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2006年 06月 30日

地球生命体の宝庫

ロンドンの国立美術館は入館無料であることはご存知であろうか。大英帝国の栄華の名残りとも言えるが、美術館の質の高さではパリ、ニューヨークと並んで世界に誇る。そしてその遺産のすべてをイギリス人だけでなく世界からの訪問者に無料で提供しているというのは感嘆に値する。時間があまったときにちょっとこの美術館、博物館に寄って好きなものを1点だけ見てくる、ということが可能なのだ。イギリスの懐の大きさを実感する。
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さて、その中で最近特に気に入っているNatural History Museumー自然史博物館。入館者の半分は子供達とも言えるほど子供に人気のある博物館である。学校の休みに訪れた前回は恐竜のギャラリーはおせやおせやの一杯であった。今回はまだ夏休み前ともあってさほど混んでおらずゆっくりと見ることができた。娘はやはりまず恐竜、そして動物たち。

この博物館の歴史は18世紀に遡る。もともと医者であり生物収集家であったハンス・スローン卿が1753年に自身のコレクションを国に寄贈した。当初は大映博物館に付属していたが、その後いくつかのコレクションが加わり手狭になったため、新しい建物が必要となった。そこで1862年のロンドン万博の際に建てられた展示建築物が候補となった。この建物は当時「ロンドンで一番醜い建物」とされていたが、その建築家であるフランシス・ホークスが急死したため代わりにマンチェスターの建築家アルフレッド・ウォーターハウスが設計に当たることとなり、ホークスのルネッサンス様式にかわって現在のドイツ・ロマネスク様式が採用されたのである。美しいテラコッタの煉瓦造りの外観である。華飾とも言える内部も重みがあって圧巻だ。いかにもビクトリア時代全盛期を思わせる。
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1883年になって初めてコレクションはこの新館に移動する。博物館の主要なコレクションは植物学、動物学、昆虫学、鉱物学、古生物学の分野を網羅し、7千万以上の種からなる膨大なものだ。まず入館すると大きなDiplodocus恐竜の骸骨に出くわす。
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私が好きで必ず前に行くのはハチドリの標本。ハチドリがところ狭しと置かれていて視覚的に奇妙に美しい。
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それだけでひとつの芸術品のようである。今では自然保護団体があらわれて絶対に実行不可能な営みである。(lapisさん、これですよ)

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隣接している前地質学博物館は1985年にthe Earth Galleriesとしてこの博物館の一部として生まれかわった。長いエスカレーターを登って地質学の迷路に入っていく。興味深かったのは火山、地震についてのコーナーに関西大震災の展示があることだ。地震に無縁のイギリスにとって地震を体験することはひとつの興味であるので、地震体験プラットフォーム(コンビニが再現されそこに入ると神戸震災の画像とともに地面が揺れ始める)が設置されている。実際に神戸にて震災に会った方にとってはしごく不愉快なことであると思うが。

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地質学というのはなかなか面白い。アメリカ、アジア、オセアニア大陸がかつてはすべて一続きであったことを証明する化石などがある。学問に関係なく、ただただビジュアルに美しいものばかり。
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我がモンテフィオラーレに夏の家を持つ家族のお父さんと子供ふたりがちょうど同時期にロンドンを訪れていたので、博物館巡りは一緒に。ほぼ同年代の子供3人集まり、恐竜、動物さまざまな剥製などなど見て大喜び。恐竜カードや恐竜デザイン櫛鏡セットなど購入。その後はサウスケンジントン駅近くにあるKulu Kulu Sushiで昼食。回転寿司屋で大変にはやっている。このご家族、ベジタリアンということもあり、イタリアには珍しく親も子供も寿司が大好物。30皿以上取ったが6人で50ポンドぐらいで、日本の寿司には比べられないものの、案外いけましたよ。
お腹がすいた子供が即お皿を取れる便利さは最高。
昼食後はいよいよ子供達待望のLondon Eyeへ。旅行記、また後日に続きます。


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by jamartetrusco | 2006-06-30 20:45 | Viaggio(旅)
2006年 06月 29日

T-Rexと大トカゲ

アレと娘と3人で滞在したロンドン。仕事にて来るロンドンとはまた違った醍醐味を味わってきた。出張だと出入りするところは決まってくる。オークション・ハウス、画廊、美術館、関係者とのアポなどなど。これも好きな美術に関わっているので苦にならない仕事であるものの、家族を残してでの旅なのであまり自由時間がないまま帰宅することとなる。ところが今回は最近はやりのローコストエアーライン、Ryanairのおかげでロンドン往復3人で145ユーロ(2万円ぐらい)という驚異的な安さの航空券を購入できた。というわけで一年に一回も会うか会わないかの従姉妹に娘が会えることが第1の目的。そして第2の目的はアレの展覧会をいずれロンドンで企画できたらな、という希望をかかえて少々その辺の調査もかねての旅である。そしてもちろん姉と会ってだべるのも楽しみのひとつ。

娘と旅をする、ということはイコール彼女の「好きなこと」「行きたいところ」を優先することである。といわけで美術展覧会も我慢して2度ほどつきあってもらったが、後は彼女の好きそうな場所を訪ねた。Natural History Museum(自然歴史博物館)ーこれは恐竜と動物を見るため。Science Museum(科学博物館)ー発明や科学と遊ぶため。大英博物館ーエジプト・ミイラと遭遇するため。London Eye(大観覧車)ー子供にかぎらず大人でも楽しめるロンドン鳥瞰図。
London Zoo(動物園)ー入場料の高さ(なんと大人14.50ポンド、3歳以上の子供11.50ポンド、3人で40.50ポンド、アレが買った夏の麻のジャケットよりも高い!!)はさておき、Minaが文句なしに楽しんださまざまな動物たち、鳥達、魚達、虫達、との出会い。

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今日はそのほんのワンシーン。自然歴史博物館の恐竜の模型。以前訪れた時はまだ公開されていなかったティラノザウラスレックスの等身大の模型でこれがまたよくできている。実際に目を開け閉じして頭を動かし、まるで今にでも動きだしそう。見ている子供達は歓喜の叫び。
その映像もまだ鮮やかなうちに動物園の大トカゲの姿。やはり恐竜の面影。二人仲良く沿い合って可愛い。

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ロンドンの22〜3度の観光びよりに体が慣れてしまったせいか、久々に戻ったイタリアのこの真夏のうだるような暑さ。35度がもう一週間続いているという。へとへと、だらだら、ぼー。たまった仕事や家事があるのだが、体が思うように回転してこない。今の気分にぴったりのかばさんの寝姿 ー 明日からもっと気をいれて。。。

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by jamartetrusco | 2006-06-29 22:30 | Viaggio(旅)
2006年 06月 20日

Firenze Poesia - 遥かからの詩声

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昨晩フィレンツェの近郊の丘の上にあるVilla Reale di Castelloにてフィレンツェ詩の会が開催された。この会は毎年この時期に行われており国内外からの招待詩人を集め3〜4日に渡って詩の朗読会を提供する。開催場所は旧メディチ家のお屋敷。16世紀来存続するイタリア言語の研究アカデミア、アカデミア・デラ・クルスカの本拠地でもある。このVillaは普段は庭園のみ訪問可能で建物内部に入ることはできないので、詩の朗読を聞きながら屋敷内部も垣間みることができるというなかなか貴重な体験である。
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今回はイタリア、アメリカ、スロヴァキア、日本、パレスチナ、フランス、ジョージア、ナイジェリアの詩人達が参加。昨晩はジョージアの男性詩人と女性歌手、ナイジェリア(在アメリカ)の男性詩人、そして日本からの白石かずこさんの詩の夕べ。
詩というものは紙面で読むより、詩人が自らで語る方がはるかに力強い。それぞれの言葉の響き、どのように抑揚をつけるか、撥音の強弱、などなどによってひとつの言葉が音楽のようになって踊りだす。


f0097102_1936241.jpg特に白石さの場合は、能楽の謡のように、深く響く発声法であるので、話すときの声と朗読の際の声は一変する。帰る国のない人々の悲哀を歌った「今日のユリシーズ」ややコミカルで言葉使いの洒落た「きつつき」、そして「私と私」、「かもしか」。彼女の詩には独特のジャズ的なリズム、そして直裁でからっとしたエロス、そして悲哀と情緒のハーモニーがあるような気がする。

ナイジェリア出身でつい最近の災害,カテリーナの驚異が街を襲うまでアメリカのニューオーリンズに家を持っていた詩人のOsundare。洪水のおかげで自身と家族の命は助かったものの、すべてを失った。書籍の棚もコンピューターも、なになから何まで。その体験を語った「嘆く本」は切実としていて心に残る。

ジョージアの詩人はその言語の持つ力に圧倒された。あまりききなれない言語であるので意味は皆目わからないにせよ、韻をふむひとつづつの言葉の力強さ。アレの言うにはエトルリア民族は現在のジョージアのあるあたりから来たという説もあるので、この言葉の響きはエトルリア原語を読んだときのそれに似ているとのこと。

それぞれの詩人の詩の朗読の前後にイタリア語でその訳を語る役目の朗読家がついているのであるが、訳はわかるからそれは意味はあるとは言え、言葉の持つ効果は全く異なってくる。やはり詩というのは原語で読み、聞かなければ、と痛感した。それは詩に限らず、文学でもオペラでも映画でも同じことだ。ある言葉にまつわる国の文化、歴史、空気、情感はその原語をもってして伝わってくるものであろうから。

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言葉ということに想いをよせる心地よい夕べであった。

(サン・マルコ教会にての白石さん)
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追記:
明日から28日まで再びロンドンに行ってきますので、ブログは少しお休みです。
目と耳と心と知への感動を期待しつつ。
Ci vediamo presto!
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by jamartetrusco | 2006-06-20 19:47 | Arte (芸術)
2006年 06月 19日

聖なる淫者の季節 ー 詩人白石かずこ

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昨日夕方、フィレンツェに白石かずこさんが到着した。ジェノバにての詩のフェスティバルへの招待参加を終え、19日、夕9時よりフィレンツェにて開催されるpoetry readingの会のためである。
白石さんは私の長年の友人である。もともと姉のロンドンでの親友(私も家族ぐるみの付き合いであるが)のお母さんとして紹介を受けたが、友人のお母さんとは言え、それ以上の友達としてのおつきあいをさせて頂いている。知り合って早や25年。その当時ロンドン在住であった私は 82年の夏、姉、そしてかずこさんの娘さん夫婦、そしてかずこさんとその男友達とともにギリシャのクレタ島にて夏の休暇を過ごした。その時の経験と思い出はいまでも鮮明に心に刻まれている。クレタの体験がかずこさんの詩にも登場している。魚のフライを1キロ単位でオーダーした地元の飾り気もないが何を食べても頬がおちるほど美味しかった食堂を題材にした「ワンキロ・フィッシュ・ビーチ」や広大なる肌か山の頂上に生息していた山羊の群れを詠った「マウンテン・ゴート」などはこの旅から生まれたものだ。 経験が詩人の口から語られると美しく新たな想像の門戸を開けてくれる。
そしてその人柄の暖かさ、人間の本性や現実を本能的に理解してしまう。それ故生まれる真の優しさを持ち合わせている素晴らしい女性。

白石さんは1931年カナダ、バンクーバー生まれ。
二十歳で詩集『卵の降る街』を出版して以降、『聖なる淫者の季節』(H氏賞)、『砂族』(歴程賞)、『現れるものたちをして』(高見順賞、読売文学賞)、『浮遊する母、都市』(土井晩翠賞)など数々の詩の名作を書かれている。70年代以来、三十数カ国の世界詩人祭、作家会議に招かれ、詩の朗読、講演を行ってきて、現在でもまだそのエネルギーは絶えることがない。
彼女の朗読会は普通一般の想像する詩の朗読とは少し違う。ときにはジャズ・ミュージシャンとの競演、時には日本の前衛舞踏家と演劇的に、衣装も詩に合わせてカラフルに替える。日本、そして世界の詩の舞台に登場した頃、髪をピンクに染めてその美貌と抜群なるカリスマ性にて詩人世界を圧倒した。そして彼女の朗読する声は口からではなく、お腹の底から発生している。能楽の謡の声に近い。だからお腹に響いてくる。

Dedicated to the Late John Coltrane (ジョン・コルトレーンに捧ぐ)
白石かずこ / インディペンデントレーベル
ISBN : B0002LHWO4

彼女の詩、「ジョン・コルトレーンに捧ぐ」はジャズ・ミュージシャンの大御所のサム・リバーズらとの競演なるCDとしても発売されている。サクソフォーンやフルート、パーカッションの音とともに唄う彼女の詩は一聴の価値ありだ。

ビートジェネレーションの息吹を受けた現存する最後の詩人であると言える。

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続・白石かずこ詩集
白石 かずこ / 思潮社
ISBN : 4783708924
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by jamartetrusco | 2006-06-19 14:40 | Libri (本)
2006年 06月 18日

エトルリアの古代都市ーPopulonia

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Golfo di Barattiーバラッティ湾を遥か下に見下ろす丘の頂上にある古代エトルリアのアクロポリス、Populonia、ポプロニア(上の画像の遥か彼方に見える丘がそれ)。海に面して発達したエトルリアの都市として唯一である。目の前にあるエルバ島で採れる鉄などの鉱物供給の中心都市であった。エトルリア文明が製鉄に優れていたことは歴史事実である。この都市は丘の上のアクロポリスと製鉄に従事し、港としても栄えた地上の都市とのふたつに分かれて発達した。現在ではParco Archeologico di Baratti e Populoniaという考古址跡公園に指定され、80ヘクターの敷地内にエトルリアの古墳から製鉄業の跡など、当時の文明、人々の生き方を知る上で、最も重要な遺跡地となって公開されている。
目の前が息をのむような美しい海辺であるということも魅力のひとつであろう。

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このような背景があるので、バラッティの海辺の砂は、色は黄土色に近いが、その中にキラキラした鉱物の粒子が混ざっているのが目にもわかる。そのため日差しを浴びて熱が上がった砂はとても素足では歩けないほど熱くなる。なにしろメタルが入っているのだから。
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そして砂浜や海辺でみつかる石も鉱物の欠片のような真っ黒なものもあったり面白い。
浜辺の湾からみて左側奥の岸壁は夕日が当たると鮮やかな褐色となる。その土も長年の潮風と波に洗われ自然の微妙な影を作り出し、まるでエトルリアの神が現れたかのような豊かな表情を見せてくれる。
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そしてこのバラッティ湾以外にもこの付近にはBuca delle Fateという知る人ぞ知る(10数年前はそうだったが、今はどうか)の素晴らしい岩場の海岸がある。ダイバーや魚を見る人にはもってこいのところ。辿り着くまでにかなり歩かなければならず、また深海なので、一般の家族連れや泳ぎの下手な人などは来ない。アレは私と知り合ってすぐここに連れて行ってくれた。
今年は娘もだいぶ大きくなったので行ってみようかと話している。

エトルリア時代からの息吹が未だに感じられるトスカーナの海岸線。この辺りの海岸はRiva degli Etruschi(エトルリア海岸)として観光局のうたい文句ともなっている。

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by jamartetrusco | 2006-06-18 00:39 | Storia (歴史)
2006年 06月 16日

トスカーナの海へーVia Volterranaを通って

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昨日は日帰りにてトスカーナの海岸へと行ってきました。イタリアにいる夏は通常7月、海のそばの普通の街(海辺の豪華な休暇の家というのでなく)のアパートを借ります。
イタリアでは夏イコール海というぐらい海の文化が根を下ろしていて、貧しきも金持ちも海に行かずして夏は終わらないというぐらい海に行くことに情熱をかけるのです。もちろん山派も存在しますが、山派も海には行くのではと思います。
私たちもその例外にもれず、夏は海の風に当たり、海水浴をし、トスカーナの海岸線の古い街を散策するのが大好き。娘が生まれてからはますます毎年のように海辺のアパートを借りて少なくとも1ヶ月は海の空気を楽しみ、体に海のエネルギーを吸収するようにしています。

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私たちの海の家の探し方はこんな風です。好きな街のalimentare(食材品店)に顔を出し、この辺で夏だけ家を貸している方とはご存知ですか?とまず聞いてみる。alimentareとはハム、サラミの類からお惣菜、それに必需品のパンなど、他にも基本的な日常食品は大体揃っているお店でどんな小さな街にも一軒はあるだろうというコミュニティーには必須の店。というわけで店のご主人とかそこで働く方々はコミュニティーの様々なうわさ話や情報など色々知っているわけです。貸家情報など知るにはもってこい。そして地元の普通の安いアパートなどを借りたい場合はこういった口コミ情報が一番。普通の不動産屋などを当たったら、私たちの予算に合うような海近くの家などあるわけないでしょうと、一笑にふされてしまうところ。
こうして見つけた家は、海岸線の街、Donoraticoにあります。すでに過去2回は夏をここで過ごしました。街にあるため買い物も便利で、そして車さえあれば海に行くのも容易です。
昨日は娘念願の今年初めての海へ行くのと、今年はいつものアパートがふさがっているので大家さんの従姉妹のアパートを貸してくれるというので、その家を前もって見に行かなければならなかったのです。

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海に行くのに色々な道筋がありますが、私たちは必ずVia Volterranaを通って行きます. エトルリア時代のトスカーナの「目」とも言える古代エトルリアの大都市、Volterra。標高600mほどの高台にある壮観な街。Volterraにつながる道ということで呼ばれるVia Volterranaは丘を越え、谷を越えという曲がりくねった山道のような国道ですが、見渡す素晴らしい景色を考えたらなんのその。日差しかんかんでトラックに満ちた高速道路などもってのほかで、比べ物になりません。

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Volterraの周りの風景はわが町近くのキャンティ地方とは全く違って、grano(麦)畑に満ちて森林の少ない、どこか広々とした、そして色彩のコントラストのはっきりしたそれは美しい野山の風景。ちょうど麦の穂も金色に輝き、目にまぶしい。


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収穫された後の干し草の丸いかたまりもなだらかな丘のアクセントとなりそれだけで絵になるよう。

我が家から大体2時間少し車で行けばもう海岸線に到着。大家さんの家を見て、alimentareにてお昼のハムやパンを買って向かう海ーGolfo di Baratti。

バラッティ湾。エトルリア文明にまつわるこの地域については明日に続きます。


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by jamartetrusco | 2006-06-16 19:38 | Paese (土地柄)
2006年 06月 14日

アルチンボルドー 16世紀のシュールな肖像画家

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先日ミラノの大聖堂のことについて書いたブログにて名前を出したが、Giuseppe Arcimboldo(1527〜1593)はミラノ生まれのマニエリズム時期の画家である。
父親は凡庸な画家だったらしい。1549から58年までの間、ミラノの大聖堂建築現場にて働く。ステンドグラスの絵柄の下絵など、一部は彼の作である。

その後、1562年、ウィーンとプラハに居を置く神聖ローマ帝国皇帝に仕えることとなり、1565年から本格的に宮廷肖像画家としての任務についたという記録が残っている。フェルディナンド1世(1558〜1564)、マクシミリアン2世(1564〜1576)そしてその息子のルドルフ2世(1576〜1612)の3皇帝に仕えた宮廷画家。一般的に宮廷画家というと皇室の退屈な肖像画を描くはずであるが、さすがに時期はマニエリズム。フィレンツェのメディチ家のフランチェスコ・ディ・メディチもそうであったが、夢想と独自の芸術嗜好、快楽に没頭する狂気と天才が紙一重の人物が出る時代背景があるのだろうか。この3皇帝ともおそらく特異な芸術の嗜好があったに違いない。アルチンボルドは単に絵画のみならず、宮廷でのイベンドの企画、水力技師としての才能も備え、皇帝の嗜好を満足させるための楽器、噴水、廻転木馬等の発明でも有名である。
わたしが最初に彼の名前を読んだのは確か澁澤龍彦の著書の中(「夢の宇宙誌」だったか、よく覚えていない)だったと思う。この不思議な絵と発明の作家として強く印象に残った。


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1563年、フェルディナンド1世在位中に、アルチンボルドの奇異な絵画代表作のひとつ「四季」シリーズ(「夏」と「冬」はウィーン美術歴史博物館所蔵)を描いている。、この頃にはすでに彼の独自の様式を築き上げていたことになる。


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その後66年にはもうひとつの傑作「四元要素」シリーズを完成した。
花鳥、木々、動物、魚、果物、などなど自然の要素を組み合わせてトルソから頭までの人物像を描き出すのである。四季の場合はその季節に合った要素を使い、「気、水、火、土」の4元要素もしかりである。よくよく見るとさまざなな魚や動物がありとあらゆるフォルムにて人物像を象る図はオブセッシブ(執着心)としか言いようがない。

長い間忘れ去られていた画家であったが、1936年、初めて ニューヨークにての展覧会にて紹介された。「幻想的アート、ダダ、シュールリアリズム」展である。いうまでもなく現代の作家の賞賛の的となる。マン・レイ、ピカソ、ダリを始め現代を代表する作家たちもアルチンボルドの芸術にはなんらかのインピレーションを得たに違いない。

アレも実はアルチンボルドに魅せられた作家の一人。読み込んだアルチンボルドの美術の本が書棚にあった。 「あっ、彼もアルチンボルド好きなんだ」と最初に会った頃の記憶がある。


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by jamartetrusco | 2006-06-14 22:24 | Arte (芸術)
2006年 06月 13日

真夏日の始まりー進行中の庭 最終段階

今日から本格的な真夏日となってきました。早朝からすでに強くまぶしくそして暑い太陽の日差しを肌で感じるといつもながら、ああ夏日が来た、と瞬間にわかります。イタリアの夏の日差しってどこか匂いがあり香ばしい。たぶん太陽の強い光のせいで大地がむーっと薫るからでしょう。 夏の匂い。ギラギラする真夏日が毎日続く予感。

日本は梅雨入りということで、幸せって何かな?のブログのreihappy7さんやうろうろ、ごそごそのブログのクロエさん、そしてカイエのブログのlapisさんがしっとりした紫陽花の画像を載せておられたので、それに対する我が家の大家さんの庭の紫陽花の写真を。

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紫陽花の種類が違うだけかもしれませんが、イタリアの紫陽花は雨の少ない季節に咲くので、どこか色が凝縮した、立ち姿もえらくしっかりした趣きがあるような気がするのですが、気のせいでしょうか。そして地中海地方の典型的テラコッタの大鉢に植わっているので日本の庭角に生きる雨滴に被われた楚々とした紫陽花とは別物のような雰囲気です。ソフィア・ローレンと原節子の違い?

さて、アレの進行中の庭、いよいよ公開する日が近いようです。今日はキャンバスをいくつか置いてみました。なにしろ屋外ですから、平壁が少ないので可能なところに展示する以外ありません。この前、道ばたでみつけた壊れた木の冊の一部が絵を並べるのに役立っています。

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石壁に「壁」シリーズの絵を合わせるのもTromp l'oeil (だまし絵)のようで面白いかも。
ただかなり日差しが強いのであまり直射日光を当てるのも絵に良くないから、展示は思ったより難航しそうです。

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by jamartetrusco | 2006-06-13 20:41 | Arte di Ale(アレのアート)
2006年 06月 12日

Duomo -San Bartolomeo Scorticato 剥皮のサン・バルトロメオ

ミラノの話題の最後。ミラノと言えばかの有名なDuomo di Milano, ミラノ大聖堂を語らずにして終わることはできない。イタリアには珍しくゴシック建築であり、ヨーロッパにおけるカトリック教会大聖堂として第2の大きさを誇る(一番大きいのはスペイン、セビリアの大聖堂)。長さは157m、40,000人は収容できるというからその大きさは想像できる。
現在修復中で、見事な正面がテントに被われてしまっているのが残念だ。
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1386年に大司教のアントニオ・ダ・サルッツォが、フランス建築様式の特徴である後期ゴシック様式を採用してドゥオーモ建築に着手する。おりしも従兄弟のジャン.ガレアッツォ・ヴィスコンティが同じくヴィスコンティ家である前任者、バルナボを駆逐してミラノ統治への力を得ることとなる。バルナボの独裁的な支配に苦しんでいた市民たちにも絶好のアピールチャンスということでこのふたりによる大聖堂建築プロジェクトが始まったわけである。その後、数々の技師(主にフランスから)の力と、それぞれの時代の統治者ー16世紀のルドビコ・スフォルツァ、スペイン支配、ボロメオ家、そして19世紀初頭のナポレオンに至るまでーがその力の限りを尽くして、建築ディテール,ファサード、内部装飾などなどに手を加え、最終的に今の形となったのは20世紀に入ってからというから、始まりからすでに600年以上経っての完成ということ、何とも気の長い話ではないか。バルセロナのガウディ設計のサグラダ・ファミリア教会も未だに建築続行中であるのは当然のことだろう。


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大聖堂内に入ると、そのゴシック式天井の高さにまず目をみはる。威圧的と言えるほど、暗い。そこにぼんやりと光る色鮮やかなステンド・グラスの美しさも忘れられない。


しかしわたしもアレも目をうばわれたのはマルコ・ダグラーテ作の聖バーソロミューの像。イタリア語ではサン・バルトロメオ。この聖人はキリストの12使徒の一人で、宣教中のアルメニアにて殉教したと伝えられている。殉教の仕方も壮絶で、生きたまま、生皮を剥がれて逆さまに十字架にかけられたという。というわけで、この像も自分の皮をまるでマントのように体にまわして凛と立っているのである。

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見てすぐに彫像の力強さに惹かれたのだが、よくよく見ると、皮のない解剖学の肉体如く筋肉露わである。そしてその表情も厳しいがどこか超越した趣き。

アレもこの彫刻をuomo scorticato (皮を剥がれた男の像)として裏覚えていただけだったので、一体誰だろうね、と話していた。そして後で調べてみたら、サン・バルトロメオであることがわかったのである。そしてよく考えてみたら、かの有名なミケランジェロのシスティナ礼拝堂の「最後の審判」の中に抜け殻をぶらさげた人物がいたではないか。サン.バルトロメオそのひとである。

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こうしてみてみると、ヨーロッパの美術を知るにはキリスト教に関する常識やそれにまつわるアレゴリーなどへの知識が必須である。背景がわからずしては半分しか理解できないだろう。もちろんもっと直感的に、本能的に美術の美しさの善し悪しを語るのも本望であるが。日本にてカトリック系の学校に通った唯一の利点はおかげでヨーロッパの宗教画の基本的な知識を得ることができたことであろうか。

最後に高級店の並ぶSpiga通りで見つけた時計屋さんのウィンドーディプレー。
面白いのでカメラにおさめた。何か思い出しませんか? この発想、ロンバルディア地方出身の16世紀の奇異な画家アルチンボルトの絵にインスピレーションされたことに間違いない。
アルチンボルトについては、前から書こうと思っていたので、それはまた次回にでも。

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by jamartetrusco | 2006-06-12 23:10 | Arte (芸術)
2006年 06月 12日

モンツァー 広大なるParco Reale

ミラノから15キロほど北北東に向かうとミラノ県内の重要な市であるモンツァに辿り着きます。
以前トスカーナに住んでいた友人家族が引っ越した街。いままで名前のみ知っていた街が身近になったわけです。
モンツァはF1レースのサーキット、Autodromo Nazionaleがある街としても有名です。
このサーキットも実はモンツァの広大な国立公園の端にあるのです。
この公園、囲いのある公園としてはヨーロッパ一の大きさ、ニューヨークのセントラル・パークの2倍以上の規模だそうです。当時北イタリアを保護国として配下におさめたフランス皇帝ナポレオン・ボナパルトが1805年に公園として指定したとのことです。狩猟などにも使われた敷地でところどころに猟のために使った古い屋敷が残っています。
この広大な領地はもともとは18世紀ロンバルディア地方を配下においていたハプスブルグ家、オーストリア大公フェルディナンドが1777年から80年にかけてミラノとウィーンをつなぐ領地に建てた宮殿の一部でした。その後オーストリアの支配からサボイヤ王のもとに戻った際にVilla Reale(王宮)と名称を変えました。


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ベルサイユ宮殿をモデルに建てられたと言われており、ハプスグルグ家全盛の頃はまさにきらびやかな華やぎがあったに違いありません。残念なことに、今ではかなり荒れ果ててしまって往年の面影は失われ、修復の費用も不足しているとか。

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去年の年末、雪の降る寒い時期に大晦日を友人家族とともに過ごすために初めてモンツァを訪れたのです。そのときは美しい純白につつまれる景色は素晴らしかったものの、零下5度というあまりの寒さでどのような木々や植物、動物が生息しているか、また公園の広大さなどもわからなかったのですが、今回はうって変わって緑青々と見違える風景。
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かなり先まで歩き、F1のレーシングカー独特の爆音のエコーも遠くに聞こえました。
そこで一休み、広々とした野原にて思う存分友人家族の愛犬クーも遊べました。もちろん子供達も。こんなに広大な野原にひっくり返るのは久々です。
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公園での今回のもうひとつの発見はまるで「となりのトトロ」に出てくるような巨大な木。圧倒的な存在感をもって臥座しています。

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すべてが一木ではないのですが、互いに枝が絡み合っていて、一塊の森に見える。小さな入り口から中に入ると、そこは外の光を遮断した森の暗闇が訪れます。子供達の想像力を駆り立てるに違いない隠れ場。
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そしてところどころにあるねじ曲がった木の幹の跡。何故こんな形で残っているのかわかりません。
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モンツァという街はミラノヘの通勤圏でもあり、店なども、どれもピカピカしていて住む人の物質的豊かさが感じられる反面、北イタリアの産業地帯を支える移民も多く、どこか富と貧がちぐはぐに共存している、という印象を受けます。友人曰く、とても住みやすくて人々も当たりは良いが、どこか表面的でトスカーナの底知れぬ深さがないように思う、と。
そしてとりわけcampagna(田舎)の力、自然からの知恵がトスカーナでは大である、と。
それは私も同感です。そして、新し土地を知るには時間がかかるのも真実でしょう。

ミラノからの帰りの汽車がナポリ行きでそこに乗り合わせたナポリの家族。親戚が見送りにきていたのでしょう。そのさよならの挨拶のドラマチックさと言ったら、ナポリ以外の人には考えられない。汽車の発車寸前までキスとさよならとよろしくの連続。そしてお昼のお弁当も袋一杯に詰めて。南イタリアの一幕を象徴する光景です。
一概にイタリアと言うけれど、北と南とでは人種が違うよう、またトスカーナにはその特色があり、シチリアはまた独自の歴史があります。それぞれの地域がそれぞれの歴史をかかえて今に至っているのです。違ったイタリアの街角をますます探索したくなりました。


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by jamartetrusco | 2006-06-12 00:28 | Natura (自然)