から起こる静寂とした古典的様相のものから、社会の不安をそのまま反映したような劇的で、感情の表出をあからさまにしたようなものがあるようです。

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さてそのような時代を代表する画家ポントルモ。バザーリの本にも彼が人嫌いで、鬱病的な、気むずかしい人物であったかが記されています。制作中はまったく人を寄せ付けなかったことも知られています。また屋根裏に住んでいて、自分の登った梯子を誰も登れないようにはずしてしまうらしい。
もうひとつ、とても興味深いことはポントルモが生涯最後の2年に日記をつけていたことです。
それもかなり不思議なのは、孤独の中で今は残念ながら残っていないフレスコ画を制作している間、毎日何を食べたか、腹の具合がどうか、天気はどうか、そんなことのみを日記に記していることです。
さらに「20日、木曜日、叫ぶ人物の頭をしあげた、夜は子牛を食べた、、、。」といった具合に制作と食事が同じレベルにて語られているのです。その当時、あまり羽振りの良くない画家が何を食べていたのか知る上ではなかなか面白い。卵や子羊のスープ、サラダ、ローズマリー入りパン(pan del ramerinoというが今でもフィレンツェにはあるので、このことでしょう)はよく食べている、そして時々絶食、イースターのときはたまにキャビアも、そして同胞のブロンツィーノとともにするときは少し豪華に豚やレバーが出てきます。ポントルモに対してブロンツィーノはメディチ家の宮廷画家として地位や生活レベルも高かったに違いありません。その辺の軋轢もあったでしょう。
画家というのはやはり何かに「固執」する性格が必要で、彼の場合はとにかく心の状態、制作と食、お腹の状態が切っても切れない関係だったのかもしれません。そして頭が完璧に常識の外を越えるとき、食べることしか、考えにないのかもしれません。生きる、イコール食べる、の図式に戻るのか。

アレに毎日日記を書かしたら何を書くのかな、、なんとなく興味あるところです。たぶんポントルモではなくダリのような日記に近くなるのかも、、、。



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追想:
日記というのはどの時代、どの国も後世になって読むと面白いもの。日本でも清少納言の
「枕の草子」、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)の「更級日記」、吉田兼行の「徒然草」など文学として、そして感性の素晴らしさを示すものとしてまさに傑作です。ブログというのもそういう意味で、日記としての価値、案外大事な今の社会現象かもしれません。

画像の説明
1。 ポントルモの肖像画
2。フィレンツェのサンタ・フェリチタ教会の祭壇画「キリストの降架図」、前回訪れたときにはしまっていましたが、ポントルモファンであれば必見です。
3。フィレンツェからすぐのガルッツォのチェルトーザ僧院内のフレスコ画、かなり痛んでいるようですが、なぜかポントルモの故意とも思われるような未完成な趣。フィレンツェにて黒死病が流行った際にポントルモはこのチェルトーザの僧院に隠れて制作したものです。ここは一見の価値ありの僧院です。入場無料で素晴らしい僧院建築と内庭、そしてポントルモが見られます。
4。最後の作品はアレによる「ポントルモ礼賛」です。


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by jamartetrusco | 2006-05-11 19:07 | Arte (芸術)
2006年 05月 02日

Fibonacciの数列、あるいは黄金比率

最近世界中でベストセラーになったダン・ブラウン著の「ダビンチ・コード」。この本でも触れられているフィボナッチ数列。この著に書かれている多くの神秘は彼が発明したのではなく、すでに以前から語られていたものの、水面下に潜んで知る人ぞ知るの必儀のようなものでした。ですからこの本を読んだとき、アレはどこか、秘めていた大事なものが周知にさらされてしまったような、なんだかがっかりする気分になったようです。 そういってはなんだけれど、なんでもあっけらかんと単純に物事を捉えるアメリカの良くも悪くもオープンな発想。そういう発想のもとで隠れていたパンドラの箱があけられてしまった、それがどうも気に入らなかったみたいです。本の面白さは横に置いておいても、そのように感じるヨーロッパの読者は案外いたのかもしれません。
このフィボナッチの数列というのは本当にこの世の自然の法則の下になるような不思議なもので、簡単に言えば、1、1、2、3、5、8、13、21、、、、という風に隣り合う数字を足していく方法です。そしてこの隣合わせの2数の比率が黄金律、1,618033、、、。一番均整のとれた美に発見できる比率です。古くはギリシャ、ローマ、そしてルネッサンス時期の建築や彫刻などほとんどこの比率にて計算され、設計されています。


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イタリア語ではこの比率をsezione aureaと呼びます。こうして考えてみると、自然の法則(たとえば花びらの花弁の数がフィボナッチ数である)とか、美の法則がこのような数字の比率で成り立っているという不思議な事実が見えてきて、芸術の未知なる奥義を垣間みる気がします。そしてもうひとつ興味深いことに、このフィボナッチも、天文学者であり哲学者でもあり、ローマ教会から異端者扱いをされたガリレオ・ガリレオもなんとトスカ−ナ生まれ。 トスカーナってやはり神秘の地。

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それはさておき、アレは去年京都での展覧会をひかえてもんもんと仕事をする日々を送る中、ある日突然、ひらめいた!とわめいたのです。展覧会の主旨、構成の仕方、このフィボナッチの数列で解けた!と歓喜しているのです。わたしはよく詳しいことがわからずでしたが、かれのスタジオの机の上に黄金比の長方形が描かれていて、何かを解決し、先が見えたことだけはわかりました。作家というのは実に面白く、まだまだ何か私の知らないことが隠れているのだろうな。



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by jamartetrusco | 2006-05-02 17:44 | Arte (芸術)
2006年 04月 27日

スペインの画家、Miquel Barceló

先日好きな画家のひとり、ドメニコ・ニョーリについて触れたが、今回はもうひとり、ミゲル・バルセロMiquel Barceloを紹介したい。初めて彼の作品をまとめた形で見たのは1994年ロンドンのホワイト・チャペル・ギャラリーでの回顧展である。

f0097102_1713266.jpg1984年から1994年までの制作を展観するものだった。1957年生まれの作家であるから若くして世に認められたことになる。80年前半、ナポリのLucio Amelioギャラリーにての個展、その後すぐニューヨークのLeo Castelliに画廊作家として選ばれたいきさつをみてもわかる。かれの作風はニョーリとは対照的。ニョーリが「静」であるなら、バルセロはまさしく「動」の表現である。ひとつ共通するのはバルセロがスペイン、マヨルカ島生まれであり、70年代までその地で制作発表し、島とはその後も切っても切れない縁、一方ニョーリも晩年マヨルカ島に移り住んで制作していたことである。余談になるが、マヨルカ島はアートのエネルギーを培うところのようだ。私たちふたりも何回か行ったことがあるが、島自体の魅力もさることながら、首都パルマ・デ・マヨルカには世界優数の現代美術の画廊がある。
ニョーリの静鎰とした時間の静止したような空間構成に対して、バルセロの表現は怒濤のごとくすべてを渦にまきこむようなエネルギーがある。様々な要素を突っ込んだごった煮のスープのようなものから純粋な美が抽出される。アンビバランスな美。ティントレットの光と動き、レンブラントの色彩の深淵、タピエスの抽象、80年代、90年代初期の彼の表現はそんな要素がまざりあったかのようである。焼き物作品も多く制作している。また最近ではパルマの大聖堂のための制作も手がけているらしい。


追記
アレの表現をみているとニョーリとバルセロの両者に惹かれる理由がわかるのです。ニョーリの作品の持つ神秘性、目に見えるものの背後の何かの表現。それはアレが常に目指すものです。それと同時にバルセロの醜と美、天使と悪魔の狭間のような表現、これもアレがときどき奔放になり、内蔵に訴えるときに出てくる表現です。やはり芸術は2元性をもつものなのでしょう。

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by jamartetrusco | 2006-04-27 17:20 | Arte (芸術)
2006年 04月 24日

サルバドール・ダリの評価表

シュールリアリスト画家で、エキセントリックな生涯で有名なダリの芸術家の評価表。
興味深いのでここに紹介します。
20点が最高得点のようで、自分も含めての評価。
技術ーインスピレーションー色彩ー主題ー天才度ーコンポジションー独創性ー神秘度ー信憑性の9項目からみた評価です。中で有名な画家を例にとれば、レオナルド・ダビンチは17ー18ー15ー19ー20ー18ー19ー20ー20、ベラスケスは 20ー19ー20ー19ー20ー20ー20ー15ー20、ダリ自身はというと12ー17ー10ー17ー19ー18−17ー19ー19、ライバルのピカソは9ー19ー9ー18ー20ー16ー7ー2ー7、時代は下がってラファエロは19ー19ー18ー20ー20−20ー20ー20ー20、印象派の先駆と言われるマネは3−1−6ー4ー0ー4ー5ー0ー14、一時忘れられ近年再評価されたフェルメールは20ー20ー20ー20ー20ー20ー19−20ー20、そしてモンドリアンはさんざんな点数 0ー0−0ー0ー0ー0ー ½ー0ー3、5。

これを見るとわかるようにダリにとって最も評価の高い画家はルネンサンス後期を代表する画家ラファエロと17世紀オランダの室内画家フェルメール。続いてレオナルド・ダビンチと17世紀スペインの宮廷画家、ベラスケス。同国民であるピカソは天才度は認めているもののさほどの評価ではありません。幾何学的な抽象画で有名なオランダのモンドリアンに至ってはひどいものです。モンドリアンの表現をダリが嫌うのは何となく理解できますが、ラファエロとフェルメールと全くタイプの違う画家両方に高得点を与えているのは面白い。彼の芸術の見えない部分が発覚する感じです。

ちなみに何故急にダリの話になったかというと、ダリはアレの一時期惹かれた作家。今でも「ダリの日記」など好きな本でその生き方などに共鳴しています。「初めににガラありき、次にダリ、さらにガラとダリ」と妻であり、ミューズであったガラを一生愛し続けたダリ。ダリと同じように愛妻と芸術生活をともに生きた作家としてバルテュスと節子夫人の例も有名です。
私たちふたりも互いに人生のインピレショーンとなり合うように生きていこう。もちろん3人目のMinaも含めて。 初めにJAMありき。

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by jamartetrusco | 2006-04-24 00:02 | Arte (芸術)
2006年 04月 23日

画家  Domenico Gnoli

アレと私にとってとりわけ惹かれる芸術家のひとり、Domenico Gnoli ードメニコ・ニョーリ。1933年ローマ生まれで、1970年おしくも47歳にて世を去る。父親は歴史学者、母親は陶芸家という環境から芸術の道へ進むのは当然だったらしい。かれ曰く「私は生まれてからアーティストになる以外考えられなかった。父が認めた唯一の仕事だったから。」 芸儒家の道を良しとしない親が多い常識から考えても、ニョーリの育った希有な環境がわかる。
初めの内は本のイラストやグラフィックデザイン、舞台芸術や舞台衣装のデザインなどを中心とした仕事に携わるが、1964年以降、カンバスにアクリル彩の独特な絵を描き始める。ほとんど自身で学び確立した手法である。
日常のどこにでもある事物ーベッド、ボタン、ネクタイ、人の体、シャツなどなどーの一部に焦点を当ててそれを拡大鏡を通して見るようにカンバスいっぱいに描く。

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ひとつの日常が全く異なる非日常と化すのである。なんでもないものが突然神聖な、時を越えた「何か」に取って代わる。色彩はイタリアのフレスコ画のそれに似て淡く深い。日常の事物をこれだけシュール(超現実的)に描ける作家はなかなかいないと思う。


日常と非日常、空間と超空間、事物と抽象、作家が見いだそうとする永遠なる課題。
アレの目指す世界にひたすら近い作家である。アレの描いたドメニコ・ニョーリの肖像画が
自画像に近いのも偶然ではないかもしれない。

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by jamartetrusco | 2006-04-23 00:12 | Arte (芸術)
2006年 03月 31日

フィレンツェの職人芸、その1) モザイク工房

今日はフィレンツェの友人を訪ねました。彼女は在フィレンツェ20年というイタリア生活大ベテランですが、日本の良さをすべて残された素敵な女性です。ご主人はピッティ美術館の前にお店と工房をもたれ、フィレンツェのメディチ家以来続く工芸技術であるArte delle Pietre Dure (文字通りには堅石を使った工芸という意味)を営んでおられるPitti Mosaiciの親方です。

岩石の数々
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大理石や化石、岩石、準宝石などを使用して、それをデザインに合わせて薄く切りそろえて行き、すべて手仕事にてモザイクにはめ込んでいくという、技術と手間ひまのかかる仕事です。伝統的にはテープルのトップなどの豪華な家具の一部に使用された装飾技術です。

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フィレンツェにはこのようなモザイクの工房の他にも様々な職人芸が残っています。
代表的なものでは、皮革細工、紙、額縁職人、またトスカーナの家具職人やその修復師など。 もちろん絵画の工房も多々あります。次の機会にはまた違った職人芸を紹介したいと思います。


近くの美しい黒フレスコ画のあるビアンカ・カッペッロのパラッツォ、フィレンツェの中で、私の好きなPalazzoの一つです。

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余談ですが、ビアンカ・カッペッロは16世紀メディチ家の異色な存在であるフランチェスコ1世の愛人で、フレンチェスコの弟フェルディナンド1世に共々毒殺されたという説があります。フランチェスコ1世は哲学、錬金術、文学などを愛し、仕掛けを施した庭園作りなどに情熱をもやしました。フィレンツェ北東にある大規模なプラトリーノ庭園(現在はヴィラ・デミドフと呼ばれる)はその代表です。


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by jamartetrusco | 2006-03-31 01:10 | Arte (芸術)