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2006年 08月 31日

8月30日ー秋の透明なる空気 

8月ももうあと一日。もうすぐ夏も終わりとなるのか思うといささか淋しい思いである。暑いのが好きな私としては秋の訪れはあまり歓迎でない。朝晩ひやひやしてくる。やはりアフリカ砂漠の気候に近いのか乾燥している分、日中の日差し下の温度と早朝、夕刻の気温とではかなり違うのである。夕食をテラスで、という楽しみも日に日に少なくなっていく。
そして学校も新学期があと2週間で始まる。また学校を巡る長いようで短い一年の始まり。今年娘は3年生。3年生というとなんだか一気に大きくなった気がする。今年はどんな風に成長するやら。

今翻訳の仕事やアレの展覧会企画などに頭を悩ましているので脳みそがかなり膨張している。夜も頭が冴えわたるからなかなか寝つけない。
そして書くことが定まらないのでだらだらと今日の出来事を書いている。

今日は早朝に大雨があったらしく、嵐の後のすべて吹き飛ばしてしまったような素晴らしい快晴だった。透き通るような日差しとはこのようなこと。ただ気温はもう夏のそれではないので日陰に入るとひんやりとする。もう空は秋。
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上の庭の無花果がすっかり熟してきてえらく美味しい。お昼に生ハムとともに食した。

アレの木彫のひとつ。これも海からのささやかな贈り物。アレは作品ごとに記録を画像に残している。日差しの透明感が作品に反映している。ダリの延びた人物像のようなフォルム。見る向きによって違ってくる。千と千尋の出てくるお化けにも見えてくる。

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少し涼しいせいか、ビルバが知らないうちに家の中の椅子の上でちゃっかり昼寝をしていた。

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by jamartetrusco | 2006-08-31 00:52 | Vita (人生)
2006年 08月 28日

箱?

アレの絵画作品。最近彼の中で煮詰まってきている「箱」のシリーズの中の2作。

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まだ未公開なのであるが、わたしの好きな2点であり、展覧会の主旨を私なりに少し考えている。ここのところ7〜8年シリーズにて作品制作を行っているのであるが、一貫して彼の中にあるのは自然の中にある表象、目にみえるもの、事物、物体の背後にある歴史性、精神性、神秘性、本質、そして魔力などを見極めることであっただろう。友人であり優れた作家、美術評論家、教育者であるエルダ・トレスが去年の夏京都のイタリア文化会館での2人展のための小冊子のために書いてくれた文章がある。その冒頭で語ってくれた言葉はアレの制作をうまく表現してくれている。

「過去十数年アレッサンドロ・ヌティーニの仕事を追いながら、その基盤となる創作哲学の厚みと深さをこの眼で確認してきた。伝統に対するこだわりがあるがこそ可能性の広がる現代性、一見して意義のない「かけら」の中に断片的にせよ大宇宙のすべてを内包する小宇宙を見極める眼、有限と無限、形あるものと形なきものの間の絆、さらに自然と作為というもう1つの二元性 - それらすべてが作品の中で渾然と混ざり合う。作家が極めようとする「知」に秘められた奥義は、その作品の中で顕現化する。」

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アレの描く一見「箱」や「煉瓦のかたまり」に見えるものは実は彼の頭の中に渦巻くトスカーナの、さらにはエトルリアの大地と自然、そしてそれに根ざす宇宙観、世界観が反映されているのである。描くもの自体は抽象化されているが実はそれは実際に煉瓦であり、箱である。存在のパラドックス、迷路、表裏一体とも言えるような対極を持ち合わせていると思う。あたかもそれはひとつの記念碑である。たぶんある心の様の。表出する形にはその背後に隠れた精神の地層があるのである。というようなわけでなんとかこれを展覧会のテーマとして提案書を作らなければならない。

ただ、こんな風にしちめんどくさく作家の意図などを考えているるのは端であって作家自身は実はまったく違う方向で制作していたりする。エベレスト登頂を果たしたイギリスの登山家ジョージ・マロリーは、なぜエベレストに登ろうと思ったのかという質問に対して、こう答えた。  "Because it's there"ーなぜなら山がそこにあるから。
制作もそんなものかと思う。

単純かつ複雑な作家の生き様を身近に見ながら、展覧会のためのテーマの必然性などを考えると、批評家などにはつくづくなりたくないわ、と思うのである。
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by jamartetrusco | 2006-08-28 23:12 | Arte di Ale(アレのアート)
2006年 08月 26日

流木の変貌

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今回海で拾って来た流木。もとは海水と風に当たって変色していたが、木刀で削りをいれられ、すこしづつ形をみせてきた。アレの木の彫刻は通常、自然の木の形をあまり変えずにただ黙々と削ることによって出現する形を待つ。そのうちいつの間にかなんらかの形が顕われるのである。
女性の横たわった姿、頭部のないトルソ。不思議と人物の姿になってくる。
ここのところどうもカンバスに向かう気分でないようで、流木を相手にごりごりとのみを打つ音がスタジオから聞こえてくる。絵に向かう時、イメージを自分で作りだしていく行為は、制作の中で一番頭に訴える作業であろうと思う。頭の中にある何かが表象化するのである。故にその何かが見えないときというのは袋小路にぶつかったようなもので、悶々と悩むのだろう。ところが彫刻は物理的であるので、目の前にある素材に対して手を動かすことから始まる。その際、頭に考えは浮かばない。無心である。現在展覧会の企画案などで頭を悩ましているので、自然と制作は肉体的なものとなっているようである。もの作りの考える頭と動かす手は切っても切れない関係にありながら、互いに相反する場合もあるようである。

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by jamartetrusco | 2006-08-26 01:16 | Arte di Ale(アレのアート)
2006年 08月 24日

La Porta Magica ー魔法の扉

Si sedes non isーSi non sedes is.

左から読んでも右から読んでも読める回文をイタリア語ではpalindromoという。上記のラテン語の格言はまさにpalindromoの一種であるが、面白いのは左から読んだときの意味は「座するものは進まず」、そして右から読んだときの意味は「座さぬものは進む」。双方とも逆説的に同じ意味を表している。

数日前アレと夕食後、色々と語っていたときに、突然この格言についての話となった。彼の気に入りの格言であったが、どこで見たのだったかなー、ということで早々にインターネットにて調べた。この格言が刻まれているのはローマにあるPorta Magicaー「魔法の扉」ーの扉の石枠の下部であることが判明。この扉、神秘に満ちている。
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もともとこの扉は1655年にローマの元老院議員であるマッシミリアーノ・パロンバラ侯爵によって建てられたVilla Palombaraの一部であった。この侯爵は当時の少数の学問的エリートがしばしばそうであったように、錬金術などの秘教的学問の追求に熱心であった。自身の資産を使って多くの錬金術学者のパトロンとなり、この屋敷にてサークルを開いていたらしい。メンバーには王位を放棄した後ローマに住んでいたスウェーデン女王クリスティーナも入っている。この屋敷はあいにく19世紀の後半新地区開発のために破壊されてしまったという。なんとも残念なこと。ただ幸いにも屋敷の離れの入り口であったこの扉のみが残り、現在ではヴィットリオ広場の「魔法の扉」として訪問者の好奇の的となっている。魔法というよりは錬金術的扉と称した方が適切であろう。扉に細工されているシンポルや言葉など、すべて秘教学の錬金術に関係しているのだ。そして上記の格言がその中のひとつである。

9月頭、ローマに娘のパスポートの更新に行かなくてはならないので、その際に是非このPorta Magicaを見て来ようと思っている。こういう秘教学など興味津々である。ヨーロッパの多くの文化、芸術の根底に流れていると思うのである。

さてこの格言、どうも主人の展覧会プロジェクトに関わっているらしい。アムステルダムにあるイタリア文化会館にて展覧会の提案をしたい意向があり、そのために提出する企画書のようなものが必要らしい。9月にそのミーティングがあるのでそれまでに提出する必要があるのだが、こんなにゆっくりで良いのかなと実は懸念している。
「静止するものは進まず」「静止せざるものは進む」。当たり前のことなのだが、人生の究極的な真実を語っているようである。そして作品制作についても同様だ。
アレの現在の心境を物語る一言である。是非とも静止せずに進んでもらいたいものだ,
この川の流れのように。

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by jamartetrusco | 2006-08-24 23:54 | Storia (歴史)
2006年 08月 23日

Sovanaの教会内部とドゥオーモ

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ソヴァーナの素晴らしいふたつの建築美術、教会とドゥオーモ。ソヴァーナの歴史はソラーノのそれと近いものであるのであえて語らないが、この小さなそして歴史深いボルゴの教会内部のciborioー聖体用祭壇ーとドゥオーモの美しさは単に画像のみにて紹介するしかない。宗教というものがまだ太古の神聖を求める精神に基づいていた頃、まだ野心や政治力、力の行使に至っていない頃の教会建築の美しさはなんだろう。

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こういう場所に足を踏み入れた途端、実際に神聖な気持ちになるのである。何故かわからない。たぶん原始の本能に訴えるのだろうか。装飾過多のバロックやロココ様式、またはルネッサンス様式にも味わえない何かである。
規模自体が人間レベルであることも関与しているのだろう。以上に天井の高いゴシック建築になると親しみより恐れを感じるようだ。それは人間を小さく見せること自体が目的であったであろう。

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それに対して12世紀ロマネスク様式はどこかまだ異教の要素を残している。まだ太陽神、水の神、土の神、気の神がいるかのような透明で土臭いような空間である。わたしが最も落ち着き、そしてその心に響く美しさを感じる建築空間である。そして木漏れ日のような光の美しさを再確認した。


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by jamartetrusco | 2006-08-23 06:07 | Viaggio(旅)
2006年 08月 22日

エトルリアの墓跡と岩窟道 Tombe Etrusche e La Via Cava

Sovanaのを出て車で数分行ったところMonte Rosello, ロセッロ山の斜面に沿ってエトルリア時代のいくつかの重要な墓跡がある。
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そのひとつは1843年イギリス人の考古学者SJアインスレーによって発見されたTomba della Sirena 「人魚の墓」と呼ばれるものである、木々や草のかげに隠れ全貌は想像の域を出ないが、凝灰岩の岸壁に彫り込まれた人魚を象ったフリーズとその脇下を飾る人物像は今でもはっきりと認められる。紀元前3世紀半ば頃のものらしい。まるで自然の山の一部のように見える墓跡である。

エトルリアの墓にはいくつか種類があり、この墓はtomba a edicola 「礼拝堂型墓」と呼ばれる。その他にtomba a tempio 「神殿型墓」、tomba a dado, tomba a semidado, 立方形、半立方形墓、または単にcassone 「長持ち型」、camera 「部屋型」、nicchia、「壁がん型」、colombari「納骨堂型」などなど。

この墓のすぐ近くに実際に足を踏み入れてみなければその素晴らしさを経験するのは不可能であるLa Via Cava di San Sebastiano 「聖セバスティアンの岩窟道」がある。

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岩窟道としては、もうひとつこの近くにあるIl Cavoneに比べれば規模は小さいが、その雰囲気は特に美しいものだろう。岩窟道というとわかりにくいが、要するに山の岸壁を彫り出して作り上げた道である。この道は歩行するのみの使用であるため、人が一人通りのがやっとの狭さである。そそり立つ山の岸壁の狭谷を通る感じで、エトルリアの神秘の入り口に入っていくようで震えが来るほどの感動を得た。
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映画「ロード・オブ・ザ・リング」の第3部「王の帰還」の中でアラゴン、レゴラス、ギムリが死者の谷に入っていく部分があったがそんな感じである。このような峡谷の道はエトルリアの人々が必要にかられて山間を彫り出したのだと思うが、現在のような機械がない彼の時代にすべて手でのみを使って通り道を彫り出したこの人々の超人性には脱帽するしかない。エジプトのピラミッド、ローマのコロッセオの凄さの例もあるのであまり驚くことはないだろうが。

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この後もうひとつの墓跡へ。今でも神殿の趣きを残したTomba Ildebranda、「イルデブランダの墓」。時代はやはり紀元前3〜2世紀頃。辛くも残っているフリーズの破片や柱の様式からギリシャ様式に近いと言われている。神殿型の上部の記念碑と地面下に対称に位置する埋葬室が2部屋ある。埋葬室はさらに古く紀元前4世紀頃とされる。埋葬室へと降りる入り口をdromosと呼ぶらしい。このdromosをおりるとせいぜい3メートル四方ぐらいの空間だろうか、そこは薄暗くひんやりとしている。昔は宝など一緒に埋葬されていたのだろう。もしかすると壁画などもあったのか。いまではこけむした岩しか見ることができないが、それでもしっかりと輪郭を残した格天井があり、エトルリア人の手技をそこに見た。

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by jamartetrusco | 2006-08-22 01:35 | Viaggio(旅)
2006年 08月 20日

Il Cortiloneでの現代美術展

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Soranoの町の一番高い部分に位置するIl Cortilone。すぐ横は岸壁、見下ろせば下を流れるLente川と自然の緑が広がる絶景。Il Cortiloneは16世紀初めにローマの古い貴族の家柄オルシーニ家のニッコロ 4世により建てられたメディチ家の穀物倉庫である。何故メディチ家であるか。
9世紀以来450年間に渡ってこの町の領主であったアルドブランデスキ(Aldobrandeschi)家の最後の娘アナスタジアが13世紀末にオルシーニ家のロマーノ・ジェンティーレ・オルシーニと結婚。この時からソラーノの事実上の領主となったオルシーニ家はグウェルフィ(教皇派)であり、ギベリーニ(皇帝派)のシエナ共和国と敵対関係にあった。1555年、シエナ共和国がフィレンツェに破れ陥落、敵の敵は友達ということからメディチ家のトスカーナ大公初代コシモ1世がソラーノ統治に介入してくることとなる。オルシーニ家の親子、兄弟の対立が相次いだ結果、1604年にはオルシーニ家に代わってソラーノはメディチ家の配下に入る。この穀物倉庫は18世紀になって住居として改装され1960年代まで実際に人が住んでいたとのこと。90年代になって新たに改装され現在ある展覧会空間となった。メディチ家の権力がこんなところまで来ていたとは、と感心してしまう。
さて毎年開かれるこの展覧会はイタリア国内外の作家の作品を紹介する。穀物倉庫の広い空間を廊下を隔てていくつかの小部屋に分けそこに10名の作家がそれぞれの作品空間を作りだしている。イタリアからはベネチア出身であり、現在はソラーノにアトリエを持つIl Cortilone展の芸術監督であるベアトリーチェ・バンダリン、フィレンツェ生まれのセルジョ・タマッシア、ヴェローナからジャンアントニオ・デ・マルデの3名。ドイツからマルティン・フィグーラ、ペーター・ペトリ、ヨハン・ディンプフルマイヤー、ハンス・ハーマン・クープマン、ワルター・ライマンの5名。そしてアメリカからスーザン・ノースとボブ・ベンダーの2名。
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ディンプフルマイヤーの電気仕掛けの作品は観衆を童心に回帰させるものだ。どこか懐かしいぜんまい仕掛けの人形を思わせる。針金などの安易な素材を使いながら夢あふれる形体を作りあげていく。テーマはかならず人体の動きである。

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デ・マルデは人間の原始を見つめるような形体とシンボルの表現言語を使用し、太古の精神性や儀式性の復活を目指すかのようである、

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スーザン・ノースはニューヨーク生まれであるが現在はローマ在住。イタリアの古くからあるグロテスクの人物模様の虜となったらしい。その版画作品が繊細でグロテスクの魅力をうまく表している。

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マルティン・フィグーラの「スタンダール・シンドロム」のシリーズ。スタンダール・シンドロームとは美術、とくに美しい絵画が満ちる空間に置かれたときに目眩や息切れがしてくるという病気を表す医学用語で「赤と黒」で有名な19世紀のフランスの作家スタンダールがフィレンツェを訪れた際の体験に由来する言葉である。フィグーラの作品は写真映像に基づく美術館内の人々と周りの空間を油彩にて表すものであるが、超現実的な表現に抽象模様のベールが被いかぶさり、現実と空想が織り合わされたような不思議なテクスチャーを生み出している。背後の朽ちた壁が絵画の肌合いに融合するかのようだ。

そして クープマンの真っ赤な鳥の巣が目に焼き付いた。
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この元穀物倉庫の古色蒼然とした壁や天井の味わいとそれぞれの作家の作品がうまく調和して相互に作用し合うような上手な構成である。ちょうどお昼どきだったので食前酒のスプマンテ(シャンペンに近い)の振るまいもあり、ゆったりとした雰囲気の中での作品鑑賞。
アートというのは作家の知名度などに関わらず、このようにゆとりのある空間、周りの美しい自然環境、そして展示される空間の歴史ある美の包容によって力を増すような気がした。人ごみにあふれた展覧会場の喧噪では味わうことのできない作品との静かな対話があった。

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by jamartetrusco | 2006-08-20 23:32 | Arte (芸術)
2006年 08月 19日

Sorano ーTufo(凝灰岩)とエトルリアの都

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シエナより南下し、グロセット県内、内陸の岸壁にそりたつ町、ソラーノーSorano。昨日は日帰りにてこの町を訪れた。キャンティ地方からsuperstrada(ほぼ高速道路と同じだが無料)にてシエナへ、そして国道のCassiaへ入る。高級ワインで有名なモンタルチーノの町を過ぎて絵はがきなどでもあまりに有名なVal d'Orciaの美しい大地を抜け、アミアータの山を右手に進むこと2時間、ソラーノ方面の道へと入る。この辺りの景色の超現実的な美しさ、自然の作り出す大地の色の調和にはただただ感慨無量である。

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ソラーノは近接するSovana(ソヴァーナ)とともに付近にエトルリアの墓があることで知られ、わたしも主人に巡り会う前93年の夏にこの辺りを訪れている。この地域からまっすぐ海岸へ40〜50キロ程むかうと行き着く海辺の町オルベテッロの某学校にてイタリア語を学んでいた際である。その後フィレンツェに絵画修復の勉強に向かい、そして今の夫であるアレに会う運命にあるのだが。
エトルリアについてわずかに耳にはしていたもののその時はお墓まで訪れることはなかった。
今回はエトルリア・マニアであるアレと一緒であるのでもちろんエトルリアの墓殿を訪問。これについてはゆっくりと後日に。
ソラーノの町を訪れることにしたのは、娘の学校のお友達家族がこの町に小さなアパートを持っており、また彼らは毎年8月に開催される Mostra Mercato Artigianato Antiquariato Arte di Stradaー長い命名だが要するに職人雑貨骨董市に参加しており、是非遊びに来たらという誘いがあったからである。

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ソラーノはソヴァーナ、ヴィトッツァ(Vitozza)と並んで"Città del Tufo" 「凝灰岩の都」と呼ばれる。町の建物のほとんどがこの石材からできており、まわりの山や岸壁はすべてこの石に満ちているのである。軟質でやや黄色みがかった色の岩である。フィレンツェ近辺のPietra Serenaの灰色の建築物の肌合いとはかなり違った趣きである。



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tufoの岸壁に立つソラーノ。岩にそそりたつという表現がぴったりの外観である。建物の色合いも岩の色に近いのでどこか岩から彫り出されたような印象を受け、その険しく美しい様相に圧倒される。木の国日本では想像を絶するまさに石の塊である。
3世紀、ローマがエトルリアを征服する頃にはすでにその存在が認められている。町自体がエトルリアの墓の上に建立されたのではと思える程、町の土台部分に墓の入り口のような穴がいくつも見られる。

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高台から見下ろすとその屋根の奏でる美にさらに言葉を失う。

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イタリア全土に渡ってこの町のような文化遺産が宝石のようにちりばめられていることを思うとこの国の底力というものを今更ながら実感する。
ソラーノはまたすでに今年で6回目を迎える現代作家の展覧会”Mostra Annuale d'Arte Il Cortilone di Sorano”を毎年開催している。このような古い岸壁の町にてこのような質の高い現代アートの展覧会を観られるとは思ってもみなかった。これについても席を変えて触れたい。

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一日の旅にしてはあまりにも多くの感激が凝縮した体験。また次回に続きます。
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by jamartetrusco | 2006-08-19 22:52 | Viaggio(旅)
2006年 08月 17日

エトルリア最古の壁絵


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今年の6月、ローマの北部のエトルリアの都市Veiiの遺跡の付近にて現存する墓内壁画の中で最古と思われる壁絵が見つかった。図柄は吠えるライオンの図。
稚拙であるが、表現力豊かでコミカルな雰囲気の大口を開けるライオンが何匹か列に描かれている。ライオンと言われなければ何の動物か想像のみにまかすような面白い絵である。頭上には渡り鳥が飛んでいる。渡り鳥はエトルリア人にとって時間の推移を象徴するものらしいが、吠えるライオンが何を表すのかはまだわかっていないという。考古学者がこぞって興奮するような最新の発見であるが、なにがイタリア的かというと、このお墓の中の壁画の存在が明るみになったのは熱心な考古学者のおかげではなく、墓荒らしの輩(イタリア語ではtombaroloという)が逮捕され墓あらしに参加したことに対して4年の求刑の裁判の席に着く前に弁護士を通してこの墓の所在を告白したのである。カラビニエーレに同行され前代未聞のこの墓に入った関係者の驚きたるや想像に値する。現文化大臣であり副首相のフランチェスコ・ルテッリも興奮気味に「ギリシャやフェニキアの初期時代の壁絵はすべて失われていることからも今回の発見がどれほど重要であるか推し量られる」と言及している。

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専門家によればこの壁画は紀元前7世紀初期のものでこの付近の族長の墓であるらしい。
Veiiという都市は紀元前6世紀に栄えたエトルリアのテラコッタ彫刻制作の中心都市。ローマとの覇権争いにき込まれ最後には破壊されてしまうが、最盛期には10万人もの住民がいたというから当時では大都市である。Veiiのアポロ像は有名である。

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考古学の発見の興味もさることながら、墓荒らしが文化遺跡発見に貢献するというなんとも悲喜劇的なイタリアの面白さがとても笑えるニュースであった。
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by jamartetrusco | 2006-08-17 01:45 | Storia (歴史)
2006年 08月 16日

Ferragosto−イタリアの8月15日

昨日8月15日はイタリアではFerragostoと呼ばれる祝日。この日はほとんどのイタリア人が休みを取り、都会は閑散とした様子になる。通りにこれほど人気がいないのはferragostoの日とワールドカップのイタリア戦中ぐらいか。
観光地のお店、レストランなどを除きほとんどの店は閉まってしまう。とは言え昨日の ニュースでは以前に比べると開いているバーやレストランの数は増え、美術館も開館しているとのことであったので、さすがにこのご時世、イタリアのフェラゴストも変わってきたらしい。

f0097102_19172351.jpgこの祝日、実は起源はローマ時代まで遡るというのだからさすがにイタリアの歴史の古さに驚く。時代はユリウス・カエサルが大叔父にあたるローマ帝国の初代皇帝アウグストゥス(紀元前63年〜紀元後14年)。別名ガイウス・オクタビアヌス。カエサルが暗殺された後、その部下であったマルクス・アントニウスとレピドゥスとともにローマ領を3分して統治。しかしその後アントニウスがエジプト女王クレオパトラと結ばれローマ帝国西域一帯の主権争いとなり、前31年アクティウムの戦いにてアントニウスを破り、全ローマの支配者となる。皇帝アウグストゥスの下でローマは黄金時代を迎えるのである。その後200年以上続いたPax Romana、ローマの平和は彼が礎を築いたのである。

さて話をFerragostoに。Ferragostoの言葉の起源はラテン語の"Feriae Augusti"、文字通りアウグストゥスの祭日。ということでこの祭日は当時は8月一ヶ月を渡って、階級の違いを越え、様々なローマの神々に捧げられ祝う日々が続いたという。とくに8月13日は狩りの女神として象られ、月、光、森、動物、多産、豊穣の女神として知られる女神ヂィアナを讃え祭る日であった。そして実り、収穫を祝う祭日。要するに女性像が表す豊穣、恵み、産み、などのシンボルを讃えるのである。

後にカトリック教会がこの祭日を聖母マリアに代替したのは当然のことだろう。18世紀にカトリック教理において、初めて8月15日は聖母マリアの昇天の日と決めたらしい。
わたしとしては、女神ディアナの祭日の方が好ましい。夢が広がる気がする。どうも宗教が入ると物事を教義と自分たちの真理の枠にはめようとするのが気に入らない。

去年の今頃は京都にて五山送り火を見ていたこと思い出した。京都の街角を歩いて友人宅のマンションのテラスから見た。やはり日本のお祭りの方が心情に深く響く。送り火のほうがゾクゾクと胸が騒ぐ。日本人としての血は、ディアナ神、聖母マリアより日本の神々、仏さまのほうに心動くのである。

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by jamartetrusco | 2006-08-16 19:28 | Paese (土地柄)