トスカーナ 「進行中」 In Corso d'Opera

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カテゴリ:Arte (芸術)( 127 )


2009年 08月 14日

屋外彫刻

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屋外に置かれた彫刻作品というのは大体の場合、彫刻公園、彫刻の森と行った公開入場スペースに
行って観賞する場合が多く、パブリックスペース(公共空間)に忽然と置かれて周りの環境や自然と共鳴している彫刻と出会うことはなかなか難しい。その意味では高層ビルの森林であるニューヨークやシカゴの近代建築の町並みに置かれた彫刻は現代という美意識の切り口に調和した美しい空間を作りだす稀な例である。シカゴで見たアニッシュ・カプールの彫刻などは周りの景色や人々をそのメタルの表面に映し出し作家の意図がなんであれ、公衆の関心を集めることにおいて成功していた。思えば頻繁に訪れるロンドンの町中でそういった彫刻作品に出会った覚えはない。
イタリアの町にも様々な彫刻が広場や川沿いに置かれているが、たいていの場合歴史上の人物で古くからそこに置かれているかもしくは現存の地元の作家の作品で、大体の場合、人の形をしたオブジェである。そしてたいていの場合ない方が良いと思わせるものが多い。
抽象彫刻に出会うことはすくなくともフィレンツェの場合は稀であり、またその効果の善し悪しも
議論の余地を多く残す。

そんな中で自然の中に置かれ、周りの自然を侵さず、そればかりか周囲の自然に力を与えるかのような力強い彫刻作品に出会った。ヴォルテッラへ導く街道の途中、見晴らしの良い高台のカーブに忽然と目に入ってくるマウロ・スタッチョーリの円形の物体である。今年の9月13日から生地であるヴォルテッラの美術館にて回顧展が開かれることもあって今年5月から来年の5月までの1年間、ヴォルテッラ付近の街道に彼の作品が点々と置かれることとなったらしい。これは後で調べてわかったのだが。
この円形のシンプルこの上ない物体はその巨大な内円の中に遠景を取り込んで佇む。
遥か彼方の一点はいったいどこを示すのか?もしかするとそこにも彼の作品が置かれているのかもしれない。この円形は周囲の美しい自然を単なるドライブの背景ではなく一瞬にして切り取られたひとつの宇宙として永遠化するかのようである。
この円形は実はヴォルテッラに入る前(どこから来るかに寄るが我々の町から来ると前になる)に
赤いシンボルとして現れ、そしてヴォルテッラを下った街道のほぼ壊れかけた教会か何かの建物の遺跡の付近に再度現れる。今度はソリッドな円形の塊として。まるで陰と陽のように。

残照として残るこの円形の源はこの土地を知るものには明白である。
ヴォルテッラの大地の多くが麦畑や干し草畑であり、干し草を刈った後に丸めて保存するその
円筒形のイメージである。
夏の枯れた土地にこの形が点々とまるでデザインされたかのように置かれたその風景は私の中の
イタリアの美の一つである。
その美しさのエッセンスをこのヴォルテッラの彫刻家は心底理解しているに違いない。
自身の生まれ育った自然と彫刻の形の調和がいかなるものかを知っているに違いない。
そして愛する土地に力を与えるようなエクストラとしての作品を作りたかったに違いない。
屋外彫刻の意味とはそこにあると思う。

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by jamartetrusco | 2009-08-14 23:33 | Arte (芸術)
2009年 08月 03日

美の無限

ヴェネチアにて現代アートの殿堂とも言えるビエンナーレより見たかった展覧会"In-Finitum"。
Infinitumとはラテン語にて無限の意味を指す。なぜIn-Finitumとハイフンをつけたか。
展覧会の紹介サイトの主旨にもあるように、Finitumである完成、完璧なるものの中にあるIn-Finitum無限なるものという概念を打ち出したかったからである。
Infinitumとは無限であるとともに未完という意味も内包する。芸術家がいかなる理由か未完のまま筆を置くその瞬間。未完にある無限、無限であるからこそ未完という芸術の表裏一体の存在理由を語るかのようである。
目にすることができない芸術のエッセンス。人間の歴史が育んで来た精神世界の三角の三点である
宗教、芸術、科学のうち、その発生の源と美の真義などが複雑に絡み合い、そして無限大に広がる領域を持つものであるのが芸術と思う。宗教も科学も人間の存在の理由を見いだそうとする営みとして人間史とともに発展した。宗教は神による、科学は物理による解答を出そうとする。しかし生と死という概念、自然と宇宙と人間という計り知れない世界をすべて含み広がるのは芸術であろう。一筆で描いた白黒の円形も色彩豊かな風景画も、または一色の抽象画面もひとつの芸術の領域に共通する美学、いや精神世界があるのである。この展覧会の監修者のひとりであり、というより作品の選択はほとんど彼によると思われる古美術商でありデザイナーであるベルギー人のAxel Vervoort氏の美学は実は日本の表現世界にある道に通ずるようである。「空」や「間」という概念にある美の無限はこの展覧会の展示作品のすべてをつなぐ縦糸である。

一階から4階までに渡り繰り広げられる美の神殿はその厳かな最低限の照明のおかげもあり、まるで暗闇に光をともす芸術の無限をそのまま表すかのようである。
2階は特に展覧会の会場であるフォルトゥニー美術館の前の住人である芸術家のフォルトゥニー自身のアトリエをそのまま残した空間であるので美の響宴はさらに厚みを増す。
屋敷も展示作品に劣らず素晴らしい。
この神殿の中で過ごす数時間はなぜか日常から離れた超現実の不思議な時間経過があるようである。太古の記憶を呼び起こさせるような感覚である。
最上階は天井裏であるのか、こつぜんと光と風が通り抜けるような爽やかな開放的な空間である。
そしてその解放された空間の中に置かれたのは「侘び」の間。アクセル氏の協力者である日本の
建築家Tatsuro Miki氏のデザインであると思われる。この茶の湯の庵を思わせる仕切られた空間には
間、空、美の小宇宙が展開する。

古いもの、新しいもの、東洋の美、西洋の美、抽象や具象ー常識による一見した「違い」がIn-finitumという縦緯糸により広大で深淵なひとつの美の綾となるとき。

未完と完結の狭間に危うく存在する無限なる美。


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by jamartetrusco | 2009-08-03 23:37 | Arte (芸術)
2009年 06月 01日

2009年のCOLLECT

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ロンドンにてすでに6回目を迎える現代工芸フェアCOLLECT。今年は従来のV&A美術館内の会場から新たにSaatchi Galleryの新建物内の会場へと移った。V&A美術館というビクトリア朝を代表する建物内の狭苦しいという批評があった空間から白壁と高天井のWhite cube的展示室での初展示。展示者達の評判はおおむね肯定的。確かにゆったりと作品は見れるし、スタンドのスペースも以前より大きく、観客数が多くてもゆとりがある。

Saatchi Galleryは90年代のデミアン・ハーストに代表されるYoung British Artistの名声を世に広めた貢献者である大コレクターのチャールズ・サーチのコレクションを中心に見せる展示ギャラリーである。それ以外にアートに関係するイベントにも会場を貸すらしい。このギャラリーの通常の展覧会の入場が無料なのは現代アートとデザインのマーケティングに力を入れる大手オークション会社のPhillips de Puryがスポンサーとなっているおかげと聞いた。広告王のサーチとフィリップス、企業と結託した完璧に商業ベースのギャラリーである。売ることが目的のフェアが公の美術館内で行われる事自体が異例のことであったので当然の移行であろう。
Crafts CouncilとV&Aとの契約更新が不可能となった今年のCOLLECTの会場が去年の10月に開館したばかりの新サーチ・ギャラリーに決まったと聞き、さてこの空間にてCOLLECTはどのように変化したのか好奇心を持って訪れた。

参加ギャラリーは以前よりやや少ないが質的にはあまりぶれのない全体にすっきりした展示である。いつもながらジュエリー専門のギャラリーが多いのがやや不満であるが。ただ大きな空間を持て余している感の展示室もあり、参加ギャラリーの数をもうすこし増やしたいというのはクラフツ・カウンシルの望みでもあるに違いない。
イギリス国内のギャラリーを中心に北方ヨーロッパのギャラリーが多いのだが、その中で初めて作品に触れることもあり注目した作家が2名。

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一人はデンマークのガラス作家Steffen Dam。(Joanna Bird Pottery
そしてオランダの磁器の作家Pauline WiertzTerra Delft Gallery)。
もともと道具師であったというDamはガラスを制作する中で気泡が入った失敗に目をつけ
気泡の変わりに海や陸の生き物を内包するまるで博物館の標本のようなガラス作品を作る。
表現がやや利口すぎる危険はあるものの繊細な生き物のようなガラス表現には目をみはる。
一方Wiertzの磁器のオブジェは17世紀オランダの静物画の伝統のエキスを磁器のオブジェを通して具現化したような作品。中国磁器からの影響も感じる。悪趣味に移る一歩手前で留まっている。

いずれの作家の作品も収集家の心をくすぐる珍なる宝石に似て実に奇異で美しい。

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by jamartetrusco | 2009-06-01 19:22 | Arte (芸術)
2009年 05月 28日

Libro Nero の続き

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アンドレア・マリーニのLibro Nero。
金工の作品。金屑を貼付けた小屏風。煌めく龍か銀河か。
メタルで出来た本のタイトルは"Libro Libero"、言葉の
リズムが美しい。Free bookー放たれた本。
開くとアルファベットの文字が踊り出す。

エレナのLibro in piediー「立つ本」。
糸と写真とコラージュの綾。
葉っぱが美しい姿をそのままとどめてフリーズされたような自然の
生み出す物語本。

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by jamartetrusco | 2009-05-28 16:43 | Arte (芸術)
2009年 05月 22日

Borse Nere Come Rondini

Borse Nere Come Rondiniと題された一日のイベント。
5月23日にフィレンツェ近郊のスカンデッチの新しく開館した図書館にて行われる。
以前展覧会をともにしたエレナの企画による詩情溢れるハプニング。
彼女が制作したBorse Nereは一番最後のいく枚かのページが空いている。
この黒表紙の本を譲り受けたのはいつだっただろうか。アレにも是非協力してほしい、と。

空いたページを友人のさまざまな分野の制作者がそれぞれの表現にて埋めて行く。
エレナか与えてくれるインピレーションをもとに新たな表現が生まれて行く。
協力した作家達を一同に集めて行われるのがこの土曜日のイベントである。
「つばめのような黒い袋」という題が意味するのはつばめの自由な飛翔のように
この黒い袋の中にもそれぞれの作家の表現の限りない地平線が広がっている。
それを発見する喜び。
ハプニングはその日だけであるが、エレナ自身の作品展もこの日から6月5日まで
開催される。

アレのBorse Nereの中身は?

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by jamartetrusco | 2009-05-22 16:56 | Arte (芸術)
2009年 04月 27日

三部作の集結ー今年のベネチアにて

今年は恒例のベネチア・ビエンナーレの開催の年である。
そしてなによりも訪問を楽しみにしているのはPalazzo Fortunyにて開催される"In-Finitum"展。
2007年、やはりビエンナーレ開催の年に同会場にて開催された"Artempo"展,
パリの国立美術学校の建物内の礼拝堂にて開催された"Academia: Qui es-tu?"展に続く3部作の最後の展覧会。
企画はベルギーの古美術商であり、世界的に有名なデザイナーであるAxel Vervoordtを中心にして成り立つ
美術学者達である。
Artempo展を見なかったことがいかにも残念であるが、実は去年ローマに滞在したおりに偶然にもこの展覧会カタログを見て「一体何の展覧会?」と思ったそのものである。"Artempo"は美術の本質はひとつで、時代を越えてひとつの筋によってつながれた美の法則がある、というようなコンセプトのもとに作品を集めた展覧会で、古美術と現代美術、東洋と西洋の別なしにAxel氏の美学にそって集めた作品群。そのカタログは美を集結した超現実的なエネルギーの溢れたものであった。
6月5日より始まるこの3部作の最後を飾る展覧会"In-Finitum"。「無限」とでも呼べようか。
いったいどんな美術作品が集結しているのか、今から楽しみである。

美を真に理解することはまぎれもなく"infinite"ー無限ーを感じることであり、この無限なる美の
時空を越えた力と可能性を本能的に理解することでもある。
それを理解しなくて作家というものは存在しないし、美の理解者も存在しないのである。
美の原点である。


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by jamartetrusco | 2009-04-27 21:09 | Arte (芸術)
2009年 04月 22日

国芳=アヴァンギャルド

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歌川国芳の展覧会がロンドンのロイヤル・アカデミーにて開催中であるが、この展覧会予想以上の集客で大成功を収めているのである。同会場にて北斎、広重と浮世絵師の展覧会を過去に行っているが今、国芳を見せることの意義とそのタイミングは抜群である。
近年の日本の文化に対するヨーロッパの若者達の関心は以前のソニー、トヨタ、カメラなどの産業製品が日本国をあたかも象徴してきたものとかなり異なってきている。幸いなことに。
私の知るのは特にロンドンの若者事情であるが、東京スタイルへの憧れ、漫画、日本の若者文化の
諸現象を興味深く見守るティーンエイジャーが増えている。日本は是非行ってみたい国の上位である。BBCの番組でも人気プレゼンターのジョナサン・ロスがJapanoramaという
ドキュメンタリー番組を制作し現代日本のポップ・カルチャーを紹介して人気を博したのも記憶に
新しい。
かつては東洋文化、伝統文化、禅を始めとする仏教などかなり絞り込まれたいわゆるハイカルチャーと呼べるテーマに興味を持つ人のみが日本を訪れたものである。今では「漫画」を始めたとした大衆文化の面白みへの興味がかなりの割合を示しているのでは。日本の独自性と奇抜性は実はこのような大衆文化を紹介することによって真に理解を促すようにも思う。いつまでたってもお茶とお花と、というのではあまりにも片手落ちである。

この日本の現代の文化を象徴するかのような「漫画」、「劇画」の原点がまぎれもなく国芳の版画である、とこの展覧会を見て確信した。
18世紀の終わりから19世紀の半ば過ぎまで行きたこの版画師の想像力とイメージの構築力の凄さはなんだろう。
武者繪や役者絵の迫力はもちろんのこと、蛸や人間の性器を使ってのブラックユーモア溢れるグラフィックの斬新さ。

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人間の体を使って肖像を形作るその発想はイタリアのアルチンボルドと比較できる。国芳はもちろんアルチンボルドの作品など見る術もなかっただろうから、東と西の時代は異なる作家の想像力と風刺性の共通項は面白い。
主人公の人物よりも巨大な骸骨やクジラが画面の全面を占める構図はまぎれもなく国芳のエキセントリックなオブセッション、つまり彼の興味がなにに向かっているかを表しているようだ。
過去に作られた作品について「現代的である」と形容するのはいかにも月並みであるが、国芳の前衛性は今現在の日本のすべてのサブカルチャー、カウンターカルチャーの源泉であるような気がしてならない。体制的風潮から逸脱した一匹狼の作家。

この展覧会の出品作品のほとんどはアメリカの著名な法律学者であるアーサー・R・ミラー教授のコレクションからなり、このコレクションは近年大博物館に寄贈されている。
おそらく日本でも未公開の作品が見られるのではと思う。必見の展覧会である。


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by jamartetrusco | 2009-04-22 20:42 | Arte (芸術)
2009年 03月 13日

Graziano Spinosi という作家

1年程前たまたまルネサンスか何かの画家について調べていたときに発見した素晴らしい
ブログCurrenti Calamo
Currenti Calamoとはラテン語の言い回しで文字通りpenna veloce、あまり考えずにさらさらと
書き捨てるというような意味で、「徒然草」に近い意味合いを持っているのだろう。
イタリア、ボローニャ出身のアーティストのGraziano Spinosiのまぎれもない個性の軌跡を
記した詩情あふれる簡素で美しいブログである。彼は自分の言葉は最小に押さえる。
その日その日に出会った、もしくは心に響いた言葉を様々な源泉から引用して、そこに彼の選んだ
ひとつのイメージをつける。その画像の美しさは絶妙である。私の頭にある「美」の概念をまさに代弁してくれる様々なイメージの結晶。
ブログから検索してみると作家としてのホームページもある。
作品はブログのイメージと近い、本質的で素材感のある静かなオブジェである。
静寂な空気を内包したような彫刻。
鉄という素材を絵画の素材としてまるで柔らかい土のように使いこなす平面作品。

この1月、ふと思い立ってブログの連絡先に連絡してみた。するとすぐに返事が帰ってきた。
その言葉から人柄の良さがみてとれた。そして美しい作品集まで送ってくれた。
ビザンチン時代のモザイクの美しい教会で有名なラヴェンナという街のアカデミア、美術学院
にて教えている、という。アカデミアを通して、日本の学生も多く知っていてこの夏の終わりには日本にも行くかもしれない。彫刻を庭に置いた大きなアトリエにて制作している。
アドリア海側、リミニとサンタアルカンジェロの間にある田舎に住む、という。トスカーナからは車で行くと山越えがあるのでやや時間がかかるのだがこの春是非遊びに行くことを約束した。実際に会って話し、作品に出会えること、今から楽しみにしている。

様々な街に作家友達が増えていくことは無限なる心の王国が広がるかのようである。

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by jamartetrusco | 2009-03-13 23:45 | Arte (芸術)
2009年 03月 09日

「大洪水」

フィレンツェ、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の「緑の回廊」にあるパオロ・ウチェッロのフレスコ画。Diluvio Universale. 大洪水、あるいはノアの箱船。
長い年月を経て、またフィレンツェの大洪水の被害も受けて、残念ながら状態はかなり悪い。
ぼんやりとフレスコ画独特の色調が残っているのみである。
それでもなんと存在感のある繪だろう。
パオロ・ウチェッロは遠近法に生涯拘り続けた画家である。
そして動物、特に鳥の絵を描くのが好きだったので「鳥(Uccello)のパオロ」という
愛称にて呼ばれたフィレンツェ生まれの画家。
この絵においても目線は箱船の形を中心にドラマチックに奥へとつながっていく。
雨風の大嵐で吹き飛びそうになりながら仕事を続ける人々の肉体。焦点となる稲妻の
走る暗黒の空。その中でただひとり悠然と立ち尽くす老人ノア。作家の視線を感じさせるような
その眼差し。一人の作家の異様な拘りと精神の作用がそこにはしっかりと感じられる。

先週は一週間雨が降り続けてまるで洪水さながらであったトスカーナ。
やっと太陽が顔を見せたこの土曜日、フィレンツェにて開催されていたArtour-oというアートイベントを見た。サンタ・マリア・ノヴェッラ広場にあるGrand Hotel Minerva
というホテル内のアートフェアを中心としてフィレンツェの歴史的空間やギャラリーにて様々な現代アートの展覧会が開催された。
ホテルの客室を使ってのこのアートフェアは参加ギャラリーのレベルの低さのせいか全く力のない展示であった。作家の存在などまるで感じられない名無しの作品ばかり。
イベントを総括する名目として「現代アートの都市としてのフィレンツェの再生」という歌い文句があるのだが、どこが?と反論したくなるような質である。
こんな中途半端なアートフェアを行うぐらいなら、この客室を様々な作家に貸して個展を繰り広げたほうがまだ効果的だろう。
アメリカにて発祥した近年の現象で日本でも大阪堂島ホテルのアートフェアを去年の夏見たばかりである。アート=商業=販売、という構図の最先端のようなホテルアートフェア。実に「つまらない」の一言である。

ウッチェロの「大洪水」の感動の後ではますます勝ち目なしである。

現代アートというカテゴリーは一体なんなんだろう。およそ心の琴線に触れることのない大量生産の現代アートととはまさに消費文化、マスプロダクション、大衆文化、広告文化、などなどの60年代からの我々の社会の生み出した産物である。そこには作家の心に秘められた神秘の影、心の
憂鬱から生まれた生と死への内省など感じられない。公の面前にどうどうと脚光を浴びる作品、作家のエゴの塊のような。秘められた暗黙の力の不在。見えないものへの微かなる言及などない。
説明過多または説明なしのコンセプトのみにて固められたぺれぺらの表現である。
どこかが違うのである。今そこらじゅうにころがる「現代アート」というものが好きでない。
大洪水ですべて洗い流してあらたな再生が必要であるとつくづく思った。


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by jamartetrusco | 2009-03-09 18:47 | Arte (芸術)
2009年 02月 25日

友人の個展のご案内

東京のMori Yu Galleryにてローマ在住の友人画家神道知子さんの個展が開催される。
2005年に京都、フィレンツェ姉妹都市提携40周年記念企画の一貫
にて京都のイタリア文化会館にてアレとの2人展を行った時以来の友人である。
その時の展覧会タイトルは"Terra e Aria"「大地と大気」であったが、ふたりの作品を
表す言葉として選ばれたこの2語は当時の館長さんであったアルドゥイーニ氏が
選んだものである。大地=アレに対して大気=知子さん。フィレンツェと京都を
代表するふたりの作家を象徴するになかなか的を得たタイトルであった。

天空の広がりと大気の透明感を感じさせる彼女の作品。
油絵を水彩のタッチにて使いこなすその色彩感覚とカンバスに内包される空間の無限。
かなり大きなカンバスに油絵の繊細かつダイナミニックな作品は彼女の気負いのない
一本芯の通った人柄のままである。

ご案内まで。


神藤知子個展「 足音のない動き 」

Tomoko Jindo solo exhibition「 quiet movement 」
@MORI YU GALLERY TOKYO         
09/02/28 [ sat. ] 〜03/21 [ sat. ]
opening reception : 02/28 [ sat. ] ・18:00〜


京都出身。
京都市立芸術大学、美術学部油画科卒業。
マルチメディアシアターグループ、ダムタイプの活動に数年間参加した後1988年渡伊。
以後イタリアを中心に作家活動を続ける。


MORI YU GALLERY

TOKYO
〒162-0812 東京都新宿区西五軒町3-7 ミナト第三ビル4F
Minato Dai-san Bldg.4F 3-7,Nishi-goken-cho,Shinjuku-ku,Tokyo,162-0812,Japan
tel:03-6906-9556 / fax:03-6906-9557
E-mail: info@moriyu-gallery.com
URL: www.moriyu-gallery.com




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by jamartetrusco | 2009-02-25 02:03 | Arte (芸術)